まわりで起こっていること

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ゴミを拾って歩く人は大したもんだね。

2021年06月27日 | Weblog

今朝も走り、あるいは、日常の歩きの道中、ゴミが目につく。

拾おうかな、と思いつつ、そのゴミのやり場に困って、そのまま、置き去りに。

ってことが常日頃なんだな。

ビニール袋を携帯、って感じにしようかな、と思いつつ、だ。

中には、ゴミを必ず拾う、という方もいらっしゃるようで、えらいものだね。

見上げたもんだよ、屋根屋の褌、ってなもんだ。

ゴミといえば、何年も前だな、何人かで由比の海へ釣りに行ったことがあった。

お弁当を持ってね。

漁師さんが運転してくれて。

で、彼、お弁当のカラとか、海に捨てるんだよね、おいおい、と思ったんだけど。

勝手な解釈だけど、もともと、ゴミ、という概念はなく、有機物だったんじゃないかな。

自然は自然に返す、と。

漁師の習慣で、海への栄養物を、くらいの話だったのかな、とね。

いつの間にか、石油からのさまざまなものが出回り、習慣変えなきゃね、という転換が進まず、惰性というのか。

なんてこと、思った瞬間だったのでした。

襖の下張り、なんて話、あるよね、使い古した紙、捨てずに。

落語にも登場するゴミ屋の、なんだっけ、「らくだ」に出てくる大将。

それまでおとなしくヘコヘコしていたんだけど、酒飲み始めたら、ヤクザに絡み、辟易させた、彼。

仏壇の蝋燭のカスなんかも集めたんじゃなかったかな。

リサイクル、なんてカタカナ語を使わなくても、それで足りていたわけだ。

なんだっけ、足るを知る、ってやつ。

いつかもご紹介した、アパレル業界、年間2億着、捨てる、なんて話、もちろん。

食の業界も、正確な数字知らないけど、倒れそうなくらいの廃棄なんだろうね。

使えないものを、ゴミ、と言って捨てる。

これ、やばい話で、簡単に、人間に転用できちゃうんだよね、使えないものは、と。

もちろん、表立っては言わないよね、オトナだから。

でも、心のどこかに潜ませての、同調圧力っぽい風情、だな、きっと。

だから、勉強しなきゃ、社会から落ちこぼれちゃうよ的な言説がまかり通ってきたんだろうな。

ゴミ、って、どこかに、護美箱、とか書いてなかったかな、美を護る、おいおい、ってなもんだ。

あんまり、こんなことばっかり書いてると、因業オヤジみたいになっちゃうから、やめとくか。

ちょっとだけ、ついでに、ポリコレ、ってやつ、ポリティカル・コレクトネス。

政治的な正しさ、何かといえば、正しさ競争だ。

あれね、キリスト教の、原罪、っての、人間はもともと罪を犯した、みたいなの。

そこへも行きつきそうな話だな。

というわけで、走り終わった後の心地よい疲労感とともに、終了します。

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