気まぐれ日記☆着物の小部屋

2007年耳下腺癌の手術で顔が変わり、生活が一転。街歩きと着物と芝居のブログをどうぞ宜しく♪

義父、最後のエピソード & PET検査

2015-02-26 13:45:36 | 病気・後遺症

 今日から普通のブログに戻ります。

・・・・・・・・・・

と言いながらも未練たらしく義父の話2つ。

 

その1  義父は常々、「お喋りは好きではありません。人が集まってワイワイするのは嫌いです」 と言っていた。

      要介護3になり、マッサージのほかにデイサービスにも行けるのに、

      「ばあさんばかりの所は嫌です」と言って行かなかった。

      葬儀後、マッサージの事業所に挨拶に行って聞いた。

      「ベンチに座り、足をゆっくり温める時に、いつも隣に座った女性達と楽しそうに話していらっしゃいましたよ。

      息子が4人いるとか・・・」   

 

      エッ、あんなにお喋りして楽しむのは好きじゃないと言っていたのに

              「お義父さん、やるじゃない!!」

      義父の姿を家族以外の人が記憶していてくれたのは、嬉しかった。

 

その2  亡くなった当日、救急車が来て、警察が来て、刑事さんが来て、何回も状況説明ををしている最中に、

      ピヨン、ピヨン、ピヨンと何回も、Lineが入った。

      家族から?・・・・・ではなかった。  誰かが妊娠???  エッ???

      着信音がうるさいけど、義父の事で連絡が入るので切るわけにもいかず、放っておいた。

 

      家に帰って、ゆっくり見たら、(亡くなった友人) R子さんファミリーからだった。

      なんとなんと、新婚さん4人のうち2人が妊娠したとのお知らせで、

      おめでとうコールが嵐のように入っていた。

      そして、嬉しい事に秋の旅行の鳳来寺山で私が4人に買った安産祈願のお守りが効いたと喜んでいた。 

      半年で妊娠確率50パーセント  すごい効果

 

      何だかお義父さんも幸せコールに包まれているような錯覚をした。

 

            

            普通の公園からロケットが見えた(つくば万博の展示遺産)

 

葬儀の翌日、9日に、以前から予約していた、つくば画像検査センターで、夫婦で全身PET検査を受けた。

PET検査では5ミリの癌でも発見できると言われている。

普通の健康診断では発見できない癌も沢山あるので(私もそうだった)、癌体質の私は一度受けてみたかった。

このところ忙しい夫も ついでに受診しておけば安心と誘った。

 

まず、ブドウ糖液に発光材の様なものを混ぜたものを注射し、1時間安静にする。

癌の活動は活発なので、その部分にブドウ糖が集まり、塊が画像に映るのだそうだ。

本を読んだり、スマホはご法度。・・・・・脳にブドウ糖が集まってしまうから・・・・・

そして撮影。15分ほどで終了。

機械は一見CTとかMRIの機械に似ている。

 

3日ほどで検査結果が届いた。

夫は何にもナシ、私も再発や骨への転移などはナシ、

ただし、肺に、3・5ミリの点のような粒があった。

これは素人判断だが、癌の芽の様なものかもしれない。

でも、癌は10ミリの大きさになるのに10年から20年かかるので、まだまだ健康の範囲。

10ミリになると成長加速度が増すが、この程度では勿論癌と言わない・・・

定期検診をしながら、様子を見て行きましょう。

 

費用はかかるけれど、今後の 「もしかしたら」 に備える心構えと対策ができて、安心した。

そして、ほとんど何もナシと言う結果にホッとした。

 

 

 

                 

      

      

 

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久し振りの青空

2015-02-19 23:38:24 | 介護

 

 どこの田舎?って思うでしょ。   でも東京郊外の公園なのです。

ここはいつも散歩に行く府中の郷土の森。

もう半月もすると手前が、一面の菜の花畑になります。

 

 19日、義父のアパートの粗大ごみ収集が午後一番で終わったので、夫と散歩に出発。

今まで、役所に行ったり、片付けたり、たまに家にいてもドヨ~~~ンとしていたり・・・・・

何だか力が無くなってしまったけど、体が歩くのを欲しているのがわかりました。

歩いてみれば楽しい~~

 

              

福寿草は今が盛り。もうすぐ水仙も咲きだします。

 

 元気になったきっかけは、15日の日曜日に、大阪娘 (亡くなった大阪の友人の娘)がやって来た事

以前から泊まりに来る約束があり、今回義父が亡くなった事は知らせていません。

 

家事をサボりにサボっていたので、お掃除が大変。

それまで外食、弁当、お惣菜と、体に悪そうなものばかり買い食いしていたので、夕飯を作る気力を絞り出すのも一苦労。

献立も浮かばないので、少し良いお肉を買ってすき焼きに。

美味しい、美味しいと食べてくれ、私達もつられてバクバク食べて栄養付けました。

そして月曜日。

               

どこの美術館もお休みなので、サントリー美術館へ。

夫が、先日の補修工事のアルバイト料をくれたので、お昼も豪勢よ。

   

豆腐としょうゆ豆            カルバッチョ                野菜の素揚げ

  

玄米ご飯となめこ汁          豚肉の黒酢あえ            杏仁豆腐

ここでも栄養を付けました。

 

仕事の話(大学図書館で司書をしています)、家庭の話(新婚さんです)、姉妹の話。

若い人の話は生き生きしていて、私には珍しい話題も多く、楽しかったわ~~。

次の日彼女は仕事なので、午後にお別れ。

活気をもらいました。

 

・・・・・毎日飲んでます。

前回、つい重い話を書いてしまい、ビックリされた方も多かったのでは?

 

でもマイナス面があれば必ずプラスもあり、今回はプラス面も少々。

 

 実母は湘南にある父の墓参りによく行ってました。

母が認知症になる3年前、私は横浜に転勤となり、墓参りにきた母と落ち合い、お洒落なテラスのある喫茶店で

よくお茶したものです。

母はパンプスを履き、おしゃれなワンピースやスーツを着て楽しそう。

心がほんわかする良い思い出です。

ある程度自由に職場を抜け出すことができたので、この3年間は親孝行したなぁと今でも思います。

 

 義父の借金が、私達の30代半ばに発覚、夫は始末に追われ病気にもなり、わが家にも負担が・・・・・・

2、3年後義父の自宅を売り、ほとんど完済したけれど、

自分達が普通に暮らしていても、思いがけない事に巻き込まれることがあるのを自覚し、私もしっかり働こうと決意。

中小企業に社員で入社。その後、夜インテリアの学校に通い資格を取り、デパートに転職。

そこで役職も得て、そこそこ出世。

時代も今ほど労働力使い捨ての時代でなく、意欲があれば何とかなるというラッキーな時期に恵まれました。

大変な生活で家族に迷惑もかけたけれど、熱中できる仕事を見つけ、お洒落もでき、お金を得る面白さを知り、

人生がいっそう豊かなものになりました。

病気で57歳の時に仕事はあきらめましたが、

義父の借金が無ければ、ここまで頑張って、社会に出る事はしなかったかもしれません。

主婦としてはダメダメでしたが、自分の意志を通す仕事が性に合っていたのでしょう。

面白くて変化に富む人生となりました。

その意味では少々抵抗があるけど、義父に感謝です。

 

今は一段落したと思えるようになってきました。

まだまだ体力気力があるので、新しい生活をめざします。

これから何でも挑戦できるのですね 挑戦している時の活力が大好きです。

 

    ここぞとばかり、自分の事を吐き出しています。

    ブログに書いているうちに、いろいろな事が整理できてきました。

    皆様、読んでくださって有難うございます。

    

    なかなか皆様のブログに伺えませんが、もう少し落ち着いたら、伺いますね。

 

  

 

 

 

 

 

 

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手すり撤去

2015-02-15 01:07:39 | 介護

             

                       

 義父のアパートは現状復帰して返さねばいけない。

11日、手すり撤去のため  職人さんが来てくれた。・・・・・娘だけれど 

自慢の新しい電動ドリルを駆使し、いい金額のバイト料を受け取っていた。

この職人さん、腕が良く、手際よく手すりを外すけど、穴埋めなどの補修工事はしない。 

 

 そこで、 土曜日、私登場。

玄関、風呂場入り口、トイレ入り口、リビングにブツブツ空いたビス穴と 壁紙の補修を、

見事な技術と手際の良さで、一見してもわからないぐらいに補修してきた。(エヘン

久し振りに役に立った建築の知識・・・・・と言うほどの事もないけれど、

久々の現場、ちょっと嬉しい。

でも、建築士が工事したのに、バイト料は無いらしい。今後に期待かしら?

まぁ、楽しかったからいいわ。

元気でました

 

 

 結構、ボロボロ状態です。

 

 さすがに2年間に親3人見送るのはきつい!!

それも、3人とも病院ではなく、目の前で看取ったため、悔いはないけれど、

何とも言えない思いが残り、脱却するには時間がかかりそうだ。

 

 実母の認知症がわかり、実家に通い始めたのが15年前、

その後母は腎臓ガンで入退院、そして脳溢血で体が不自由になり・・・・・

その頃私は自分の病気で数回入院し、最後の大きな手術を控えていた。

妹と交互に実家に泊まり込んだが、いつまでも続くはずもなく、

6年半前に私の近くの老人ホームに入ってもらい、週2、3回通った。

 

 そして母は一昨年の1月に亡くなり、その年の夏に義両親を近所に引き取り、

義母をアパートで看取った。

残された義父は上手く歩けない状態。

これからどうなるだろうと不安がいっぱいの中の介護だったが、

だんだん歩けるようになり、髪も黒々と若返ってきた。

そして突然の死。

92才の誕生日前日だった。

3日に亡くなり葬儀は8日。花に囲まれた家族葬で見送った。

 

義母は浪費家で性格破綻者。義父は借金大魔王。

でも夫は両親の最後を見捨てなかった。

多大な迷惑をこうむってきた我が夫婦だが、

義両親の終末は幸せなものだったと自信を持って言える。

矛盾しているようだが、悪い事をしても(犯罪ではないけれど) 幸せな老後が待っている事もある。

 

 

 やっと肩の荷が下りたと思う間もなく、ドドーンと疲れが襲ってきた。

 

 介護中は、イライラする事や、怒りっぽくなっている自分に気が付き、

鬱々となる事もあった。

でも、今はもう終わりなのよと、毎日自分に言い聞かせ、

次の生活を探っている状態。

 

親の老後ではなく、ようやく、私達夫婦の老後を考える時がやってきたようです。

 

   

 

 

 

 

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突然のお別れ

2015-02-05 15:41:28 | 介護

  義父が天国に旅立ちました。

 

原因は脳出血、眠るように安らかな最後の顔でした。

もう息はありませんでしたが、救急車が来るまで、ずっと頭を抱いて、話しかけていました。

 

一人の時に亡くなったので警察が来ましたが、

刑事さんの 「介護を尽くしてらしたので、家族皆に看取られて亡くなったのと同じです。

         幸せな最後でした」  と言う言葉に救われました。

刑事さんは様々な死を見ているので、こんな優しい言葉が出てくるのでしょうね。

 

前日、一緒に昼食を食べた時は、混ぜご飯が美味しいと喜んでくれました。

そして、「かつ丼しばらく食べていないなぁ」 とか 「かんぴょう巻が食べたい」 とか、元気いっぱいでした。

 

100歳までは生きると思っていたので、あまりにあっけない幕切れに驚いています。

ショックではありますが、最後まで人生を楽しんでいた事を思うと、

近所に引き取って良かったとつくづく思います。

安らかに見送ります。

 

    しばらくコメント欄を閉じますが、またの再開まで 皆さまお元気でね。

 

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