銀光の叙情

 

 この夏は美術館三昧。東京まで「コロー展」に行ってきた。学生の頃、コローはモローと並んで、トップクラスで好きだった画家。

 銀灰色を帯びた鈍色に輝く森の風景。緑と褐色の微妙な諧調に薄靄のような銀のヴェールがわたる。煙るような柔和な光に揺れる樹葉や湖水。優美なフォルムと即興的なタッチ。リリカルでノスタルジックな、独特の詩情。
 が、私のなかで、モローが常にトップクラスだったのに対して、コローの相対評価は下がっていった。マンネリで類型的で、同じような絵しか描かなくなってしまった。人気を得て、その人気に沿った絵しか描けなくなってしまった。……そんなふうに、斜に構えたうがった見方になった。私も青かったのかな。

 ジャン=バティスト・カミーユ・コロー(Jean-Baptiste Camille Corot)は、フランス風景画の大家。その、自然を深く見つめた風景は、シスレーやピサロら若い画家たちにも影響を与えた。

 父は裕福なラシャ商で、ようやく父から絵の道を許されたとき、コローは生活の心配なく画業に専念することができたという。そして、父の援助のもと、北フランスを旅行、そしてイタリアへ。
 コローを支えた彼の両親は、しかし、彼の画家としての才能には期待していなかったらしい。コローは自分の絵が世に評価されるのを、愛すべき両親に見て欲しかったに違いないが、それを待たずに両親は相次いで死去する。

 母を亡くした頃から、コローはあの独特の、ニンフのような人影の佇む、銀色に輝く小暗い森景を描くようになる。この夢幻的な風景は爆発的な人気を博し、注文が殺到、コローは一躍、富と名声を得て、時の画家となった。
 が、相変わらずつましい生活を送り、ドーミエを初め貧しい画家たちを助けたというから、人間ができていたんだと思う。

 コローは田舎を愛し、森を逍遥して写生し、ロマン派の詩を好み、大のオペラ好きでもあったという。そんなコローが、ロマンティックな森のなかにオペラ座の踊り子よろしくニンフを輪舞させた絵を、自身大いに気に入って、何度も描いたというのは、うなずける。
 そうした趣向の絵が世に認められ、皆に求められれば、素直に喜んだろうし、もともと、頼まれれば断りきれない、人情の厚い人柄でもあった。
 ならば後年、三十年近くも、コローがああした風景を繰り返し描いたのは、やはり、世評のしがらみからではなく、心から好んでのことだったのだろう。……今では単純に、そう思える。

「自然こそすべての始まりである」というのは、コローの名言。
 風景画家なら、やっぱ、こうありたいもんだ。

 画像は、コロー「四角い塔へと通ずる水流」。
  ジャン=バティスト・カミーユ・コロー
   (Jean-Baptiste Camille Corot, 1796―1875, French)

 他、左から、
  「湖畔、イタリアの思い出」
  「白樺の下で草を食む牛」
  「モルトフォンテーヌの思い出」
  「真珠の女」
  「青衣の婦人」

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