まわりで起こっていること

since2004.12「糠漬け初心者」

月影

2010年12月15日 | Weblog

グランシップで、親鸞展をやってまして。

日曜日、行ってきたのでした。

 

 月影の 

 いたらぬ 里は なけれども

 ながむる 人の

 こころにぞ すむ

 

という歌が、親鸞聖人のものです、と掲示してあった。

いや、師匠の法然さんかな。

この意味が、よくわからなくてね。

ひょっとしたら、この歌が、腑におちたら、親鸞が一生かけてたどり着いた境涯に、こちらも、たどりつけるかも。

なんて、予感もしたんだよね。

この月影、ってのは、ネット検索すると、阿弥陀如来の光明の喩えだそうで。

時間も空間も超えた、無限の光、だというんだけどね。

だから、どんな場所にも、例外なく、射し込んでます、と。

そういうわけで、澄んだ心で見れば、だれのこころにも、住んでいるんですよ。

というようなことかな。

だから、なに?

なんていわないでね。

聞いたわけじゃないから、わかりませんが。

たぶん、親鸞さんは、どこかの時点で、これか、って、気づいたことがあったんだろうね。

だから、法難にあっても、南無阿弥陀仏を称えつづけた。

この法難というのが、古い仏教界からの弾圧で。

たとえば、時の後鳥羽上皇の何番目かの奥様の頭を、出家したいというから、剃っちゃったんだよね。

後鳥羽上皇、いたく、激怒して。

親鸞さんの兄弟弟子、4人だったか、斬首刑になっちゃったわけだ。

親鸞さんと法然さんは、辺地へ、流され。

今の世で言ったら、どんな例があるんだろうね。

茶髪にしたら退学。

なんていうのは、もうないか。

明治時代だっけ、男女七歳にして席をおなじゅうせず、なんてのもあったしね。

今となれば、たわいもないことでも、時代時代で。

そりゃ、たいへんなわけだ。

仏教にも、そんな歴史の数々が、あった、ということですね。

 

コメント
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