まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

左膝、痛し

2024年09月24日 | Weblog

昨日、トレセン周囲の坂道を走ったら表題となってしまったので、今日は、からだ工房らくださんへ行こう。

と思っている。

予約できると思っているんだけどね。

22日のお彼岸の夜、9時44分に秋分点ということだそうで。

その時間、すべてが元に戻り、そこでこれから目指すことを宣言するとそれが通りやすくなる。

なんて話を聞いたので、「すべての人は天才!」とした。

今朝もそうだけど、それ以来、つまりお彼岸を過ぎて、秋の風だ。

季節は巡る。

こちらのさまざまな思惑とは別のところで動いている気配があるんだな。

大きな流れだ。

つい先日、大本教の出口王仁三郎のお孫さん、出口光さんという方の動画に出会って。

その中で、結界、というのが、こちら側とあちら側の結びの点で、そこに立っていることを中今という。

なんてことおっしゃっていて。

ふむふむ、とうなづいた次第。

季節の巡りもそうだし、直感のように訪れるものもそうだし、物質世界と精神性界の境目というところに訪れるものがある。

それはおもしろい。

斎部広成という人がまとめた「古語拾遺」という文庫本をブックオフで手に入れたんだけど、そこに。

天岩戸びらきで天照大神が出て来た時に、そこにいた神々が、面皆明白し(おもみなしろし)となったとある。

おもしろし、とは、前面がパッと明るくなって気が晴れる、ということだ、というんだね。

おもしろいことをやり続けることは、そういうことなんだ。

これもおもしろいね、とあいなり、さて、本日に出かけるとするか。

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日に新たに日々に新たに

2024年09月23日 | Weblog

また日に新たなり。

なぜか、今朝はこの言葉が頭の中をへ巡っている。

毎朝、顔を洗うときに唱えながら、ってことだけど。

くどいけど、古代中国の湯王、が洗面器に書いて毎朝唱えた、という逸話が残されている。

それを真似して、ってわけだ。

しかし、流石に秋だね。

暑さ寒さも彼岸まで、とは言ったもので、今朝の風は秋だ。

秋分・初候が昨日の彼岸から始まる5日間だ。

雷及ち声を収む、と。

暑い暑い今年の暑さはいつもと違う、と言いながらも、彼岸花はしっかり花を咲かせ、季節の巡りはやって来ている。

昨日はたくさん写真をアップしたけれど、今日も一枚。

この間の日間賀島への珍道中の途中立ち寄った常滑。

写真撮らせていただいてもいいですか、の後、です。

こんな具合に長い年月この地では常滑焼と呼び習わされているものが続いてきた。

こちらの写真は6代目のご婦人。

左端の蛙の甕、祖父の作ったものだ、というんだね。

恐れ入るよ。

今朝もたくさんになっちゃったな。

これが地図です。

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日間賀島のみる貝は美味しかった。

2024年09月22日 | Weblog

もちろん、タコもだけどね。

いつもの旅ランでの朝焼けをどうぞ。

港を出ていく船は蛸壺を引き上げにいくのか。

朝早くに若者たちがバイクで港に乗り付け、だったな。

デジタルデトックス、つまり、スマホ・アップルウォッチを脇においての時間がなかなかいい。

ホテルの外での喫煙タイム。

百日紅(さるすべり)の花が咲き始めていた。

いい時間を過ごさせていただいた。

流れている時間が違う。

最後にこの写真で締めさせていただきますか。

東の港と西の港があるんだ。

こんな具合に島一周の旅ラン。

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日間賀島へ

2024年09月20日 | Weblog

今日明日は老老介護みたいな旅だ。

と書いてしまうのも、これまた、洗脳教育のなせる技でもあり、だな。

60、70、80、90代の勢揃いだったんだけど、残念ながら90代は今回は急遽の取りやめ。

今度ね、って具合だ。

ところで、昨日の朝、東の空が神秘的だ、なんて思ったら、彼の地では雷雨、大粒の雹とか降ったみたいで。

と、今朝も、こんな感じだった。

単なる朝焼けとも言えるかも、だけど、実際に見た感じはもっと神秘的なものだった。

いずれにしても、人智叶わぬ諸々のことがそこここで起こっているとも言えて。

中には、人工的に起こしているものもあるんだろうけど、その起こそうとした人士方の源には人智を超えたものがあるわけで、ね。

自然とも、宇宙とも、それこそ昨日も書いた空即是色ってことでもあるか。

さて、今日に飛び出すとするか。

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言霊(ことだま)

2024年09月19日 | Weblog

昨日は、同友会の50周年ということで、その歴史を彩る格言カレンダーの編集をしている方がお二人で来社。

光栄にも、僕の言葉を取り上げてくださるそうで。

あれやこれやのよもやま話だった。

今流行りの、動画を撮らせていただき、QRコードを貼り付けます、というので傍では撮影しつつ、と。

言葉ね。

その言葉の意味という面とそのうらがわのエネルギーだけの面というのか。

色即是空空即是色の世界とでも言おうか。

見えるものと見えないもの。

時折しも彼岸だ。

岸のあちら側と繋がる日。

春と秋とこの言葉が日常的に使われているのはとてもすごいことだな、と思うね。

今更ながらだけど。

今だけ金だけ自分だけ、への反省も込めての日々となるかもな。

時あたかも、人工的な、人間のみ主導の世界観が崩壊しつつあるという見立ての中でもあるから。

宗教教団が必要だ、というのではなく、人それぞれの中に眠る、あちら側とのなんらかの関わり。

そこんところが、実のところ、「明日の学校」ではテストに出るところでもあるんだな、きっと。

あちら側、空と断じて仕舞えば、力が抜けるほど鮮やかになり、かたやこちら側は色、力が入るほど鮮やかになる、というような見立てか。

空が色で、色が空です、というわけだ。

これが頻繁に出てくる般若心経は、三蔵法師がまとめたと先週の母親の一周忌でご住職が話されていた。

諸説ある、んだろうけれど。

ま、そんなわけで、言霊めぐる世界へ出かけることにします。

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朝の走り

2024年09月18日 | Weblog

いわゆる平日走り、ってのが定着しつつあるのか。

今日は水曜日。

週の中日だ。

だいたい2km、カロリー消費量200くらい。

すっかり走りおじさんになっちゃった感があるな。

もっと速くもっと遠くへ、という資本主義精神てんこ盛りの姿からの解放、なんての目指してるのに。

これがまた、幼い頃からの洗脳教育ってのは強固で。

今朝も、4年前に走り始めて、初めて6分/kmを切ったので大喜びしてる自分がいるんだ。

もちろん、そのことに罪悪感はないけれど、困ったもんだと内心の連呼ってやつだ。

巴川周辺はこの時間だと秋の気配濃厚だ。

昨日は中秋の名月観れず、ではあったんだけど、季節は巡るわけだ。

同時に、時間は流れていく。

それを無常と見るか、健常と見るか、大きな違いだ。

両方あっていいんだろうけど。

さて、本日に出かけます。

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草取りの遺影

2024年09月17日 | Weblog

表題は、母親の何枚か、あるいは何百枚かの中に、一枚あるんだ。

草取り。

一雨降ると草木の緑が一気にいやます。

あっという間だ。

それにたじろいで、そのままにしておくと、手もつけられず、なんて具合だ。

だから、ラウンドアップなんていうのを撒いて、という発想になるもんだ。

草ひとつ生えない庭、土を作り出しちゃうって算段だ。

科学の進歩だ。

というなんとも、人工的な、自然は改変することができるんだ、みたいな考え方だな。

そのおかげで欧米では、ラウンドアップなんてのは使えなくなっちゃってるようだけどね。

そんなことは置いといて、母親の遺影で気がついたのは、日常的に、僕らの知らないところで草取り、してたんだな、って当たり前のことなんだな。

相撲で言えば蹲踞の姿勢みたいな、膝も腰も股関節も折り曲げ、だから、そこらが痛い痛い病の人には無理だ。

膝が、腰が痛くなったら一大事という時代がずっと続いて来たんだろうな。

なにせ、自分の住むところ、寝るところが草に覆われちゃうんだから。

これ、大袈裟でなく、福島の原発でどこかへ逃げざるを得なかったコンビニかなんかの庭、写されていたけれど。

何年かしたらほぼほぼ野生状態、なんてのあったからね。

だから、少々反省して、草取りの日常化、ってのを考えているのであります、という僥倖にね、出会ったわけだ。

なんたって、草取りできる庭があるんだからね。

ということです。

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走っちゃいけない

2024年09月15日 | Weblog

歩きなさい、と言われているらしい。

というのが、母親の一周忌でやって来てくれた甥っ子。

筋トレをしているらしく、個人トレーナーについて指導してもらっているというんだね。

脂肪を燃やすのはいいけど、どうかすると筋肉をエネルギーに変えちゃうんだ。

だから、表題だそうで。

ふむふむ。

このところ、痩せちゃったからな、と我が身を振り返ったのでした。

このあたり、少し勉強してみようかな。

そういえば仕事先の社長、自分の食べた分を写メしてトレーナーに送っていたりしたな。

あの類かもな。

彼はライザップで一挙に体型を変え、今では筋トレオタク風の味わいなのかもな。

いずれにしても、母親の一周忌は楽しく朗らかに終わった。

普段はなかなか会えない人たちが集まり雑談に花を咲かす。

それはそれでとてもいい風習だな、と思うんだよね。

コミュニティーとかなんとかハイカラな言葉が並びがちだけど、実を取るというのか。

そうだ、ハイカラといえば、わがchatgptに、介護予防云々について聞いてみたら、もうね。

カタカナ語満載なので、おいおい、それ、日本語に置き換えてくれよ、とリクエストしたらやってくれた。

素直は素直なんだよ、彼だか彼女だかは。

なんてことはto be contiuedということにしておきます。

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清海橋(きよみはし)という

2024年09月14日 | Weblog

今まで間違えていたな。

晴海橋と読んでいた。

富士山が秋の空に、だ。

途中、水神社へも寄ってみた。

お水神さんと呼びならわしている。

寛永年間(1624〜1643)清水町の海岸一帯に数回に渡り津波が襲い大きな被害を受けたので風濤鎮護のために巴川の中洲に水神をお祀りした。

と立て札には書いてあった。

やっぱり津波は来ていたんだね。

 

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哀れ蚊に刺された

2024年09月13日 | Weblog

骨ストレッチなどの終わった後、珈琲を淹れながらの足首あたりに、だ。

哀れ蚊というにはまだまだの暑さ、ということでもあるけれどね。

そう、今朝の珈琲はモカ。

エチオピアはイルガチェフェという、どうだろう、県なのか市なのか、そこのコケ村から届けられた。

はるばるやって来てくれたもんだ。

この間、焼津で出会った84歳のもとマグロ船乗りの御仁が、豪州まで1ヶ月かかる。

ということだった。

さらに昔、人類はあちこちへ船旅をしていたらしいね。

竹内文書には、日本列島から世界へ旅立っていった、なんて記述もあるらしく。

伊勢内宮の近くにある修養館の館長が、おっしゃっていたな、以前訪れた時に。

イスラエルから大使がやってきて、日本へはイスラエルからやって来たという記録だか記憶だか文書だか。

そんなのがあるんですよね、だから、イスラエルというのかユダヤがご先祖さま。

くらいの、ちょっと上から目線的に語ったのへ、中山館長とおっしゃったか、くだんの御仁。

こちらへ来るということはもともとこちらから行ったからここがわかったんだよね、なんて応じた。

どこまで負けず嫌いなんだよ、ってなもんだけど。

そんなことも思い出されるな。

さて、モカの朝を経ての本日、白露・次候へ出かけるとするか。

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