ぶんちゃん日記

最北の、何もない静かな山奥「ぶんちゃんの里」のオーナーの交流日記です!

涙もろくなりました

2013-10-14 20:03:13 | Weblog
 最近、歳のせいかとっても「涙もろく」なったように感じてきました。
酪農体験の青空教室で、涙をためて聞いてくれる人の姿を見ると、語っている自分も「もらい泣き」をこらえて語り続け
たことも度々ありました。

 昨日、孫の学芸会を見に行ってきました。運動会や学芸会には毎年見に行っていますが、とても素晴らしい学校だと思って
きましたし昨日の学芸会も、とても良かったです。

 全校児童が16名で、そのうち3年生くんと6年生君の2人が孫です。
6年生君の劇を見てとても泣けてしまいました。暗闇で目頭を数度押さえました。涙もろいです。

        

 その劇は「お母さんの木」というタイトルで、戦火の中に出征していく物語です *****

お父さんは戦死し、7人の男の子供を持つお母さんは、子供が一人出征する度に1本ずつハスの木を植えていきます。
次々に赤紙が来て召集され「お国のために手柄を立ててきて下さい」とお母さんは送り出します。

 やがて、一番最初に出征した一郎の戦死の連絡が入ります。
それを聞いたお母さんは「手柄なんか立てなくとも良い、生きて帰ってきて欲しい」と、植えた6本の木に向かって
語りかけます。それを盗み聞きしていた、村人が「みんな戦火で闘っているときにそんなことを言ったら非国民と言われる」と
陰口を言います。

 最後の一人、七郎(孫)も出征します。
7本の木が植えられました。

 そしては戦場で五郎が行方不明、他はみな戦死したとの知らせが・・・・。

        

 やがて戦争は終わりました。
大きくなった7本のハスの木の前で「日本は負けた、何も残らなかった。一人でも良いから生きて帰って欲しかった~」と 
泣きくずれ、その場に倒れ息を引き取ります。
そこへ、行方不明だった五郎が松葉杖をついて帰還します・・・・・・***** と言う物語でした。

 おとな顔負けの素晴らしい演技でした。
涙もろくなりました・・・しかし、涙なくして見れないものだったでしよう~~~~。

 全く戦争の知らない孫達。戦争をどんな思いで見、考え、練習を積み重ねてきたのだろうか~~。
野蛮で見にくい、おこしてはいけない戦争~、心の片隅にそのことを刻んで欲しいと心から思った。

 3年生くんの演技も素晴らしかった。

                               

 この学校では、終了したら「そばクラブ」の人たちの協力で、参加者にソバを食べらしてくれる。
毎年ご馳走になっている。今年もいただいてきた。
とても美味しかった。



 今日は秋晴れの我が家周辺。
遅れている晩秋の農作業もようやく、堆肥舎がカラになった。しかし、まだまだ続く・・・農作業・・・。

                            

                               

          
コメント
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