相変わらず、若狭神宮寺づいているんだけど。
もちろん、そこから派生する、さまざまな思い、ってことでね。
とにかく、白山、若狭の旅で感得した、というのか、空気感。
あれはなんだろう、という問いかけが、自分の中にこだましている。
単純化して、明治の、廃仏毀釈、くらいに考えてもいたんだけど、先進文明から。
つまり、表日本と謳われ、自負もしていただろう地から、裏日本と呼ばれるようになった。
そんなこととも関係し。
この間、行基さんの本、パラパラ眺めていたら、小乗仏教から大乗仏教、みたいな部分で。
庶民の仏教が、貴族たちの仏教になっていったことが、ちらりと書かれていて。
善行を施し、極楽浄土へ行けるように、というような、とても、我欲のこわばった。
極楽へ行ける、善行を施す余裕のある人々の反対側に、海川で漁りすなる人々、野山で狩りをする人々。
彼らは、殺生を犯すかどで、地獄が待っている、というウタイが、ある時期の仏教でもあって。
そこへ、南無阿弥陀仏さえ唱えれば、どんな人だって、極楽浄土へ行けるんだよ、簡単なことだ。
ってのが、法然やら親鸞やら、北陸では、蓮如やら、ってわけで。
浄土宗的な、って、ここに書きつけるほど、詳しくはないけれど。
ざっくりと、ある意味、民衆を覚醒させた、と。
ある意味、あの世の奪い合い、とも言えるかね。
どう解釈するの、って具合の。
ま、それはともかく、表から裏へ、浄土の争奪合戦、くらいのキーワードで、あの、なんとも言えない。
妙に、反骨、というのか、くぐもり、というのか、白山にまつわる、被差別の民たち、とかね。
そんなところに、たどり着けるかも、ですが。
それにしても、なんだろうね、この関心の向き、ってのは。
商売、何やってるの、なんて突っ込み入れないでね。
そうだ、昨日は、「捨てられる銀行」って新書、買ってきたんだった。
森さんという金融庁の長官が、エースで4番、くらいの方だそうで、大改革を敢行中。
という。
地域の顧客にリスクを取れない銀行は消滅する、と帯には書かれていて。
先週だったかの、日経の日曜日欄、誰かが書評していたな。
金融マン、経営者、必読のスクープ、って大層な言葉も踊るんだよね。
って、ネタ、いかにも、経営者らしいでしょ。
経営者と職人の死に顔はいいぞ、と言っていたのは、誰だったか。
いいぞ、と言われても、自分じゃ、見れないんだけどね。
今日は、おじおば会が控えているんで、呑気に、ブログを書いている場合じゃない。
とも解釈できる朝ですが、どうだろう、どっち方面に向かうのか。
だいたい、長幼の序、ってのが、厳然と、おばたちの中にはあり、記憶、アイデンティティ不如意の。
わが母親に、一応、お伺いを立て、という儀式があるんだけどね。
どこへ行く?と。
そうだね、うなぎ、食べてないね、とくれば、奥浜名だし。
お蕎麦が、といえば、諏訪湖かな。
それらを按分しつつ、ドライバーたる僕が、ハンドルを切るわけだ。
この交差点、右?左?とね。
さて、本日は、どちらへ向かうことになるのでしょうか。
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