まわりで起こっていること

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西欧文明が役割を終え次は

2023年03月10日 | Weblog

に続くのは、この列島、日本だ。

と書くと、ニッポンすんごい運動みたいになっちゃうのも困るんだけど。

パンデミック、ウクライナ、さまざまなデクラスなんて時代に、これも。

一つの文明の終わりの姿なのかも知れず、という論で。

明治の頃に、和魂洋才だっけ、便利な言葉を創造し、その延長で今までやってきて。

とはいえ、和魂がいつの間にか、洋才過多な日々の暮らしぶりとあいなり。

だな。

という具合に、文明というのは混淆していくものでもあるんだろうけど。

洋才を経た和魂がどんな風に、この先展開していくのか、というのが、楽しみでもある。

というのも、ここへ、日本語脳、ってのが登場するんだな、きっと。

これは、どうしようもない必然なんだよね。

9歳までに日本語、あと一つ、ポリネシアのどこかの国の言葉で育った人、それが日本語脳人。

という括りなんだそうで。

母音を右の耳から入れて左の脳で受け取る。

自然の音は、虫でも鳥でも風の音でもほぼ母音だそうだ。

それを言語脳と呼ばれる左脳で受け取る。

しかし、それ以外の国々の言葉で育つと、母音は雑音として右脳で受け取るらしい。

なんて研究を、50年くらい前に、角田さんという学者さんが発表された、というんだね。

意味としての言語としてだけ受け取る脳では、論理の組み立てが早いし、容易だろうけど。

意味プラス情として、情感も一緒に受け取るとすると、そりゃ、論理の組み立て最中に。

さまざまな情感も伴うから、時間かかるよね、組み立てに。

しかも、その情感を捨象するという余計な作業もあるので、精神衛生上良くないし。

なんて感じかな。

論理だけとは言わないけれど、そんな具合の左脳で組み立てられた文明が。

そろそろ、ピークアウト、って構図だな。

というのが、表題からの論です。

これ、アカデミズム界隈では一世を風靡しそうになったらしいけど、なんかのきっかけがあったのか。

いきなりしぼみ、なんてこともあったらしいけど。

そりゃそうだな、自然を征服するもの、と思うか、ともに生きよう、と思うか、ってのは。

一大事というくらいの違いだもんね。

こんな具合の思索は、もう少し続きそうだな、なので、to be continued、だ。

 

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