うちの長男坊が、悩んでいる?らしい。
二年前くらいから。
気がつかない、気がきかない。
というようなことで。
今の現場が、体育会系のノリの人が多くて。
気を利かすひとが、多いらしい。
たまに、意識して、気を利かすと。
お、お前、できるじゃん、みたいな反応らしく。
これも、おもしろい話で。
実のところ、僕は、わりと、気がきくほうでね。
ところが、見方を変えると、それも、悲しい性とも言えてね。
夫婦仲、芳しからぬ両親の間を、駆け抜けてきたわけで。
そりゃ、日々、きたえられるわけだ。
家庭内をながれる空気をよむのが、自然と、身についてしまうんだね。
習い性になる、とでもいえば、いいのか。
話かわるけど。
僕は、父親としては、口数少ないほうなんです。
明治や昭和の父親像、なんてのが、まことしやかに、語られるでしょ。
昔の父親は、これこれこうで、みたいなね。
だから、今の親は云々、という結論に至るんだけどね。
あの類の言葉は、実のところ、ここだけの話、ほとんど、スルーさせちゃってます。
内緒ですけど。
縄文時代にかかれた木簡が発見されて。
そこに、墨で書かれてあった。
いまどきの父親はしょうがない、って。
という笑い話あるでしょ。
あれですね。
って、前置きはいいとして。
それでも、三つだけ、子どもたちには、言ってきたかな。
お茶碗にご飯粒、一つも残すな
座った椅子はもとにもどせ
自分より弱いものはいじめるな
このくらいかな。
なかなか、かっこいいじゃんね。
えらく、話がそれちゃったけど。
気がきく、気が利かない、ということより、フラっとにね。
まわりで起こっていることを、フェアに、たんたんと、受け止める。
とでもいうのかね。
自分の中に閉じこもらず、自分でいる、というか。
例のわたしはわたしです、というポジション取り。
って、ますます、わかわkらなくなっちゃったかな。
今日は時間がないので、長い文章になってしまいました。
のです。