地上の夢想と天上の自然

 

 カールスルーエの州立美術館には、ライブルのような写実派や、リーバーマンやコリントのような印象派とならんで、ハンス・トーマ(Hans Thoma)の絵がわんさと並んでいる。自然主義的な風景画が多く、相棒はすっかりトーマを気に入ってしまった。
 新しくお気に入りの画家ができて、よかったねえ。でも、私の拙い絵画史の知識のなかでは、トーマって確か、象徴主義に括られてたと思ったんだけど……

 トーマの初期の風景画は明るい。ときどき、明るすぎてぞっとすることがある。陽を浴びて温かなはずのその風景のなかに立ち、寒気を感じることがある。光は実は光に見える陰だった、という感じ。
 ときおり自然の風景のなかに、天使が出てきたり、半獣神が出てきたりして、首をかしげていた相棒。トーマのためだけに用意された、シンボリックな絵ばかり展示された半地階の赤い一室に入って、びっくり仰天していた。

 ……確かに分かりにくい画家だよね。画家人生と前と後で、絵のテイストがこんなにも違うんだから。

 で、どうしてカールスルーエの美術館にはトーマの絵がこんなにたくさんあるのかというと、彼はカールスルーエで学び、名声を得た晩年には、そこの美術館の館長やらアカデミーの教授やらをこなした、カールスルーエ美術界の名士だからなんだ。

 黒い森地方、ベルナウの生まれ。時計文字盤の絵付け職人として出発し、カールスルーエのアカデミーに学ぶ。
 そこで師事した教授陣がデュッセルドルフ派だったからか、アカデミーを出るとデュッセルドルフに行き、そこで出会ったオットー・ショルデラーにくっついてパリへと赴く。パリではクールベから大いに影響を受けた。

 この頃の絵は概ね自然主義的だが、象徴的寓意的に見えなくもない。これは多分、画面がまんべんなく陽光に照らされているせいと、主要なモティーフと主要でないモティーフとが、その平明に照らされた光のなかで、平等な重みで細部描写されているせいとで、描かれるシーンが天上的に感じられるからだと思う。
 よくは分からないけれど、トーマは自分のなかに、何か哲学的な、原風景のようなものを持っていたんじゃないだろうか。

 ドイツに戻って間もなく出会ったのが、ベックリン。
 トーマがベックリンの象徴主義からインパクトを受けたのは確かだろう。が、トーマは「ライブル・サークル」の一員で、同時代の写実派の画家たちとも多く親交があったのだから、ベックリンに特に反応したのは、トーマの側の理由によると思う。とにかく彼は、以来、奇妙で夢想的な主題を、一風変わったイメージをもって追い求めるようになった。

 おそらくベックリンの助言なのだろうが、トーマはローマを訪れ、そこで同国の画家、ハンス・フォン・マレースと知己を得る。
 ああ、マレースね! 同時代のどの絵画の流れからも離れているトーマが、あのマレースに感化されたというなら、よく分かる。トーマのドイツ・ルネサンス様式への憧憬、精密な線描、偏狭な色域、などはマレースに由来するんだったか。
 その後もトーマは、何度もイタリアへと舞い戻っていったという。

 解説には、トーマの作品にはワグナー的な調子が見て取れる、という。私はワグナーが分からないので、何とも言えないけど……ワグナー通なら、分かるのかな?

 画像は、トーマ「ファランドールを踊る子供たち」
  ハンス・トーマ(Hans Thoma, 1839-1924, German)
 他、左から、
  「森のなかの草原」
  「ライン川のほとりのゼッキンゲン」
  「泉」
  「アダムとイヴ」
  「愛と死を連れた自画像」

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