というフレーズがあるよね。
社会というものがあるんだ。
その中の人、ってのが、社会人。
同じこと、繰り返して述べているだけみたいでもあるけれど。
いつの頃から、そんな言葉が人口に膾炙したのだろうか。
なんてわけわからないつぶやきだ。
ふとね、平安時代には、そんなフレーズがあったのか、どうなのか。
山の民は山に、野の民は野に、海の民は海に、縛り付けられていた。
のかもね。
そんな中から、飛び出した御仁方もいたわけだ。
今では、野も山も海も平準化され、さらには、メディアの発達で、バーチャルリアリティって具合。
そりゃ、戦争も認知戦とか呼ばれるわけだ。
戦争がそんなだから、日常もそういう具合でもあり、これこそはと信じていたものが。
実はですね、なんて具合に、情報が開示され、という可能性があるね。
意図して開示されるものも、巧まずして明らかになってくるものも、だろうな。
どうもね、印象としては、消費至上主義とでも呼べるものが終わりの始まりのような。
そんな気がしてならないんだよな。
戦時中の産めよ増やせよ、みたいな、消費しろ消費しろ消費しろ、消費はいいことだ。
なんて共同幻想ね。
そのために働け、だな。
そんな時代が、何年くらい続いてきたのか。
100年?
すると、それしかありません、それ、世界の常識です、ってなもんで、野山海の民たちが一斉に。
なんとかブランド、なんとか新車、なんとかなんとか、ってね。
好みの色までどこかで決められ、って具合。
ま、とにかく、大掛かりな変容、変化、激変、ってことだな。
そんな構造を、今回のパンデミックでも利活用され、つまり、欲、と呼ばれるものを起点にして、ね。
という話はひとまずおいて、玄鳥(つばめ)至る(きたる)の日に出かけます。