まわりで起こっていること

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爪木崎へ水仙を愛でに行ってきた

2018年01月28日 | Weblog

下田の手前、須崎の御用邸近く、と言っていいのか。

天城越えをし、桜まだきの河津をぬけ、素晴らしい青の東海岸を眺めながら。

おばたち、口々に、素敵だ、気持ちがいい、の大合唱とともに。

大島の雪も見えて。

自宅を出るときは、ほぼほぼ、西方面へ、可睡斎の、石段を埋め尽くす、雛人形?

そんなネットでの写真につられ、ということだったんだけど。

新東名の分岐点、右か左かのところで、右に進路を取ることになり。

富士のお山の雪景色に、賛嘆、讃仰、の声をあげつつ。

いつものように、出たとこ勝負、ってわけだ。

結果、下田までの長の道中ではあったけれど、天城の雪景色も、難儀している方々には申し訳ないけど、とエクスキューズ入れつつ。

堪能し。

車外気温、3度から、トンネルを抜けるとそこは雪国でした、の川端康成の真逆を体験し。

つまり、河津への南下では、10度まで気温が上がり、そこへ、海と空の青だ。

青も、一様ではなく、微妙に色合いを変えていて、それも楽しみ。

ショートステイ帰りの母親を、なんとか楽しませよう、という、暗黙の共通認識の中での、車中の会話に。

上記のような、感嘆詞が混じり出すと、さらに、それは増幅し、自分たちも楽しくなる。

というしくみで。

喜びの種が播かれると、その方向性にそい、会話が弾んで行く。

これ、テストにでるところだね。

このところ、カルチャー、というのか、企業文化といってもいいのか、あるいは、集団の、と。

そんなことを、コヴィー博士由来のセミナーに参加してから、考えてもいて。

金太郎飴みたいな、つまり、どこを切っても同じ顔、なんて表現にも出会ったことがあるけど。

それとはまた、微妙な違い、ニュアンス、って感じでもあり。

カルチャーです。

経営理念というものの延長上にある、とも言えそうだけど、もう少し幅と奥行きの広いカルチャー。

という言葉での表現なんだけどね。

どこが違うの?ってなもんだけど。

カルチャーとか文化とかの用語だと、なんとなく、オートマチックな感じ、するでしょ。

自然とも言えるか。

なんの緊張感、人工感もなく、ただ、たんたんと生きてある、というような。

喜びの種が落ちると、そりゃ、周囲は喜びに満ち、というのが、デフォだけど、もちろん。

水掛け地蔵みたいな御仁も中にはいるにはいるけどね。

たとえ、辛い、苦しい種が播かれたとしても、それを次なるステップへの道しるべにして行く。

なんてのが、カルチャーなんだろうと思うんだよね。

カルチャーというのは、カルティベート、耕すから派生した言葉だと、どこかで聞いたこと、あるんだけど。

まさに、土壌作り、というのか、耕作も儘ならぬ大地に、鍬を入れ、大地と大気の循環を作る、わけで。

似ているね、集団作り、企業作りに。

もっとたくさん、書きたいこと、あったんだけど、ちょうど時間となりました、なんとかかんとか。

というお笑い芸人さんの終演みたいに、本日は終了です。

 

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