ぶんちゃん日記

最北の、何もない静かな山奥「ぶんちゃんの里」のオーナーの交流日記です!

13年間の・・・・その2。

2008-01-23 10:51:21 | Weblog
 13年前に「学校をなくしてはならない」との思いで始めた山村留学生の宣伝のキャッチフレーズは「おえいでよ大自然の中に。宅地200坪の無償提供」だった。「一家で移住して家を建てて下さい。土地はタダで上げます」・・と。
当時、反響はすごいものがあった。

私は、問い合わせの窓口だった。全国の色々な方と電話で語った。現地にも来てくれた。子ども1人で里親させたいと言う人。親子で留学したい言う人。そして一家でと。
「地域の人々のやさしさや学校の素晴らしさ、大自然に感動した!!」といって留学を決意したかたもおおかった。

ちょうどその頃、私自身も家庭的に課題を抱えていた。老いた母と2人暮らしだった。留学の問い合わせの中には、私とおなじような境遇の方もいた。そんな時、私は積極的に自分のおかれている状況を話し、相手に心を開いてもらうように努めた。そう言う話しを繰り返しながら互いに信頼関係を築き、留学へと進んだ方もいた。

家族で移住したり、親子で留学する方の親の仕事探しは大変だった。なんといっても生活が第一だから。
地元の人でさなかなか仕事につけないと言う厳しさの中で・・・。しかし、企業関係者の方々は私達の取り組みを温かく見守ってくれていた。
 「人はまにあっているが協力するよ」との言葉を何度も聞いた。そうやって働く場所は確保されていった。そんな温かい志を無にして簡単に辞める親もいたことも事実だ。

初めて留学してきたときは、多くの集落の住民が集まって歓迎会を開いた。そしてまた、留学を終了して帰宅される方にもみんな集まって送別会を開き、共に涙を流し分かれを惜しんだ。

その年度によっては、全校児童の8~9割が留学児童がしめていた年もあった。
どこの市町村でもそうかも知れないが、我が町の「財政事情も厳しさを増した」ということで留学生に出されていた補助金の減額も始まった。
昨年11月には、多額の無補助金を使っていることからか、町の行政監査も受けた。そのなかで、学校のあり方、山村留学のあり方の指摘も受けた。

始めてから、13年の月日が流れその年度も終わり近づいていた。
その1月21日の役員会。
 私は、責任者として会議のレジメの協議事項の第1に、北海道北オホーツクの大自然で学ぶ会の組織の解散を提案議題と記した。
論議を深めた。そして決めた。新年度からの募集の停止。夏頃にセレモニーやって組織の解散をと・・。

会議が終わって帰路の車中。自然と「おわった!!」という安堵の気持ちが脳裏を横切った。が同時にいろいろと美辞麗句を並べ発言したが「オレはいきずまっていたのでは・・」というむなしさも残った。
「13年間の活動の役割を終えたんだ」と少し無理して思うようにしたら、気が楽
になった。

 13年間の・・・その2。 いろいろな人々と出会えた。何よりもの財産だ。
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