気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

今日の朝日歌壇

2010-08-08 21:52:04 | 朝日歌壇
われ若くそもたのしかりき鉾町の囃子の底の残業の日々
(京都市 箕坂品美)

「ご家庭に不用なものな無いですか」毎日マイクで来るのには参る
(大分市 長尾素明)

境内に日時計ありて静かなり此の世と違う時間を指して
(塩釜市 佐藤幸一)

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一首目。七月の京都の中心部は祇園祭一色になる。鉾町はビジネス街でもあり、作者は祭りに関わる間もなく働いていたのだろう。お囃子が聞こえても残業をせざるを得ない。「たのしかりき」とあるので過去の回想。「囃子の底」という表現がすばらしい。
二首目。わが家周辺にも、こういうトラックはよく回ってくる。「要らないものは捨てて、ちゃんと家の中を片付けろ」とせっつかれるようで、心苦しい。わたしもこのトラックの歌を作ったことがある。それを読んだ80歳ちかい人が「不用なのは、私です」と家の前に飛び出したくなるわ・・・とおっしゃったので、びっくりしてしまった。この作者はどんな気持ちでこの歌を詠んだのだろう。考えさせられる。
三首目。境内とあるから神社なのだろうか。静かな境内にある日時計は、たしかにこの世と違う時間を示しているように思える。「時間」より「時刻」と指すというのが正確かとも思うが、この世でないのだから、そんなことどちらでもいいのかもしれない。此の世の「此」の字が効いている。

今週の歌の中に、最近亡くなられた玉城徹氏の挽歌がいくつかあった。玉城徹のうたはむつかしいけれど、しんとした味わいがあって、けっこう好きだ。気難しい性格の人だったとも聞く。その娘さんが花山多佳子さんで、花山さんの娘さんが、花山周子さん。「血」なのだろう。お冥福をお祈りします。