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魔法の絨毯 -美術館めぐりとスケッチ旅行-

 世界をスケッチ旅行してまわりたい絵描きの卵の備忘録と雑記

暗の田園詩

2009-11-09 | 月影と星屑
 

 ミュンヘンのノイエ・ピナコテーク(Neue Pinakothek)に、ハンス・フォン・マレース(Hans von Marees)という画家の部屋があった。丸ごと一室、その画家の絵で埋まっていて、ムードの暗さでは圧巻な画家だった。
 神話や聖書、伝説を主題とし、人間と自然とが意図的に両方、そうあるべきものとして描かれている感がある。裸像が多いのだが、肉体表現はミケランジェロ風に強烈で、そのフォルムはかなり極端。歪んでさえいる。肌は肌の色というよりは肉の色で、肉厚のインパストと相俟って亡霊じみて見える。

 で、どんな画家なのか調べてみたのだが、よく分からなかった。

 象徴主義に括られるが、彼と同じような画家はすぐに思い当たらない。ので、ドイツ絵画史のなかでは多分、重要な位置にある画家なのだという気がする。19世紀後半、リアリズムには関心を示さず、ルネサンス様式へと回帰した画家……
 が、アクセスできる解説があまりない。日本て、メジャーな絵画史から外れた画家には、エネルギー割いてくれないからな。

 マレースはベルリンで学んだ後、ミュンヘンに移って絵を描いた。やがて、フィレンツェやローマを旅行。そこでルネサンス絵画に圧倒された彼は、これまで自分が学んだことなど無も同然だ、一から学び直さにゃならん! とラファエロやティツィアーノの模写に励むように。
 で、金欠だった彼からこうした模写を買ってやることで援助したのが、アドルフ・フリードリヒ・フォン・シャック(Adolf Friedrich von Schack)男爵。この人は幅広く絵画を収集していて、そのコレクションは現在、ミュンヘンのシャック・ギャラリー(Schack-Galerie)に展示されている。

 が、どういういきさつかシャック男爵とは絶交。イタリアにはいられなくなり、一旦はドイツに戻るのだが、すぐに芸術学者の友人、コンラート・フィードラー(Konrad Fiedler)の気前のいい援助を受けるようになる。この人は後にマレースの伝記を記した人で、マレースは彼とともにスペイン、フランス、オランダを旅行している。
 普仏戦争に従軍後、無事イタリアに戻ってからは、終生イタリアで暮らした。彼の最大の作品は、ナポリ海洋研究所付属図書館の壁面に描かれたフレスコ画だそうだが、この成功にも関わらず、その後、フレスコ画の依頼は一切なかったという。

 彼の描くテーマはストレートに高貴で、田園詩的。ロマンティックな叙情漂う古代の牧歌の世界が、彼の好むところだったのは分かる。
 が、美しいと単純に言い切れない構図、フォルム、色彩、等々。陰鬱な印象が後を引く。

 画像は、マレース「人間の四つの時代」。
  ハンス・フォン・マレース(Hans von Marees, 1837-1887, German)
 他、左から、
  「漕者」
  「オレンジをもぐ若者」
  「三人の騎手Ⅱ、聖マルティヌス」
  「竜を退治する者」
  「ダブル・ポートレート」

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アメリカの原風景

2009-03-02 | 月影と星屑
 
 
 「アンドリュー・ワイエス展」に行ってきた。

 アンドリュー・ワイエス(Andrew Wyeth)と言うと、日本では格段に有名で人気もある、アメリカの現代画家。ほんの一ヶ月ちょっと前まで生きていた。
 いわゆるフォト・リアリズムとは違って、現代アメリカのリアリズムに芸術性を見出すことができるのは(私の場合)、その絵に画家の内省的な世界が強く反映しているからのように思う。ワイエスの絵もまた、エドワード・ホッパーのような、アメリカの原風景という印象を持つ。ときにぞっとするほど寒々しい、寂寥とした叙情、個が分断されたような孤独を感じさせる。

 ワイエスはペンシルヴァニア州のチャッズ・フォード生まれ。父は有名な挿画家、ニューエル・C・ワイエス。幼い頃から父に絵を学び、緻密な描写力を身につけた。
 が、感嘆すべき高度な技法以上に、後に彼が何度も繰り返し描いた、アメリカ東海岸の片田舎の心象もまた、幼い頃に培われたものだったに違いない。虚弱なため学校に通えず、家庭教師から教育を受けた彼の世界は、独特だが貧弱ではなく、広くアメリカで(そしてなぜか遠く日本でも)共感を呼び起こす。
 人一人死ぬと、同時に世界が一つ死ぬ。人は内に世界を一つ持っている。ワイエスもまた、父のアトリエ、そして戸外の庭で、自然および自分自身と対話しながら、内的な世界を作り上げていったのだろう。

 ワイエスが描いた絵は、生家のあるチャッズ・フォードと、彼が夏ごとに家族と共に過ごした別荘のある、メイン州クッシングの情景がほとんど。彼はそこでの、日常見慣れた、ごくありふれたものに焦点を当て、それに意味を持たせる。
 なぜ意味を持たせるのかと言えば、それが彼の心に引っかかったから。彼は、その当たり前の情景を異化(Verfremdung)して描く。その情景は実在し、あくまで具象で、しかも徹底した写実で表現されているにも関わらず、ある種の抽象性を感じさせる。その抽象性は、ワイエスの感覚を通して外に現われた、彼の内面性。モティーフは、ワイエスがそこに見、感じ取った人生の物語を含んでいる。
 ワイエスが自身を抽象画家と呼ぶのも、こうした理由からのように思う。

 展覧会では、テンペラに先立って制作された、鉛筆による素描や水彩、ドライブラッシュなどの習作も一緒に展示されていた。描写の精密さが多分に目につくテンペラに比べて、習作は、対象に対するワイエスの関心の度合いや、筆の勢いなど、彼の感情が素直に表出している。画家のひたむきさ、真摯さまで感じ取れる。しかも作品として十分に観甲斐もあるものだから、へとへとに疲れるまで、長い時間へばりついて観てきた。
 特に好きというわけではないワイエスの、テンペラ約10点ほどの展覧会だったのに、翌日はパタンキュー。
 
 さすが現代絵画の巨匠、侮れん。

 画像は、ワイエス「アルヴィロとクリスティーナ」。
  アンドリュー・ワイエス(Andrew Wyeth, 1917-2009, American)
 他、左から、
  「クリスティーナの世界」
  「海からの風」
  「踏みつけられた草」
  「シリ」
  「松ぼっくり男爵」

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オランダ絵画によせて:部屋のなかの風俗

2008-10-27 | 月影と星屑
 

 東京への美術館ハシゴ旅行。特に好きなわけじゃないが、やっぱり「フェルメール展」も観に行った。ふと耳に入った、すれ違ったカップルの会話。「あれじゃ、フェルメールは、ただの呼び物だよねー」……
 確かに副題のとおり、実際には“デルフト派展”なんだけれど。でもね、寡作の画家フェルメールの絵が7点(だっけ?)も来てるんだから、「フェルメール展」て銘打ってもいいんじゃない。急遽、来日できなくなった「絵画芸術」は、以前、神戸で観たことがあるので、私は気にならないし。

 ヨーロッパ絵画史では、よく、画家たちが活躍した地名ごとに括って、「なんとか派」という名がついていたりする。まあ、歴史ってそういうもんなんだろう。
 で、デルフト派(Delft School)というのは、概ね、17世紀半ば、オランダ・バロックの黄金時代に、デルフトで活躍した画家たちを指す。
 当時オランダは、スペインからの独立を果たし、海上貿易によって繁栄、イギリスに覇権を奪われるまでの半世紀のあいだ、その富とともに市民文化をも発展させた。
 デルフトもまた、そうした成功を勝ち取ったオランダ小都市の一つ。その栄華はわずか二十数年にすぎなかったが、その間、馬鹿高い人気画家フェルメールに到る、多くの画家たちを輩出した。

 いわゆるデルフト派の特徴としては、市民の家庭生活の描写を主眼として、室内や中庭、教会内、街路や広場などの情景を取り上げたものが目立つということ。
 室内風俗画というジャンル自体は、デルフト派以外も描いている。が、居酒屋や農家、詰所などで、旅人や農夫、兵士らが娯楽(賭博や喧嘩も含めて)に興じる絵が多い。庶民的なのだが、どうも騒々しくて、所帯じみている。
 対して、デルフト派の場合、大抵は中流家庭が舞台。洒落た床や絨毯、ステンドグラスの窓、壁には絵が掛かっている。調度も衣装も洒脱で上品。同じ旅人や兵士にしても、デルフト派の絵ではとてもオシャレ。

 遠近法の効いた空間に、自然光の処理。それらが、オランダ・バロックの堅実な写実で、こまやかに描写されている。穏やかな光に満ちた室内は、とても静か。そんな舞台に、垢抜けた人物たちが、会話を交わしたり、家事をしたり、手紙を書いたりと、何ということもない日常の行為に携わっている。
 妙に優雅で、物語めいた、ほどよい生活感。

 こうした画題についても、まず思い浮かぶのはフェルメールなのだが、彼と同時代に活躍し、彼に影響を与えたという、ピーテル・デ・ホーホ(Pieter de Hooch)のほうが、デルフト派の一般的な画家という感じがする。
 この画家はよく、解説で、フェルメールに先行する、が、フェルメールの境地には到らない、フェルメールの天才ぶりを際立たせるための画家として、引き合いに出されている。可哀相なデ・ホーホ。私は彼の絵の素朴さ、いいと思うけどな。フェルメールはデ・ホーホのような、母子の絵は描かなかった。

 また、レンブラントの画風をデルフトに伝え、若いフェルメールやデ・ホーホにも広く影響を残したという、薄幸ハンサム画家、カレル・ファブリティウス(Carel Fabritius)。レンブラントの最も有能な弟子だったのに、デルフトの火薬庫の大爆発で、工房も絵も画家自身までもぶっ飛んでしまった。
 彼の絵も、十数点しか残っていないので、必見。

 画像は、デ・ホーホ「デルフトの中庭」。
  ピーテル・デ・ホーホ(Pieter de Hooch, 1629-1684, Dutch)
 他、左から、
  デ・ホーホ「カップルとオウム」
  デ・ホーホ「母」
  マース「レースを編む女」
   ニコラース・マース(Nicolaes Maes, 1634-1693, Dutch)
  マース「林檎をむく若い女」
  ファブリティウス「歩哨」
   カレル・ファブリティウス(Carel Fabritius, 1622-1654, Dutch)

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ラファエル前派のエレガンス

2008-10-15 | 月影と星屑
 

 鉄道の日を利用して、美術館をハシゴしに東京へ。苦手な渋谷で開催されているのは、「ジョン・エヴァレット・ミレイ展」。思ったとおり、物凄い人混み。第一列目に並んで、ベルトコンベア式にジジジ……と進みながら、絵の鑑賞。が、呼び物の「オフィーリア」を過ぎると、人混みは散開、一転、サクサクと進む。……皮相だねえ。
 代表作である「オフィーリア」は、これまで2、3回観たことのある絵。が、ミレイの絵って、こういう物語以外の風景や子供を描いたものに、イイのがあるんだよね。

 ラファエル前派と一塊に言うが、その美意識や芸術性は各々の画家で全然違う。ラファエル前派と聞いて私が思い出す、“ファム・ファタル”とされた、しゃくれた顔の美女たちは、ラファエル前派が解体した後の、ロセッティや、彼に追随したバーン=ジョーンズらの絵。
 他方ミレイのほうは、アカデミーに対する反抗からラファエル前派に名を連ねたものの、それとの決別後は、一路、アカデミー画壇の寵児の道を歩んでいく。

 ラファエル前派(Pre-Raphaelite Brotherhood)は、正確には「前ラファエル兄弟団」という、宗教にも似た秘密結社。当時の画一的なアカデミー教育に反撥したダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti)、ジョン・エヴァレット・ミレイ(John Everett Millais)、ウィリアム・ホルマン・ハント(William Holman Hunt)の3人が結成した。
 が、その直後、神秘の数字7に固執したロセッティが、頭数を揃えるために、あまり画家らしくないもう4人を引き込む。さらに彼は、秘密めかして、ラファエル前派の頭文字PRBを絵に署名したりもする。……この人、自分に酔ってんだよね。

 「前ラファエル」の名のごとく、イタリア・ルネサンスの巨匠ラファエロ以前の、中世および初期ルネサンス美術への回帰を理念とした、ラファエル前派。やがて、美術評論家ラスキンの思想に裏打ちされて、自然に即した表現を追求し、明暗対比の弱い、明るく鮮やかな色彩で、細部に到るまで装飾的な、細かな描写を目指すように。
 この、意図的に大仰な、平明な描き方、私にはちょっとうるさい。が、彼らの嗜好は、中世の古典に加え、アーサー王伝説やシェイクスピア文学、キーツやテニスンなどの詩も主題として取り上げているため、ビクトリア朝イギリスらしい、独特なエレガンスを醸している。

 とは言え、このエレガンスは俗と枷との裏返し。
 ラファエル前派の画家たちはみんな、“ファム・ファタル”とまではいかなくても、モデルの女性たちに対する独特な熱情を持っていた。愛と思惑と心変わりが交錯し、そこに貧富の差や性道徳など、ビクトリアンな時代背景が加わって、情念的なややこしい事情に。

 ロセッティはリジーを、W.H.ハントはアニーを、というふうに、画家は貧しい境遇の娘を掘り出してモデルとし、淑女に仕立てようとした。で、ハントは、自分が見出したアニーが、彼の忠告を無視して、モデルに対して手癖の悪いロセッティのモデルを務めたのに嫉妬し、ラファエル前派を離脱する。
 ミレイは、ラスキンの妻エフィに恋慕して結婚、彼女の勧めに従って、実入りの多いアカデミー画壇へと舞い戻り、ラファエル前派と決別する。
 で、ロセッティは、モリスに発掘され、その妻となったジェーンに恋慕し、リジーを死に追いやって、その後も数々のモデルを恋人にする。一方モリスのほうは、バーン=ジョーンズの妻ジョージアナと、(プラトニックな?)愛を育んで傷を癒し合ったとか。

 ……ラファエル前派、ついてけん。

 画像は、ミレイ「マリアナ」。
  ジョン・エヴァレット・ミレイ(John Everett Millais, 1829-1896, British)
 他、左から、
  コリンソン「誘惑」
   ジェームズ・コリンソン(James Collinson, 1825-1881, British)
  W.H.ハント「イザベラとバジルの鉢」
   ウィリアム・ホルマン・ハント(William Holman Hunt, 1827-1910, British)
  W.モリス「麗しのイゾルデ」
   ウィリアム・モリス(William Morris, 1834-1896, British)
  ミレイ「聖バルトロマイの祝日のユグノー教徒」
  ロセッティ「七塔の調べ」
   ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti, 1828-1882, British)

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印象派の長老

2008-09-11 | 月影と星屑
 

 美術館三昧の夏の締めくくりは、京都の「印象派の巨匠ピサロ展」。このピサロ、相棒のお気に入りの画家。

 私だってピサロは好きだったのに、ある頃から相棒、私がピサロより好きなシスレーと比較して、「ピサロのほうが描写が丁寧だねえ」、「フォルムがしっかりしているねえ」、「色がキレイだねえ」、あげくに「体型もスリムだねえ」とかなんとか、しきりにのたまうようになった。
 うう……、確かに。それでもシスレーのほうが好きな私の主要な反論は、
「でもシスレー展と違って、ピサロ展ってないよね」
 が、とうとうピサロ展に行ってきて、それも失効した。

 ピサロ展の情報見つけて教えてあげたの、私なんだから、感謝してね。

 カミーユ・ピサロ(Camille Pissarro)は、カリブ海、西インド諸島のサン・トマ島生まれ。家はユダヤ系の裕福な雑貨商で、ピサロもフランスでの寄宿学校を卒業後、家業を継ぐために帰郷する。が、やがて画家を志し、ベネズエラへと飛び出す。
 パリに戻ったピサロが傾倒したのは、コロー。が、モネらと知り合い、共に戸外で制作に勤しむなか、画風は印象派特有の、明るい光の描写へと変わってゆく。

 ピサロが、モネやルノワールとドガとの確執を取り持ったり、ゴーギャンや、それまでロクでもない絵ばかり描いていた偏屈なセザンヌら、若い画家たちを教え励ましたりしながら、すべての印象派展を通じて、唯一、毎回欠かさずに参加し、印象派の流れをまとめ上げたのは、有名な話。もともと格段に最年長だったこともあって、ついた渾名が“印象派の長老”。不屈で温厚な人柄だったと言われる所以でもある。
 が、絵画の新しい道を目指して、夕毎にカフェ・ゲルボワで議論を戦わせ、古い因襲を批判して、「ルーブルなど燃やしてしまえ!」なんて、いきり立ったというから、結構過激。高じて、政治的にも左傾化し、挿絵を提供したりして無政府主義運動を援助。後に無政府主義迫害の際には、ベルギーに逃亡もしている。

 50代半ばにして、息子ほども歳下のスーラらに感化されて、点描派の画風に平気で転身。結果、絵は売れなくなり、子沢山の彼の家庭は火の車、妻は子供たちとの心中まで考えるほどだったともいうから、その倦まずたゆまぬ克己心と好奇心には、敬服すべきものがある。
 ……まあ、ピサロって、温厚だと言われているけれど、デスピサロに進化する前の魔王ピサロのように、内には純で熱い信念がメラメラと燃えている人だったんだろう。

 ピサロの絵が手堅い印象を受けるのは、そうした彼の人柄のせいもあるのだろうが、地を題材に取ったその姿勢のせいでもあるように思う。彼はモネやシスレーに比べると、水を描かない。光は揺らめかず、危なげなく空を照らし、樹葉を撫で、大地へと降り注ぐ。そこには風景に溶け込んだ、地と共に生きる農村の人々がいる。

 ピサロには7人の子供がいて、長男リュシアンも画家になったのは有名だが、他の息子たちもみんな画家となり、その子供たちも画家になった者が多いという。展覧会には、リュシアンの他、フェリックスとルドヴィク=ロド、リュシアンの娘(ピサロの孫娘)オロヴィダの絵が来ていた。
 私にも、才能豊かな親父が欲しかった。

 画像は、ピサロ「朝の光、冬のエラニー=シュル=エプト」。
  カミーユ・ピサロ(Camille Pissarro, ca.1830-1903, French)
 他、左から、
  「エラニーの古い家並」
  「帽子をかぶった少女」
  「ジゾール近郊、ノーフル=サン=マルタン」
  「ブールヴァール通り、午後」
  「エラニーの秋」
   
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