気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

彼方  柏原千惠子  つづき 

2009-12-22 22:51:38 | つれづれ
若き蠅をりてひとりの夕がれひ氣をゆるさねば賑賑として

ひとりゐの密閉の家のあかときに倒れてよりはすべてはこだま

しづかなる春硝子戸の一瞬を切り裂きゆけり金色の蜂

八十三歳とならむ歳晩の燈あかりにひとりに居れる部屋あたためて

ひとのこぬ我家に「時」の澄みわたり重く白磁の皿かさなりぬ

かりそめの睡り刈田の身めぐりに一枚づつの夜が下りくる

たまはりて口につめたき白桃の終焉(つひ)の部屋かもこの友のもと

虚空には手のやうなものあまたあり ときどき降りきてわれに相手す

ときながく銀杏樹の影をゆらせつつ硝子の外に迫る入りつ日

この山のかしこは峠 逆白波のやうなる雲のいま越えゆける

(柏原千惠子 彼方 砂子屋書房)

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あとがきによれば、結果として亡くなる四年半ほど前から、寝たきり状態で施設に入っておられたようだ。
一首目から五首目は、それ以前の一人暮らしのときの歌だろう。ひとりであっても寂しさより、一人を楽しむ余裕のようなものが感じられる。当時、肺炎になったり、倒れてけがもされたようだが、人の中で暮らすことより、一人がお好きだったように思う。
最後のうたは、まさに最期の歌であったようだ。ずっと茂吉に心酔しておられたのだろう。
結句の「いま越えゆける」を読むと切ないが、人生を全うされた満足感が読み取れる。


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