太平洋戦争で、玉砕の島、で有名な硫黄島。
米軍に保存されていたフィルムと生き残った何人かの証言で構成された、ドキュメンタリーを見た。
もう84歳になるひとりの方は、毎朝、いくつかの湯のみに氷をいれて、それに、冷たい水をいれ、仏壇の供える。
硫黄島で死んでいった戦友のために。
生きて虜囚の辱めを受けるな、つまり、死んで来い、だね。
その命令の虜(とりこ)になった集団。
地下深く掘られた迷路のような塹壕のなかで、筆舌に尽くしがたい悲惨なドラマがくりひろげられた。
同じく、攻めた側の元アメリカ兵の方がいうには、どうして、白旗を揚げて出てこないのか、理解できなかった、と。
経済評論家の内橋克人さんも、毎朝、陰膳をあげる、と言っていた。
東京大空襲で、自分の身代わりになってなくなったおばさんのために、と嗚咽をこらえながら、静かに話していたっけ。
米軍に保存されていたフィルムと生き残った何人かの証言で構成された、ドキュメンタリーを見た。
もう84歳になるひとりの方は、毎朝、いくつかの湯のみに氷をいれて、それに、冷たい水をいれ、仏壇の供える。
硫黄島で死んでいった戦友のために。
生きて虜囚の辱めを受けるな、つまり、死んで来い、だね。
その命令の虜(とりこ)になった集団。
地下深く掘られた迷路のような塹壕のなかで、筆舌に尽くしがたい悲惨なドラマがくりひろげられた。
同じく、攻めた側の元アメリカ兵の方がいうには、どうして、白旗を揚げて出てこないのか、理解できなかった、と。
経済評論家の内橋克人さんも、毎朝、陰膳をあげる、と言っていた。
東京大空襲で、自分の身代わりになってなくなったおばさんのために、と嗚咽をこらえながら、静かに話していたっけ。
硫黄島にいったことがあります。
硫黄島付近の島で、飛行場が作れる島は硫黄島だけ
だそうです。
ここに、飛行場を作られるとB-29で東京が攻撃できる
ので、この島を死守したと聞いています。
実際に、米軍が上陸した浜を見てみると
波打ち際から約300mくらいかけて5~10m上がる
坂になっている砂浜です。
上陸時、上から銃撃されたら防御のしようがありません。
日本兵より米軍の兵士のほうが、たくさん戦死したとも聞いてます。
米軍も必死だったのでしょう。
塹壕のなかにもはいりました。
蒸し暑く暗いところでした。
このなかで、「ここを死守しなければ、東京が危ない」と
思って戦った方を思うと胸がつまりました。
擂鉢山にも登りました。
本当に艦砲射撃で山の形が変わったんだなぁ
と思わせる山でした。
この島ではどこに英霊が眠っているか
わからないから、必ずトイレで用をすませろ
と言われました。
ここまで、書いている途中で、
映画「ローレライ」を思い出しました。
英霊が命をかけて守ったこの国は
いったいどんな国なんだろう?
その国のあるべき姿は?
そして、自分はそれに対して
どう生きるべきか?
なんて、考えるときもあります。
かったるい生き方している自分がいます。
めずらしく熱くなってしまいました・・・・・。
ブログにこういうコメントが刺さると、硫黄島という言葉から、さらに、深さと広がりが加わり、ある表現世界、みたいなものが、できあがるんですね。
それにしても、macoronさんの体験・経験というやつは、多彩ですね。
驚きました。
硫黄島って、自衛隊しかいけない、とか、書いてありましたし。
後段の自問、その通りですね。
つまり、自分はその自問への答えとして、どのように生きて行くのか、と。
自分は、この国にたいして、この地球に対して、なにができるのか。
macoronさんの熱さ、伝わってきました。