気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

燠火 大島史洋 

2009-12-03 01:56:50 | つれづれ
爪先の黒き三日月撫でながら巨峰の滓を見ている会議

歌一首書かむと手帳あけしとき背後の窓の明かり消されぬ

ここよりは一人で行けと幼子に言うごとき声なつかしき声

乗る人の去れば車は物なればベルトの上を運ばれてゆく

八雲たつ幕張メッセのビル群に雲雀あがりて夏は近づく

定年後の楽しみとして控えおく「パパラッチ」は辞書に残るか

ふるさとに老いたる父を見舞いしが言葉はいらず耳遠ければ

人さまざま歌くさぐさの時を経て燠火のごとく故郷はありし

ことごとくおのれに刺さる矢と思う正常にして過剰なる意志

(大島史洋 燠火 雁書館)

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未来の大島史洋氏の八番目の歌集『燠火』を読む。
最近の歌集『センサーの影』で第14回若山牧水賞を受賞されたとのこと、読むつもりで注文している。
辞書の編集の仕事を長くされていたようで「パパラッチ」の歌などに表れている。
特にむつかしい表現もなく、日常の見過ごしそうになる些細なことが歌の材料になっている。
四首目。去れば、物なれば、と「ば」が続くのがわたしは不満だが、何か意味があるのだろうか。「物として」「物にして」などほかの表現を考えてしまった。奥村晃作的な歌。
九首目。まさにその通り。歌人のほとんどは自意識過剰。納得の一首。