まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

おじいちゃんは静岡の役所まで歩いて通い

2018年01月12日 | Weblog

なんて、母親やおじの言っていたフレーズを思い出したのが。

何日か前の朝。

その日は、少々、暖かかった日だったか。

屋上にてのウォーキングをしながら、巴川が目に入り、北の山並みも眺めながらの瞬間。

だった。

昭和で言えば、何年の頃か。

昭和一桁の母親たちだから、戦前であることには間違いない。

そのフレーズを思い返しながら、一人で笑っちゃったんだよね。

おいおい、こちらもおじいちゃんといつの日か、孫は呼ぶんだろうな、と。

屋上を歩いていた、なんてね。

こちらはこちらで、ボールウォーキングという洒落た名前を持つ歩き、なんだけど。

このところ、川鵜の群れに出会わない。

微妙に、時間がずれているのかもしれないな。

なにせ、彼らの時間とわが方の時間、違っているんだろうからね。

ぐるぐる回る時計の針がなければ、一日を感じれない、くらいの時間感覚とも言えて。

体内時計とか、あんまり使わないままに日々を過ごし、だから。

夕べは、地域交流委員会があり、その後、他の委員会とも合流しての新年会。

そこでの話題が、ダイエット、なんてので。

もちろん、他の話題もたくさんあったんだけど、一人の御仁が、ライザップによるダイエットを試したそうで。

3ヶ月で13キロ痩せた、なんて言ってた。

あれ、炭水化物ダイエットとも言えるのか、それを一切とらない、というんだけど。

ご飯好きな当方としては、それだけで、わが領域外の話だ。

高校の時だったか、歴史の先生が、掘り起こされた頭蓋骨を調べると、例外なく。

飢餓線というものが見つかり、なんておっしゃっていたことをなぜか、覚えていて。

ある時期の人類にとって、飢餓はデフォで、当たり前化していたわけだ。

食べ物にありつけるかどうか、それが問題だ、なんてね。

シェイクスピアの劇、なんだっけ、to be, or not to be、それが問題だ、なんてのあったよね。

思索の果ての苦悶、という絵柄だ。

片や、なんとかトロプスなんていう人士方は、飢餓線な訳だ。

それが、この現代では、炭水化物、摂るか、摂らないか、that is the questionとあいなり。

どちらも真剣だ。

 最近、こんな絵が気になっていて。

人間のカラダを覆っているという、目に見えない、オーラとでも言えるのか。

こんな層があるようで。

この中の、メンタル体に、ネガティブなエネルギーがたまるらしく。

多くは、成長していく過程での、大人たちからの、アレヤコレヤのコメント、評価、による。

無力感であったり、不安感であったり、などなど、ということのようで。

なるほど、と気をつけて見ているわけだ。

科学万能、ってのもぼちぼち、いや、違うかも、なんて時代ではあるけれど。

目を惹くのは、リアルにあるもの、であることは間違い無く。

どうしてもそこに依存しがちではあるけれど、実際には、わからないこと、目に見えないこと。

証明できなことなどなどに取り巻かれて生きている、とも言えて。

だから、大声で正義を主張することが、こっぱずかしくもあり。

いずれにしても、そんな絵柄を携えての日々ではあるのです。

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