まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

オードリー・タンの「自由への手紙」が届いた。

2021年02月07日 | Weblog

のっけから、自由には、ネガティヴとポジティブの二つある。

なんて書いてあって、ネガの方は、既存のルールや常識から解放される、という定義らしく。

ポジは、自分だけでなく他の人も解放、ってことらしい。

本の帯で、すべてを理解した気になる、という癖からすると、これだけでいいか、ってなっちゃうけど。

短編小説の間に、読んでいくことにします。

昨日は、久々の10キロ越えで、節々が痛いのは、筋肉の成長ゆえか、はたまた年齢のせいか、ってなもんですが。

いずれにしても、走るのは気持ちがいいものだ。

「長距離走者の孤独」の、17歳のスミス少年に仮託して、ってわけでもないけれど。

そうだ、NHKのBSで、昭和15年だったかの映像が流れていた。

東條英機の皇居前での演説、岸信介の戦時工場での訓戒、なんての。

銃後の守り、皆さんの心掛けが最前線の兵士への助けになり、みたいな言葉が並び。

最近、どこかで聞いたこと、あるな、なんてね。

のやら、タモリの、なんて言う番組だっけ、土地土地を歩いて、地形やら何やらにコメントしながら、っての。

湯布院だった。

眺めていて、その地を隆盛に導いた人たち、領主も含め、って、大変だっただろうな、と。

叡智を集め、もちろん、労働力も、だけど。

そして、一時代を築くわけだ。

後世の我々は、呑気に論評しながらの、だけどもね。

食うや食わずの、だったり、なにかと不如意も抱えつつの営為だったんだろうな、と遠い地、遠い時に。

思いを馳せたのでした。

歴史に限らず、現代もだけど、事実ってのは、大袈裟に言えば、人の数だけあるわけで。

言葉に定着したものだけが、歴史です、なんて学校では習うけど、実際のところは。

寒い朝だったり、暑い午後だったりを、なんやかやと言いながら過ごしていた。

ってのが、個々人の事実でもあって。

なんてこと、情報過多の時代、その朝にツラツラ思ったりもしていて。

ついでに、今朝の珈琲はコロンビア、サマニエゴなのですが。

さて、今日は、久々に河岸の市へ様子見に行ってみることにします。

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