美しきパリの孤独

 

 エドガー・ドガ(Edgar Degas)は、印象派の画家として括られるのが常だが、他の印象派たちとは随分と趣が異なる。

 陽光降り注ぐ空の下、風と大気に触れながら、移ろいゆく光と影を画布に描き留める。そんな印象派のレッテルを、ドガは嫌う。
 彼の関心は、もっと人工的な、小暗い光。戦争で視力を弱めた彼には、自然の光はまぶしすぎたのだろう。
 引きこもりには、引きこもりのまなざしというものがある。ドガはアトリエを出ず、知り尽くした対象を、熟考を重ねて、入念に描き出す。しかも斬新に大胆に、それでいてスナップショットのようにさりげなく、通りすがりに不用意に垣間見たような構図で。

 そんなふうに描けるのも、デッサンを愛していたからこそ。古典的な、正統的な、力強い輪郭線。もともと線描の力を信奉していたところが、新古典派の大家、老アングルから貰った言葉で、その方向は決定的となった。線を描け、記憶によってでもいい、自然を見ながらでもいい、とにかくたくさん線を描け。
 線の美しさというのは具象画ならではの魅力だ。画家は線で形を追い、それが造形となる。

 古典的な伝統手法を重んじつつ、けれどもドガ自身の関心は、都会の日常生活にあった。舞台や稽古場の踊り子たち、競馬場の馬と騎手、働く女や入浴する女。洒脱だが、うらぶれたパリの風俗。

 法律の勉強を放り出し、画家を志したドガを、芸術を愛好していた資産家の父親は、パトロンよろしく支援する。貴族的なムッシュ・パリジャンなドガは、洗練されたパリを好み、ボヘミアンの気風を毛嫌いする。そんなドガが親交を持ったのは、すでに名声を得た上流階級出身の若手画家、ブルジョア趣味芬々たるマネだった。
 内気で気難しく偏屈で、不器用で非社交的な、辛辣で冷笑的な皮肉屋のドガ。もともと全然違うスタイルだから当然なのだが、モネやルノワールとはやがて不仲になり、最後まで印象派として仲を取り持っていた長老ピサロとまで、彼がユダヤ人だからという理由で、ドレフュス事件以来決裂した、右翼的な反ユダヤ主義者のドガ。

 生涯、女性とは深刻な関わりを持たず、美しい女弟子、メアリー・カサットへの愛情も、恋愛とはならなかったという。そう言えば、ドガの描く女性はみんな、男性本意の視線を受けてはいるが、肉体に対する描き手の思い入れは、一切感じられない。ドガは現実の人間を描いたが、現実の人間を愛したわけではなく、描くことを愛したのだろう。

 父が死んでからは経済的に困窮し、ますます隠遁していく。晩年は視力も衰え、絵は描けない、金もない、友達もない、という不幸のなかで、憤怒や鬱を突発する。やがてアトリエを退去させられ、孤独な老人として死んでいった。

 ……こうしてみると、ドガって人格破綻者だな。でも、自分の信念で一貫した絵を描くんだから、立派だな。

 画像は、ドガ「エトワール」。
  エドガー・ドガ(Edgar Degas, 1834-1917, French)
 他、左から、
  「ダンス教室」
  「ポーズを取る踊り子」
  「アブサン」
  「アイロンをかける洗濯女たち」
  「浴後、身体を拭く女」

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