まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

今朝ははっさくだ。

2022年02月07日 | Weblog

昨日は、鳥たちに餌をやれず、朝来てみると、みかんはカラカラに乾いていて。

もちろん、皮だけになっていた。

彼らは、どこかで他の餌にありつき、ということだったんだろうけど。

いつものスイーツが食べられなかった繰言を述べていたのかも、だな。

どうも、このところ、わがホモ・サピエンスの食べ方、というのか、仮説が湧いていて。

胃というのは、消化吸収とか言われ方があるけれど、消化の役割、ってのは、小さいんじゃないのかな、とね。

咀嚼することで、顎の四つの穴から唾液というのか、酵素が出て、食べたものを発酵させる。

なんて言説に出会ったのでね。

ほとんど、口の中で別物になっているんじゃないのかな、というわけだ。

種明かしをしないでくれ、と中島みゆきの歌詞を歌う吉田拓郎の歌が響いてもいて。

実際には、種明かし、という概念ではなくて、気づいたことをまんま受け取る、受け入れる、という仕儀だ。

とすると、学校で、世間で習ったこととは違う様相を帯びる可能性がね、ありそうな。

人類が連綿と繋いできた、と言われる、知というもの、それの解釈を少しずらしてみる、くらいの話かな。

この世情を眺めながらの、専門家と言われている、そういうことになっている塊が、ほんと、それぞれの。

ポジショントークの中にいるような、あるいは、それぞれの白い巨塔の中での共通言語を楽しんでいる、とか。

そんな話になれば、当方だって、自分式の言語を、共通言語と錯覚しているわけでもあり、だな。

早い話が、それぞれの物語の主人公になり、か。

そもそも、1+1が2である、なんてことさえ、不確かなものかもしれず、となると。

不可知論者とかさ、そんな類の見せ物になりそうだけど。

どうも今朝は、溢れ出るエネルギーをうまく始末できないような顛末のブログだな。

そうだ、いつもの「バカヤローおじさん」、どうやら、わが居住区の近く、ま、隣人だな。

そんなようで、昨日だったか、車で走っていたら、例の自転車に乗って、僕の方を念入りに見直していた。

なんてシーンがあってね。

わがベランダレストランにも来客があるようなので、このあたりで。

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遠い空からのアップ

2022年02月06日 | Weblog

寅さんの映画では、一件落着してのお正月の青い空。

が定番で、なんとも悲哀とも、寂しさともいえないシーンみたいな今朝の表題ですが。

国内某所からの、です。

まだ暗く気温も低いので、旅ランと洒落るのも、ままならず、って時間帯。

しかも、iPadからの投稿なので、手元不如意、だな。

昨日は、human designという、早い話が自分の生年月日に基づく設計図。

なんてのを解析・分析していただき、なんてセッション。

このところ、ライフデザインとか、デザイン、なんて言葉が飛び交う日々。

いずれにしても、描き直す、とか、待てよ、今までの解釈はどうだったのか、ご破算にして、とね。

そんな時代でもあり、まわりで起こっていること、を注意深く、あるいは、虚心坦懐に眺めると。

そりゃ、そうだ、あれもこれも、フェイクだった可能性があるかもね、なんて世情だからね。

という立ち位置、視点、視座、を想定すると、この世はおもしろきことの限りなり、って具合で。

高杉晋作さんとは、微妙に違うのかも、だ。

おもしろきこともなき世をおもしろく、とか、そんな辞世の言葉、なかったかな。

もともとおもしろいんだ、ってことだよね、って同意を求められても困るか。

そう、夕べは、次男坊とサバ松前鮨とひらめと、ふくわ、と言ったかな、マグロとかいただき。

異郷の夜を楽しんだのでした。

寒いですね、冷えますね、という仲居さんとでもいうようなおねえさんが、僕らは静岡から。

と伝えると、はごろも、という旅館に泊まって、羽衣の松を見、神の道も歩いてきました。

いいところですね、と誉めそやしてくださるので、すっかり、こちらもいい気分になった。

故郷をめでていただくと嬉しいものだ。

さて、このところお気に入りの中島みゆきの歌詞を借りて、次なるステップを踏むとしようか。

『永遠の嘘を聞きたくて、今はまだ二人とも旅の途中だと……』

彼女の詩、いいんだよね、この歌も正確に解釈できているわけじゃないけど、フレーズがさ。

きみよ、永遠の嘘をついてくれ、いつまでも種明かしをしないでくれ、なんてさ。

まんま、今の世情に仮託できちゃいそうだよ。

ところが、わが生まれ年月日からくる、トリノのバランス由来の設計図には。

種明かしフリーク、みたいなのが装填、ビルドインされているようでもあり。

果たして、永遠の嘘は突き通すことができるのでしょうか、ってなもんだ。

ということで、次なる展開を演出することにします。

 

 

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今朝の冷たい風はこち(東風)か。

2022年02月05日 | Weblog

鳥の餌をやったりしていたら、指が冷たい。

その昔、平安の頃なのか、貴族たちが飼っていた、というヒヨドリへの、餌やり、だ。

まるで、令和の貴族みたい?ってか。

貴族だからこその、愛でるだけの餌やり、って時代。

いわゆる、下々の民はその日の食い物にもこと欠く時代、なんてキャッチコピーのような時代認識は。

あれも、マルキシズム、共産主義史観、、唯物史観のなせる技だったのか、どうなのか。

歴史修正主義なんて言葉も飛び交う世情、戦後民主主義史観、なんてのも、修正されるのかどうなのか。

なんて書いてくると、今朝は、何とも、いつものカタカナ語の代わりの何文字熟語みたいな、だな。

この漢語というのか、異様に漢字を使う文章手法なんてのも、大陸からやってきた文化の名残なのか。

文字を自在に駆使できるのが、インテリ、上流の民、支配する者、なんて括りね。

もっとも、これすらも、i knowの時代には、反転させられるのかも、という。

となると、反知性主義みたいな怒号もやってきそうだしね。

知、ってやつは、便利なようでもあり、厄介な代物でもあるな。

知の上にさらに次なる知を築き、まるで、砂の上に築き上げられた楼閣みたいな感じかな。

ということごとを、その文字を使って表している、ってわけだ。

また、名うての作家たちが文字使いを洗練させ、うむうむとこちらを唸らせる、なんて世界もあるんで。

だな。

信州のなに温泉だったかな、そこの社長の話を聞いたことがあって。

仙仁温泉か、くだんの御仁の言葉、自分でも気づかない旅人の思いを叶える。

くらいの話だったかな。

すごいこと言ってるな、と。

ほとんど文学的表現、だけど、それ、たぶん、今でも実現しているんだろうな、とたった今、予約状況見て思った次第。

なんてことも思い出しつつの、朝のブログ、終了します。

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東風凍を解く。

2022年02月04日 | Weblog

はるかぜこおりをとく、と読むらしい。

すかさず、菅原道真、思い出すよね、こんなの。

『東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅の花

 主(あるじ)なしとて 春を忘るな(春な忘れそ)』

ググったら出てきたので、コピペしといたのだけれど。

九州は太宰府で歌った、都から梅の香りを届けてくれよな、忘れないでね、ってわけだ。

そう、今朝の表題は、二十四節気をさらに三つに分け、という、いつもの七十二候だ。

立春のスタート。

プリウスは7度を指し示し、駐車前にいつものランナーが走り抜けていった。

梅といえば、熱海の梅園だけど、掛川の、なんて言ったか、枝垂れ梅の梅園を思い出すな。

おじおばの会で何度か行ったんだけど、通り過ぎたら、おや、この香りは、とやってくるんだな。

それを体感して、どこかにそんな歌もあったな、なんてね。

清水の芸妓さんに、梅の香と書いて、うめか、という方がいらっしゃって、いつだったか。

そんなことも思い出しながら、素敵な名前ですね、と声をかけたことがあったな。

表紙には、旧暦と暮らす、とある。

いつだったかも書いた、柳生さんのご本は、「和暦で暮らす」だったかな、そんなのもあり。

旧暦のさらに前の、わが列島の先住民の暦、くらいか。

いずれにしても、時の流れもさまざまであり、流行り言葉で言えば、多様性、カタカナでは、ダイバシティー。

ってとこだな。

そんな多様に見える暦さえ、ある種の、定着、固着、一般化、みたいなもので。

人それぞれの時の流れというものは、そりゃもう、途方もない世界だな、きっと。

時の流れ、といえば、僕には、急げ、早くしろ、ハリアップという魔女の呪いならぬ、母の言葉が残っているようだけど。

それだって、母の母、また、その母から、みたいな連綿たる時の流れから生まれたものだろうし。

誰それの責任、とかの話ではない、という世界に生きているのが、わがホモ・サピエンス、ってことだね。

まさに、一人ひとりが人類代表だ。

カッコつけて言えば、人類の歴史が凝縮された芸術作品、と。

ということで、人類代表として東風吹く今日に出かけて行くことにします。

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立春前日だ。

2022年02月03日 | Weblog

わが七十二候の暦も本日にて、終了。

明日からは、立春・初候となるのだろう。

いにしえびとはおしゃれだね、自然の巡りとともに日々を暮らしていた。

んだろうな。

情報過多ではなかったんだろうし、嘘もまことも、興味深いものには反応もし、か。

もっとも、嘘とか真ってのも、どこで線引きするのか、ってのは、難しいものだ。

以前付き合っていた霊能者が言ってたな、詐欺師と策士は紙一重、みたいなことだったか。

うまくいけば、策士、まずくなれば、詐欺師。

これは言い得て妙だ、と感心したんだった。

今流行りの消毒液も、ある人は効果あり、ある人は吸い込んじゃうとやばいですよ、とかね。

夕べ、妻と話したんだった。

キエル菌とかいう、ベタな名前を持った商品なんだけどね。

それに限らず、感染経路ってのが、空気に残ってます、とか、いやいや、飛沫オンリー、ま、唾だね、とかさ。

それぞれにそれぞれのポジションに身をおきの、いわゆるポジショントーク、ってやつだ。

どちらを信じるか、それが問題だ、ってのは、ハムレットだったっけ。

なんていう間に、風の時代、i knowの時代、だそうだ。

今までは、i believe、わたくしは信じます、というのね。

まことしやかな区分けでもあるけれど、そうですか、そんな時代なんですね、信じます、なんて言ったら。

お笑い芸人さんのネタになっちゃいそうだよな。

だからさ、自分の気のむくままに生きてりゃいいんだよな、そう思わない?

誰がこう言ったああ言った、僕はテストで95点取りました、みたいなの、どうでもいいでしょ、実のところ。

しかし、昨日のネタ、黙食ね、昔からの知り合い、職人さんだけど、彼、幼い頃の夕餉は。

無言、テレビもつけずに正座して食べた、ということだったな。

怖い、躾の厳しい親父さんのもとで、だったのか。

そんな具合に育つと、あるある話としては、無口になるか、真逆に無駄なおしゃべり好き、とか。

いや、僕自身の記憶をたぐると、話すのが怖くなるんだ、だから、一言一言を意を決して表へ出す、みたいな。

無口で大人しいけれど手が早い、なんて御仁がいたとしたら。

そんな育成段階を経ているな、妄想だけど、たぶん、だけど。

にしても、召し上がる、召し上がっていただく、という意味での食、目の前の命たちとの交情、なんてのは。

ひょっとしたら、リアルにあったのかもな。

なんて妄想に耽っている間に、日の出まえ42分ってところか、本日に出かけます。

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20220202という日

2022年02月02日 | Weblog

やけに2が並ぶね。

ゲマトリアだっけ、数秘学?的には、どんな日に、どんなメッセージが隠れているのか。

少々気になりもし、と共に、古代中国の王朝、殷だったかな、いや、商か。

忘れた。

いずれにしても、その王朝ってのが、実にそういった占いというのか、一つ一つに意味を見出す。

あるいは、意味を付与する、なんて腐しちゃったら申し訳ないか、そんなことが好きな王朝だったようで。

どうやら、わが列島の天皇家へと続く、なんて言説もあったような無かったような。

好きな、と書いたけど、真剣な所業だったのだと思う。

この日はこうだからね、とか、この方角は云々、とか。

もっとも、今だって、今日は水曜日、とかさ、今は何時、とか、似たようなものだけどね。

なんもない瞬間瞬間に、なんらかの意味を、価値を、ってのが、ま、人生、ってやつだ。

つい何日か前は、当方の誕生日、なんてのも、そうだね。

今朝は、ブルンジのウンカカ農園からの珈琲。

同じ焙煎堂さんで仕入れている社員さんによると、どうやら、これは後20キロで、終わり。

なんて話があったそうで、名残惜しくいただくとするか。

船に乗り波に揺られてたどり着いてくれた豆を丁寧に、といっても、パタカラ体操をやりながら、だけど。

挽いて、さらに熱々のお湯で、というわけだ。

夕べは、娘作の炊き込みご飯、牛蒡が入ってアクセントになって美味しかったお米を。

このところのマイブームの咀嚼咀嚼、って感じでいただく。

口の中で、発酵するくらいの時間をかけて、ってわけだ。

それがおもしろくて、となると、会食ってのが、なかなかに困難になるんだよね、話せないもの。

ベタに、世情に合致している、って次第。

黙食しましょうね、と。

そもそも、話しながら食べる、というのは、西欧の、海賊由来の仕草なんじゃない、って排外主義丸出しの。

感想を述べたくもなる感じでもあるな。

その場に一緒にいれば、言葉はいらない、ってなもんだ。

ある時代までは、言葉もとても少なかったような気もするな。

食の前に、黙なんて文字をつけること自体、いにしえびとには笑止千万かもな。

召し上がっていただく、という命との真剣な向き合いの時だからね、くどく話しちゃうと。

というわけで、そろそろ、わがベランダレストランにも来客があるようなので、このくらいにしときます。

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旧正月の始まりだ。

2022年02月01日 | Weblog

古人(いにしえびと)に思いを馳せてみるか。

ふと、そんな気分になった。

新月だ。

もう何年前になるのか、この日だったか、別の新月だったか、忘れたけれど。

富士宮の浅間神社へお水取りとでも言おうか、湧玉池に行った、油屋の大将と。

その水で、般若心経の写経をすると運気が隆盛となる、なんて物言いに絆されて、だったな。

一枚書いたんだけど、あまりの拙さに断念、なんてことだった。

そのおかげで、隆運ならず、か。

そんな類の話は、結構あるな、思い返せば。

これこれこれがいいですよ、みたいなの、ね。

まあ、それも人生劇場の一幕、って次第で。

今年の大河ドラマ、「鎌倉殿の13人」、ここ何年かはみてなかったんだけど、3回、観たんだけどね。

あの頃、それこそ、いい国つくろう鎌倉幕府、だっけ、1192年、ざっと1000年くらい前か。

旧なんてつけずのお正月だったのか、どうだったんだろうな。

700万年の人類の歴史だっけ、アフリカのミトコンドリア・イブから数えたら20万年だったか。

いずれにしても、僕の寿命の何倍もの歳月を通り過ぎてきた先人たち。

遠い思いになるね。

どう考えても、それらの先人たちのおかげで、今の僕が、ここにある、ってのは間違いないんだと思う。

いやいや、またぞろ、どこかで、デクラスと呼ばれる秘密の開示があったりして、人類の歴史は2000年です、なんてね。

今回のパンデミックは、世界中で、しかもほぼほぼの共通事項のような出来事があったりで。

いろんなことが明らかになるのかも、ならないのかも、なんて風情だけど。

新正月の元旦はとても静かな時間だったけれど、旧正月の元旦も同じく、だな。

変わったことといえば、朝が明るくなり、鳥たちのベランダへの来訪が早くなった、ことか。

いよいよ新しい年の始まりだ、とも言えるか。

どうやら僕の方も、いにしえびとのリズムに合わせ、って感じだな。

少しづつ周りが動き出しているような気がする。

ならぬものはなりませぬ、なんて境地と共に、だな。

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