南無煩悩大菩薩

今日是好日也

君の名は。

2008-09-06 | つれづれの風景。

ランの種ではないだろうが、音符を咲かすか花よ。


ららららら-らーらららららー。

らんらららーらーらーらーらららららー。


乱るる心に映るは。

青紫の名も知らぬちさきうるわしの花。


君の名は?


聞かぬとしよう。

一緒に歌えただけで満足。



花に名を聞くこそ、無粋なり。

根掘り葉掘りの無粋なり。

麗しきこその花は花となり。

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表現の自由。

2008-09-05 | つれづれの風景。

「絵画」のような「風景」が「写真」に収まっている。

「画」と「景」と「写」

「静」と「動」と「留」

心情風景と現実の流れと切り取られた断片。

表現と認知と反省。

そのようにも思われなくも無い。

芸術的手段や創造的衝動に人が駆られるのは、そこに自己という客観者の存在を認めたいからではないか。

主観的なものを客観的な方法を用いて、弁証することは、人生の処方箋をつくることに役立つ。


実生活を思い通りに出来る人はいない。

家庭生活しかり。社会生活しかり。生というものの終着しかり。

私達は一切の人為的活動を通して、よりよい生というものを希求するようにできている。

自己の何をどう表現し、そこに何を見出し、どのような反省点に立って、よりよいとおもわれるものを手に入れようとするのか。


それは、自由だ。

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こんにゃく。

2008-09-04 | つれづれの風景。

お。こんにゃくが生えてるやないか。

こんにゃくとはありがたい。

まず響きがとてもいい。こんにゃくですよ。こんにゃく。

声に出して叫んでみてください。こんにゃくこんにゃくこんにゃく。と。

鎮痛悲惨な時、こんにゃくという響きだけで、私はプルンプルンになる。

こんにゃになっても苦じゃないや。と思うのである。

こんにゃくなんやく。

いつ食うかといえば、こんにゃ食うのである。

めでたい食い物でもある。こんにゃく祝いにももってこいなのである。

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バッタもん。

2008-09-03 | 有屋無屋の遍路。

わし正規のバッタです。バッタもんちゃいます。

なんやわしには関係無いのに、名誉が傷つけられてます。

しかし案外アレですわ。わしをキャラクター化してバッタもん言うて、叩き売ったら売れるかも知れまへんで。

正規品のバッタもんを、正規のルートでバッタもんとして売りますんや。

バッタのバッタもん。


ただ、売れ始めてそれが「おいしい」思うたら、また本来のバッタもんがでてきますやろな。

そのバッタもんはバッタもんかどうかはわからんけど、バッタじゃないことは確かちゃいますか?


なんや今の国政劇やらなんやらに似てきますわな。

それが「おいしい」思うたらバッタもんが出てきます。

その政治家は政治家かどうかはわからんけど、政治でないことは確かちゃいますか?


バッタのわしがこんなこというんもなんですけど、名誉のため、バッタはバッタもんと戦わなあきまへんやろ。

みみかっぽじって、めんたまひらいてみておくれやす。

バッタもんのバッタもんを掴まされるのとは訳がちゃいます。

バッタもんをみて、バッタはこんなもんと思われることが、えらいこっちゃですわ。

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呑水冷暖自知。

2008-09-02 | 壹弍の賛詩悟録句樂帳。

力水もあれば、水を差されることもある。

魚水の仲もあれば、水くさい仲もある。

冷たいも暖かいも、苦しいも楽しいも、うまいもまずいも、自らで知る。

自知、これ人生活発の育成なり。


水を呑もう。酒も呑もう。

ただし。

食物も食っただけでは栄養にはならない。消化して初めて栄養となる。

ただ呑みは禁物である。

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