気まぐれ徒然かすみ草

近藤かすみ 

京都に生きて 短歌と遊ぶ

箸先にひとつぶひとつぶ摘みたる煮豆それぞれ照る光もつ

馴鹿時代今か来向かふ

2005-05-12 20:40:22 | つれづれ
かつてまだ定義されたることのない馴鹿時代今か来向かふ

さういへば、などと気付いたふりをするアララギを出てあやふかりし吾

懐石が進み小さな貝が出たうつむいたままなら聞き易く

寺町は雨の匂ひの年々にふかまる逢ひの夕闇のなか

年齢と共に成熟するなかれ寒き玄関に咲き合ふさくら

(岡井隆 馴鹿時代今か来向かふ 砂子屋書房)

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年をとるというのは悪くない・・・と思わせられる。

以下短歌と関係なく、最近思うこと。

ブログを持って自分から発信する人がたくさん居て、それが本になって話題になるものがある。
ネット上で読むものと、本になったものとどう違っているのだろうか。ネットで出たものが本になっても同じ部分も多いだろう。いや、ブログを本にするのなら、本という形に切りとるということか。
書店でパラパラと立ち読みをして、お客が興味を持ったとしても、これを買うかそれとも家でネットで読むかは、お客の判断次第。これにサイフを開ける人がどれだけいるのだろう?
今のスピードの速い世の中で、本になって出版されるときには、もう違う作者になっているという気もする。
この「気まぐれ徒然かすみ草」のブログは、私の短歌お勉強日記という姿勢でやって行きたい。