気まぐれ日記☆着物の小部屋

2007年耳下腺癌の手術で顔が変わり、生活が一転。街歩きと着物と芝居のブログをどうぞ宜しく♪

北海道新幹線開業♪ 目のレーザー手術

2016-03-29 00:22:22 | 病気・後遺症

26日の東京駅

このグリーンの新幹線が北海道へ行く。赤は秋田へ   連結部です。

 

車内です。 やってくるのは誰???

 

パフォーマンスなのね

 

お出迎えです。

 

 

私達が乗ったのではありません

息子が東京からの一番電車に乗りました

 

家族4人のlineに、今どこそこにいると連絡が入るのですが、写真を送って来ない

やっと送ってきたのは美味しそうなお寿司の写真。

違う違う・・・・・見たいのは駅とか車内なのに~~

夫は 「本当は行ってないのかな」 などと言いだす始末。

やっと27日に写真が届きました。

ピカピカで初々しいです。

 

息子は同じ日に飛行機で東京にとんぼ返りしたそうです。

もったいない

 

 28日、眼医者へ。

花粉症で痒くて・・・そして何だか見にくいので 検査してもらいに行ったら、ナント右目の視力が矯正して0.6しか出ない

前回の検査では1.0位あった。

この2か月ぐらい、ぼやけて全く本が読めなかった。

眼底検査をするための待ち時間は、もうこのまま見えなくなるのかしら、75歳ぐらいまでは何とか見えて欲しいけど・・・・

などと不安になった。

 

検査の結果、後発性白内障というもので、レンズは綺麗だけれど、周囲の筋肉から白い膜が張出し、見えにくくなっているとわかった。

「大丈夫ですよ。すぐ手術しますから」 と先生のお告げがあり、すぐにレーザー手術。

明日には普通に見えるそうだ。

思いがけないことが起こります。

遠い病院なので、即日手術で助かりました。

体で何か変だと思ったらすぐに医者に行く事が大事ですね。

 

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友を悼む

2016-03-23 00:44:12 | 病気・後遺症

 9年前、私が入院していたのは ガン専門病院の6階。

6階は頭頚科で、首から上のガンの患者が入院していた。 甲状腺ガン、咽頭ガン、顔や頬や歯茎のガン、私のような耳下腺ガンなどなど。

私の部屋は4人部屋。 とても明るい方が多くて、昼間はカーテンを開け放し、交流を楽しんだ。

とは言ってもそこは病院、声を出せない方も、体の動きが不自由な方も、手術後すぐの方もいた。

 

 そして退院すると、他の部屋の方も含め、5人ほどでランチ会を開いた。

私はスカーフで頬かむりをし、他の方は傷痕を隠すために首に全員スカーフを巻いていた。

皆顔色はどことなく病み上がりで、体の動きも変だけれど、「皆スカーフを巻いているなんてお洒落~~~」 と笑いあった。

Mさんとはその席で知り合った。

 

 それから9年、3月18日にMさんが亡くなった。 62才。

Mさんのガンは原発不明のガン。 元のガンの場所がわからず、転移のガンだけが次々発見されるという厄介なガンであり、

数年前から、ポツッと、首のあたりにガンがあった。

自分で自分の治療方針の決断をしていくのは苦しい事であり勇気のいる事だが、

彼女はぜんそくの持病があるため、抗がん剤治療を受けず、民間療法に賭けた。

 

 ガン友3人か4人で毎年2、3回、ランチしたり、お出かけしたりしていた。

皆それぞれに、親しい友がいるのだけれど、ガンの事を心置きなく話せるこの場は、心安らぐ貴重な場だった。

彼女は小さい体、若々しい姿でお洒落。いつも目をキラキラさせていた。

去年の春には立川の昭和記念公園に4人でチューリップを見に行き、植物好きな一面も初めて知った。

これからもずっと皆でこんな楽しい日を過ごせると思っていた。

 

 去年の11月頃に、彼女が緩和ケアに通っているのを知ったが、自宅療養のためお見舞いに行けなかった。

最後に会ったのは、亡くなる20日前。

肺炎で入院、いつも会っていた3人に、会いたいとメールが来た。

やせ細ってはいたが、目に力があり、思い出話をしたり、お姉さんも交えて、5人で笑いあった。

「お腹が空くのよ。でも食道が細くなってしまって、通らない・・・・・」

病室を一歩出ると、あまりの痛々しさに、3人とも無口になってしまった。

でも、会いたいと言ってもらえて、本当に嬉しかった!!

彼女の覚悟を感じた。

 

 ガンを体内に抱えながら、病気のご主人にかわって、仕事をし、力いっぱい生き、

そして今やっと落ち着いた時期だったのに・・・・・彼女の死が残念でならない。

 

    ご冥福を祈ります。 貴女の事は絶対に忘れません。

 

 病院で知り合い、お互いに連絡を取っていたのは8人。

でも4人亡くなってしまいました。

私の場合は10年目にして転移もなくこの先もたぶん大丈夫でしょう。

今 「死ぬならガンが良い」 などという医者がいますが、不安を抱えながら、決断を迫られながら生きる大変さは

どの病気でも変わりないと思います。

軽々しく、ガンは治る病気とか、言わないで欲しい!! 今の私にはグサッときます。

 

 話を変えて

  最後の作品です。 最後なのでデカデカと(笑)

          

 手描き布絵を習っていましたが、辞める事にしました。

遠い、重い(道具が)、太極拳と重なる日が多いのが理由。

でも集中している時間がとても好きなので、また一人でコツコツ始めるかもしれません。

 

 

 

 

 

 

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退職記念・伊豆旅行

2016-03-15 23:29:59 | 旅行

 このブログに書いておけば、ふと読み直した時に 子供たちへの温かい感謝の気持ちを思い出すでしょう。

どんなに喧嘩をしても、私が年とって忘れっぽくなってもね。・・・・・・

少し大げさですね。 でも嬉しい出来事でした

 

少し前の退職記念旅行の話

 2月に夫が退職した事を書きましたが、しばらくして娘から 「2月の27、28日は空けておいて」と連絡があった。

夫は 「何だろうね~、何だろうね~」 と言いながらも何かを期待し、嬉しそう。

予定日の一週間ほど前にlineで連絡が入り、伊豆方面旅行にご招待との事

今まで、家族行事は全て親がお金を出していたのだけれど、まさか子供たちからご招待があるとは!!信じられない!!

それも私達夫婦と息子、娘4人そろっての退職記念1泊旅行。

 だいぶ前の事なので、観光地の説明なし、写真でザッと紹介です。

 

  2月27日  品川駅で待ち合わせ、9時過ぎの新幹線で三島へ。昼ごろ到着。

まずは予約しておいてくれたうなぎ屋へ。

このうなぎ屋が有名らしい。

順番待ちの人数が半端ではなく、30人位いた。2時間待ちはざらにあるらしい。

私達は予約をしていたけれど30分ほど待ち、店内へ。

 

ウナギが、ホコホコに柔らかく、多分人生の中で一番美味しいウナギだったわ

並ぶ人たちの気持かよくわかる~~  遠くから食べに行く価値ありです

 

         

         歩いて三島大社へ。

         花粉症の娘はマスクでほとんど顔が見えない。

   

 三島は水の街、水を汲むとギッタンバッタン人形が動き出す。     アセビが花盛り。

 

楽寿園という公園があり、建物内部の見学ができた。

三島駅に戻り、レンタカーを借り、

         

         韮山反射炉へ。

 

その後 本日のメインイベント、三津浜の旅館へ。

 

 古い旅館でしょ。 目の前が内浦漁港です。明治22年創業。

登録有形文化財に指定されている旅館。

 http://mitoyasudaya.com/index.html

 

                

夫と息子の部屋。 2間続きでとても広い。

廊下に炬燵が置いてあり、ここから富士山を見る事ができる。

炬燵に入り、お茶を飲みながらの富士山観賞なんて理想的・・・・でも、曇っており、富士山が見えず、残念

橙色に囲まれているのが、男性陣の部屋。

4人でも充分寝られるのに、私と娘は隣の部屋が用意されていた。 少し狭いけれど、同じような作りだ。

建て増しもされているようだが、私達が泊まったのは多分、最も古い部分らしい。

私達は1階だったが、私達の真上の部屋は、太宰治が昭和22年から1か月宿泊し、「斜陽」の大1章と、2章を書いたそうだ。

こんな由緒ある旅館を選ぶなんて、ニクイ~

            

写真では上手く伝わらないけれど、魚介類が新鮮。

このほかに カサゴの煮つけが付いていた。これが美味しい事!!

 

翌28日

漁港で、日曜市が開かれていた。

新鮮な魚、干した魚、どれもこれも欲しいけど、新幹線で帰るので、たくさん持てない。

シラスと、アジやサバ、サンマのみりん干しや開きを買った。

ミカンは今が旬、沢山の種類が出ていたが、この近辺で食べられているのは寿太郎という種類だそうだ。

 

9時前に宿を出発。 車で1時間ほどの河津に桜を見に出かけたが、道は渋滞。   諦めた。

満開の河津桜を見たいという人が多いのはわかるけれど、こんな近くにいても見られないとは!!

目的変更、修善寺へ。

 

                   

 

修禅寺梅園。  梅越しに富士山が見えるかと期待したけれど、見えず残念!!

 

沼津御用邸

 

沼津港の 大型展望水門びゅうお

びゅうおの上からの景色。天気は良いのに富士山が見えないわ。

 

沼津魚市場で,金目鯛煮付けと、しらす丼の昼食。娘はマグロ煮付け丼、夫はお刺身。

 

4時ごろ、レンタカーを返し、新幹線に乗った。

 

 社会人として中堅どころの子供たちだが、親に感謝する行事なんて初めて!!

それだけ落ち着いて生活しているという事でしょう。

御招待旅行なんて、一生に一度の事かもしれないけれど、感謝しつつ、4人で大いに楽しみました。

ありがとう~

夫は帰ってから、何回も 「楽しかったね~~」 を連発しておりました。

元気なうちに退職して良かったそうです。

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NHKスペシャル 「風の電話」

2016-03-11 13:11:56 | その他

 東日本大震災から5年。

亡くなられた方の追悼の意を込めて、 あの時間に静かに手を合わせたいと思います。

 

 今日は外出する気もおこらず、あの日あの地震と その後に続く被害の報道に驚愕した日々を思いおこしている。

地震の時は立川の古いビルの5階で和裁のお稽古でしたが、鉄筋コンクリートのビルがギシギシ軋み、今にも壊れそうな恐怖。

揺れが一時おさまった時には、6、7人いた和裁の仲間達は皆興奮でおかしくなり、

ただただ喋りつづけて、恐怖を隠し、何が起こったか確認しようとしていた。

 

けれど、家に帰ってからの恐怖の方が大きかった。

刻々と知り得た被害状況の大きさに、ただただ驚愕の連続。

そして原発事故。

高度な先進技術を誇ると言われた日本がいかに脆弱なのかを思い知らされた日々だった。

 

 家族、友を失い、生活基盤を失い、ふるさとを追われ、今なお避難生活を続ける方々。

日本の歴史に残る大災害に今も苦しむ人たちが多くいるという事を 絶対に忘れてはいけないと思うし、

今自分に何ができるかを考え続けていきたいと思う。

5年たち、ともすれば忘れがちの自分に、3月11日は喝を入れる日としていきたいと思う。

 

 3月11日にちなみ、東日本大震災関係のテレビドキュメントが多く放映されている。

できるだけ見るようにしていますが、心に残ったのは10日・NHKスペシャル 「風の電話」

 

 

 津波で大きな被害を受けた岩手県大槌町。

海を見下ろす高台の庭園に、不思議なたたずまいの電話ボックスがある。その名は「風の電話」。

中にあるのは、線のつながっていない黒電話と1冊のノート。亡くなった、あるいは行方不明になった家族や友人と

もう一度言葉を交わしたいと願う人々がここで受話器を握り「会話」をする。。

復興が徐々に進んでも、大切な人を失いなかなか前に進めずにいる人たちが数多くいる。

口に出すことのできない思いを抱える人たちにとって風の電話は大切な支えになっている。

 

 番組では 電話ボックスに入った人達話の内容を録音し、放送していた。 (もちろん許可を得て)

父母、妻、子供を亡くした男性は、壮絶な寂しさを語りながらも、

「彼らの事は忘れない。忘れたら誰も彼らが生きていたことを覚えていてくれないから」と語っていた。

電話ボックスの中の言葉は、短い、切れ切れの言葉が多かったけれど、それぞれの人達の5年間を思いおこさせ、

涙を禁じ得なかった。

 

これからも沢山の震災関連番組が放送されるだろうが、できる限り見て、

せめて、東日本大震災を忘れ無いように心がけていこうと思った。

 何かできる事があるかもしれないとアンテナを張っておこう!

 

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花粉症と ひな祭り♪ 2つ

2016-03-08 00:04:38 | その他

 花粉飛び交うこの季節!!

目は痒いし、クシャミは出るし、頭は重いわで さんざんです。

年に一度はあるのですが、29日と1日は、だるくて身動きできず、ずっと寝ていました。

先週は水曜から予定が詰まっており、こんな調子では無理かと思っていましたが、

動けば何とかなるもの・・・・・ぼやっとしながらも つつがなく過ごしております。

 

つつがなく??・・・・・いえいえ、色々と失敗続きで、頭の老化が激しいようで お恥ずかしい事

その話はまたいつか 

 

3月4日はブログ仲間とお雛様の会

      ラッシーママさんがご自宅に招待して下さいました。

      参加者は、ラッシーママさんだんだんさんnao♪さん、そして初めて参加のtonaさん 私の5人。

 

       tonaさんは、お名前は知っていたのですが、訪問したことがありません。

      ラッシーママさんが、「絵がお好きで、共通の趣味がありそうよ」と教えて下さって、知り合う事ができました。

      私は美術展に結構行くのですが、ブログには一部しか載せず、殆ど見っぱなし

      tonaさんのブログには丁寧な絵の紹介と記録が載っており、触発される部分が多くありました。

      ラッシーママ素敵な方を紹介して下さって有難う

 

      私は 自分からブログ友達を増やすという努力をしない 怠け者なのですが、

      友人が友人を紹介して下さって、ブログ友の輪が広がっています。

      親切な友人達に、ホント感謝しています。

 

駅に迎えに来て下さって、まずはお庭拝見

植木屋さんが入っていて、ぶどう棚の制作と柿の木を植え替えていました。

これはデコポン。 最近果物の木を増やしているそうです。

ラッシーママさんのお庭は、季節が違うと全く表情を変えます。

これからは新鮮な果物収穫の楽しみが増えましたね。

 

家の中でお喋りしながら、吊るし雛を鑑賞。

アレッ 見た事のない新しいお雛さんが沢山いるわ

          

兎と亀と、カエル君までいる  皆様、写真を大きくしたので、よくご覧になってね。 

まぁ~~~  ビックリです。

食卓の上も花盛り

だんだんさんが、お国の名物、ひな祭りのお菓子「いが餅」作ってきて下さっって、盛り上がり最高潮

じょうしん粉と餅粉をこねて、型に入れ、餡も入れて蒸したもの。とても手のかかったお菓子だそうです。

ラッシーさんの手作りお雛様と、いが餅で、大人のひな祭りだわ。

       

        ご馳走が並び

tonaさん持参のケーキと、ラッシーママさん名物の大きな干し柿と、いちじくのコンポートでお腹いっぱい。

 

 いつものごとく沢山お喋りして、話題は飛び過ぎで何が何だかわからなくなり、賑やかな時間を過ごしました。

何時もながら、ブログを書く方達って、表現したい事がいっぱいあって、お喋りも上手だなぁと

感心して帰ってきました。

 

 そうそう、nao♪さんと私は5時ごろ帰ったのですが、その後はラッシーパパさんも一緒にカラオケにい行かれ、

パパさんとだんだんさんのコンサートを堪能したそうです。

残念!!、いつかまたお二人の歌声を聴きたいものです。

ラッシーママさん、御招待有難うございました

       

       お人形たちにもお別れね。ありがとう

 

     

     3月2日の 立川のとあるホテル・・・・とくれば思い当たる方もいらっしゃるかもしれませんね。

 

 去年は喪中だったので参加は止めましたが、久しぶりに 立川G店主催のひな祭りの会に参加。

この催しは、派手すぎていられなくなった着物、思い出のある着物を(恥も外聞もなく) 着て

ひな祭りを楽しみましょうという会です。

こんな会です。

妙齢の方達の華やかな着物姿は、しっくりなじんでいて お美しい限り

さすがに技術の凝縮した絹の着物は素晴しいです。 

皆さんの着物の色柄をウットリと眺めました。

 

 私は前日まで寝込んでいたので、顔がむくみ、ぼやっとした顔で気分もイマイチ。

参加止めておけば良かったと後悔しきりでしたが、さすがに着物の効果は抜群

何時の間にやら華やかな気分になったのは嬉しい

   

    メモ

      私の着た着物は沖縄の紅型。型染に様々な色を手差ししていくという、非常に手間のかかったもの。

     紅型は戦争で全ての型紙を全て焼失し、存続の危機に立たされたが、東京の研究者が一部の型紙を保存していたため

     伝統模様を復興することができた。

     今は伝統の途絶えた染織物も多いのだが、紅型の復活は、関係者の努力による奇跡といえる。

     紅型に限らず染織物にまつわる物語はたくさんあり、非常に惹かれている。

     なお、私の着た着物はリサイクルを手入れしたもの。これだけの模様の新品は目の玉が飛び出るほど高い。

     街なかで、フッと出会った物。最初は帯にしようと思ったが、もったいなくて着てしまった派手ですが・・・・

         帯は叔母の若い頃のもの65年ぐらい前のものです。

 

 実は、楽しい事ばかりではないですね~。

世の赤そんなに甘くはないと実感することがありました。

 

 数年前から絶対にやりたいと思う事があり、一昨年、講座に申込んだのですが、介護があり時間が足らず、諦めました。

昨年はバタバタしていて、申し込めず。

そして今年、勢い込んで申し込み、面接も受けたのですが、定員オーバー、ナント抽選にハズレました

 

最近、コンサートなどの抽選の葉書を出すと時々当たります。

夫に言われました。

「もともと そんなに持っていない運を、応募はがき当選で使い果たしたからだ

そうかもしれませんね~

 

来年、3度目の正直で頑張ります

 

 

      

      

     

      

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2月の舞台

2016-03-03 15:22:57 | 芝居

記録なので適当にスルーして下さいね。

 

 2月の舞台です。

1月が多かったので、この月は1本だけ。

 

2月6日 作・演出 倉本聰 「屋根」 新国立劇場

      あの「北の国から」を書いた、倉本聰が主宰する富良野塾の2016年冬公演。

      東京を始め全国各地を巡回する。

            

 

      私は富良野塾の公演を見たことが無かったが、月1回の集まりの先生の勧めで観劇する事になった。

      先生はわざわざ北海道の富良野塾に電話し、一部の生徒3人と先生の分、計4枚のチケットを取って下さった。

      なんと一番前のど真ん中の席!!

      目の悪い私にも はっきり表情が読み取れ、微細な表情の変化や動きを追いかける事ができ、

      味わい深い舞台となった。

 

      朝日新聞の「天声人語」 に取り上げられたので、一部抜粋してみた

         流れる時は大正から平成をまたぐ。北海道の開拓小屋で結ばれ、9人の子をなした夫婦が懸命に生きる。

         息子2人は戦死、1人は徴兵にあらがって自殺する。

         ようやく戦争が終わると、豊かさや便利さをを際限なく求める時代が来た。

         捨てては買い、買っては捨てる。周囲が消費に浮かれる中、捨てられるものを慈しむように夫婦は古着を裂いて縄をないはじめる。

 

      北海道の不便な開拓村は息子の手で農地の拡大、機械化を果たしていたが、それは全て借金によるもの。

      多額の借金で首が回らなくなった家族は夜逃げを図る・・・・

 

       さすがに倉本聰が手掛けた芝居!!

       誠実に手堅く真面目に暮らしていた夫婦が、時代の波に飲み込まれていく様子が、ヒシヒシと胸に迫る。

       失われた自然、誠実に生きる事を失った人間達。

       この夫婦を芯に据え、大正、昭和、平成という時代を映し出す芝居だった。

       時には笑いを交えながら・・・・

       出演俳優は知らない方ばかりだったが、見事な熱演に大きな拍手を送った。

       もちろん、スタンディングオベーション♪

       良い芝居を紹介して下さっ建先生に感謝です。

 

2月7日 東京都交響楽団 「プレミアムコンサート」

               

       プレミアムコンサートとは多摩および島しょ地域においてオーケストラやアンサンブル公演を実施し、音楽に触れあうイベント。

       全て無料で音楽を楽しむ事ができる。

       今回初めて応募、チケットが当選した。ラッキ~~ 

       演目はチャイコフスキーの作品。

       友人を 気分転換になればとお誘いした

       心がウキウキするような演目ばかりで、音楽に疎い私も充分に楽しんだ。

       さすがに音楽好きの友人は注目する所が違い、一緒に行く事ができよかった

 

2月15日   シネマ歌舞伎 「棒しばり」 「喜撰」・・・・・シネマ歌舞伎は見に行ってもブログに載せていないが、これは大別格。

              坂東三津五郎と中村勘三郎の名優二人が演じる 「棒しばり」 は もう可笑しくて♪

 

              家来たちが、主人の留守酒を飲まぬように、一人には棒を縛り付け、もう一人は腕を縛ってしまう。。

              けれど二人は、あの手この手で、楽しく酒を飲んでしまうという話。

 

              去年の8月に二人の息子勘九郎と、巳之助が演じたが、熱演だが、まだまだ親たちには及ばない。

              勘三郎と三津五郎の軽みと人物描写が最高。

              もう二度とこの二人の演技を見られないと思うと悔しいです

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