まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

「いざ、異教徒の救い主よ」を選曲した朝。

2020年04月09日 | Weblog

プリウスのエンジンをかけ、さて、今朝もホロヴィッツを聴こうか。

の刹那、リストの中の表題の曲を選んだ、ってわけだ。

異教徒、と言う言葉に反応したのか。

もともとはルターが1524年に作曲、と言うから、ずいぶん昔の話だ。

どんな曲調?

と問われても、何も答えられません、状態だけど、曲名からどんなシチュエーションなのか。

ってのが気になったし。

ググってみたら、異邦人、と言う言い方もしている。

いずれにしても、これを書いた人の心境は。

この邦の人にあらず、この教えの新参者、みたいな風情濃厚。

でも、救い主よ、現れたまえ、って具合だな。

この曲名から連想したのは、そもそも、みんな異教徒だよな、と。

それぞれ、各人各様の「宗教」と言うのか、「物語」と言うのか、そんな世界にはまり込み。

ってのが、わがホモ・サピエンスの姿かたちであり。

そこでの調整に憂き目をやつし、ってわけだ。

異教徒と言う響き、白川静さんによれば。

道と言う文字ね、異族の首を持ってその地へ進入する、が語源らしいからね。

その首を持つことで、異族の霊に護られる、と言うようなことだったか。

もともとは、アフリカのイブだっけ、出どころは一緒だったかも、のホモ・サピエンスが。

なんの因果か、それぞれにそれぞれの道を歩み、そして、ある時、異族、異教徒として出会う。

そこには、美しい邂逅のドラマと言うより、時に戦いもあったりの、凄絶な物語があったのか。

なんて事まで至る、今朝の選曲。

ほんの瞬間の事なんだけど、例えば、そのリストの他の曲を選んだとしたら、違う物語が。

ひょっとしたら、ここに展開されているんだろうな、なんてね。

そこかしこでの、選択の瞬間の連なりが人生とも言えるわけで。

その選択すら、自分でしているようでそうでもないような、としたら、一体全体誰がしてるの。

ともなるけれど。

なんてことを書き連ねているのも、昨日。

鬱症状で仕事を辞め、自宅待機、まんま自粛モードへ入っている御仁の話になり。

この時期、自分にとってはいいんです、みんなが自分と同じ状況みたいだから。

なんて話を、彼の相談者からお聞きしたわけだ。

共通の敵、共同の幻想に浸されると、ほら、思いは同じでしょ、ってなもんだ。

この辺りは、なかなか、深い話にも至りそうだけど、それすると、僕の一日が。

どこかへ行っちゃいそうだからやめときます。

 

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