気まぐれ日記☆着物の小部屋

2007年耳下腺癌の手術で顔が変わり、生活が一転。街歩きと着物と芝居のブログをどうぞ宜しく♪

久々の着物 & 1月の舞台

2016-02-27 00:08:58 | 芝居

 久々に着物写真です。

   

12月に和裁のお稽古          ウールの着物、合繊の野菜半幅帯(カタログで気に入り、取り寄せてもらった〉

                        両方とも立川G店で購入。帯留は母のブローチ。

               

       正月・浅草歌舞伎に着て行った。               沖縄旅行の後猛烈に沖縄物が着たくなった。

       友人から裁ったものを頂き、自分で仕立てた。     まだ働いている頃に買った久米島紬。

       自作唯一の袷仕立て(裏付き)で、お気に入り♪     痩せてしまい迫力負けして着られなかったが、

                                         今は体重も増えしっくり着られるようになった。〈10年ぶりに手を通した)

                                         紅型帯は上野のバザーで買い、ほどいて洗い、新しい帯芯で仕立て直した。

                                         帯芯の方が高かったわ

 

                        

 だんだんさんが紹介し、ラッシーママさんはじめ皆さんが作ってらっしゃる大根の漬物、私も初めて作りました。 

三温糖、生姜、梅干しが入っているのでコクがあって美味しい

友人2人への気楽な手土産にしたらとても喜ばれた。

あっという間に一瓶しかなくなってしまったのでまた作らなくちゃ。

 

 

これは母の「ほたるぼかし」という小紋。 

仕付け付きで綺麗にしまってあったが、小さすぎて着られない。

たぶん70代後半ごろに作ったもの。

一度も手を通さないなんて着物が可愛そう。 直しているが、いったいいつまでかかるやら

内揚げという、胴の部分の縫い代をほどき丈をだし、両脇をほどいて幅を出し、裄丈(袖の長さ)を出している。

胴裏(裏生地)の足りない分は継ぎ足し・・・・・・で、とても、とても、大変です

 

 1月2月の舞台です。 自分の記録なのでここは適当に飛ばしてね。

去年は、歌舞伎に入れ込み過ぎたので数が多くなりました。今年は反省。

なるべく費用が掛からないよう工夫しながら、この趣味を大事に続けていこうと思います。

 

1月5日 国立劇場

                

 菊五郎、菊之助、時蔵   大詰、狐の礼三(菊之助)が、山王稲荷の鳥居の上で大立ち回り。

                  菊之助の美しさと華麗な動きに目を奪われた。

                  私が見た1月の歌舞伎で 最も素晴しい場面であった。

 

1月9日・11日  新春浅草歌舞伎 今注目の若手達が中心の歌舞伎。

                      毎年、浅草寺で初参りを楽しみながら、アイドルのコンサートに行く気分で歌舞伎に行く。

                      お正月には絶対これは欠かせない

                             

        1月9日は昼の部・・・・・・・三人吉三と源氏店

        1月11日は午後の部……気分が悪くなり、見ずに帰った・・・・・返す返すも悔しい

 

1月18日  歌舞伎座にて 歌舞伎同好の方達と、毎月積み立てをし、良い席で見ている。

         いつもは3等席なのに、この日だけは1等席

         なのに、この日は大雪のあくる日だった。  

         開始を遅らすこともなく、定時の11時開演。

         私は10時15分頃入ったが、観客は1/3もおらず、ガラガラ状態だった。

         12時過ぎにはだいぶ埋まったが、こんな日には開始を遅らすなど、臨機応変の対応も必要ではないだろうか?

          

          吉右衛門、染五郎、玉三郎などが出演していたが、朝のバタバタで、記憶が薄れてしまった

          何とももったいない事です

 

1月14日 元禄港歌   (前出)

               

 

着物と舞台・・・・・止められない趣味です。

           これができなくなったら、ぽっかり心に穴が空きそう。

           舞台はこれから少なくするつもりですが、

           人の声と肉体から発するエネルギーに触れる事は、自分の力となっています。

           もう病気ですね~

           

 

 

 

 

 

 

 

 

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春の訪れ & 丸木美術館

2016-02-20 01:48:27 | 散策

2月16日の 府中郷土の森。

           写真をどうぞ

茶室入り口

肌寒い季節に 凛と咲く梅。

しばし、梅の香りと、キリッとした風景を楽しみました。

 

福寿草も顔を出し

         

         ランチは季節限定の梅うどん

 

 前回のブログで 「いつかは 無いのよ」 と話していた友人に、丸木美術館の事を話したが、気乗りしない様子。

でも次の日 「明日と4日後のどちらかで行こうと思いますが、行きますか?・・・・」 とメールがあった。

まぁ忙しい事!! 

もちろんGO

手分けして、先日沖縄旅行に行った人、行けなかった人たちに連絡し、4人が参加。

(このグループは、月1回の元大学教授から、いろいろなお話を聞く会のメンバー。

 もう7年ぐらい続いている)

 

2月11日 丸木美術館 と 埼玉・東松山散策

 10時前に西武線東松山に到着。 祭日はバスが無く、タクシー(1990円)で美術館に行く。

この美術館には 「原爆の図」 15点が展示されている。

この美術館の事はずっと知っていたけれど、 あまりに重いテーマで、見に行く勇気が持てなかった。

沖縄の佐喜眞美術館の館長・佐喜眞さんから、

悲惨な話ではあるけれど、人としての誇りや尊厳を大事なテーマとして描いていると聞き、

一度見て見たくなった。

 

 広島は画家・丸木位里の故郷。位里は原爆三日後に広島に入り、妻の俊は1週間後に広島に入った。

そこで目にした惨状や、多くの被爆体験者の証言をもとに、夫妻共同制作で「原爆の図」を描いた。

夫妻は年以上の月日をかけ、「原爆の図」 15部を完成した。

    丸木美術館 「原爆の図」・・・・・詳しくはこちらをご覧ください。

 

 入場者はちらほら。

駅から遠く、交通の便が悪いので、車で来る人が多い。

 

 お地蔵さんのように無垢な顔をしている赤ちゃん、川のほとりで抱き合う姉妹、焼けた人たちの間で白くきれいな肌で眠ったような赤ちゃん、

川の中に浮かぶ顔は静かで美しく・・・・焼けただれた母親は子供をしっかり抱いて・・・・

一部に、きっと生き残ったのだろうと思える人達も描かれていた。

丸木さんが、この絵を最初に発表した時に、こんなひどい事が起こるはずがない、想像の世界だと断ずる人がいたそうだ。

その場にいた人が 「現実はもっとひどい。自分の娘の状況も描いてくれ」 と涙ながらに頼み、

丸木夫妻は原爆の図はまだまだ描かなければいけないと決心し、連作となったそうだ。

 

  一人だけで見ていても発見できない詳細を、お互い話し合いながら鑑賞する事できた。

これらの絵を一人だけで鑑賞する事は、とてもできなかったと思う。 辛すぎる。

衝撃は大きかった。

共有できる友達が一緒でよかった。

2階の日当たりの良い部屋は2人のアトリエだった。

ここにある炬燵が、この美術館の唯一の暖房。

寒かった~

 

美術館正面入り口

都筑川に面して建てられ、景色が良い。

 

 その後東松山に戻り、松山城址に登る。

思った以上に高さがあり、私は滑って転んで泥まみれ。

上杉、武田、北条がこの地を争ったという。 昔は重要な拠点だったらしい。

関西から来た城好きの女性や、数人の女性グループがいた。

城女(しろじょ)というのは本当にいるらしい。

         

歩いているとこんな不思議ななお堂があった。

上に登ると見晴らしが良い。(岩室観音)

 

 最後は吉見百穴へ。

古墳時代後期の、お墓。

小さく見えるけれど、人が楽に入れる大きさで、ここに棺を2から4入れて埋葬したそうだ。

入れる穴は一つ一つ入り、4人で遊んでしまった。

地下には山腹を掘った、左右500メートルにわたる巨大な軍需工場跡地があった。

 

ここの売店の女将さんが親切で話好き。

「おもてなし~」と言われて、お茶、漬物などをご馳走になり、私達も30分ほどおしゃべりを楽しんだ。

充実した一日でした。

 

 

 

 

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今日はバレンタインデー 

2016-02-14 23:07:07 | 散策

 今日はバレンタインデー

 

               

               実は夫はこの2月から完全退職。年金生活が始まっています。

               長い間家族のために働いて下さって有難う。

               では・・・・と記念写真。

               デニムのエプロンは、これからは家事に精出すぞ、という気持ちの表れかな?

               そんな心がけ、助かります

 

でも、2月14日はかなり寂しいはず。

なんせ、数多くの(義理)チョコを貰っていたのに、今年は少ない。

私と娘と・・・・・・

 

 

私のプレゼントしたチョコ。 アハッと言って喜んでいた。

 

拡大してみましょう

BOJは バンク・オブ・ジャパンの略。

 

 そう、12日、友人と日本銀行の見学に行ってきました。

電話で、参加者全員の住所氏名年齢を言うと、入場券を送ってくれます。(入場時に身分証明書が必要)

 

 日本銀行は明治15年設立されましたが、明治29年にこの地に本館が建設されました。(日本橋三越の隣)

江戸時代、この地金貨の製造所があり、為替商が軒を並べ、明治の時代も金融の中心となっていました。

設計は辰野金吾。 

ニコライ堂を設計したコンドルの最初ン4人の弟子の内の一人で、東京駅も設計。

明治の顔となる建物を次々と設計した、巨匠です。

海外視察のうえ、ベルギーの銀行を手本にしたネオバロック様式で建てられている。

 

正面脇の入り口から入る。

 

入口を入ると 本館中庭。

建物の壁の厚さは60から70センチぐらい。

レンガ造りの表面に石を積んでいます。レンガと石の二重構造。

地震に強い構造で関東大震災時にも微小な被害で済み、翌日から営業できたそうです。

 

本館の向かい側の、入り口にのある側。

正面は、今はトイレだが、昔はエレベーターがあり、ここからお金を地下に運んだそうだ。

 

 

昔は馬が運送手段。馬の水飲み場。           ホールに ナント土産物屋があった。

                                  この一万円は、一万円模様の タオル。

                                  これで顔を拭くとどんな気がするのでしょうね~。  金持ち気分?

                                  ここでチョコ金貨を購入。

 

 写真撮影はここまで。内部は撮影不可。

カウンターのある、明治時代の営業場がそのまま残っていた。

かつて、ここで明治の金融が生き生きと動いていたかと思うと 死んでいる部屋も活気が見えるようだった。

東京にも、古い建物がまだまだ残っていますね。

でも、ここまで綺麗に当時のままに保存されている場所は少ないと思う。

 

 まだ3時前なので、その後銀座線で上野広小路に出て、「つる瀬」 で、小倉クリームあんみつ。

そして梅祭り開催中の湯島天神ヘ

合格祈願の絵馬の満艦飾。 

合格したいというエネルギーが伝わりますね~

ガンバレ~~

梅は満開。

 

 行きたいと思っていてもなかなか行けない場所があります。

先週は日本銀行と、もう一つ行きました。

今、行きたい、やりたいと思っていることは実行しなくちゃという気になっています。

 

友人が言ってました。 

「 いつか・・・・・って無いのよ 」

この友人は54歳の時に親友を亡くし、働いている場合じゃない!!やりたい事をやらねば!!と

公務員を早期退職したそうです。

色々な考え方がありますが、今の私にはその気持ちが良くわかります。(友人が仕事を辞めた年齢よりずっと年上ですが・・・・)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

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沖縄の旅 (3)

2016-02-10 00:48:59 | 旅行

 4日目の28日は浦添(うらぞえ)市に行く予定。

 

前日夕方に沖縄ツーリストの事務所に行き、案内パンフレットや、路線バスの確認をした。

応対して下さったお姉さんが東京では考えられないほど親切で、最後に美味しいお茶とお菓子を頂いた。

疲れていたので美味しかったこと

 

4日目 (28日) 最終日

  朝、食事前に、詳しい方に連れられ近所を散歩

崇元寺 16世紀に建てられた臨済宗の寺だけれど、戦災で焼け落ち、今はガジュマルの大木があるのみ。

      後ろに見える三連の門(重要文化財)が残っている。

 

  バスで30分、浦添市に。 今日は全員参加。

何があるのか・・・・・・私、良くわかってません

 200円相当のスイーツを3か所でもらう事ができる券を500円で買った。 浦添の資料館もタダになるそうだ。

予備知識も何もなく、この日は皆さんに付いて行った。

 

風光明媚、だった浦添・・・・・13世紀にはこの地に城が建てられ、220年の間3人の王のもとで栄えたそうだ。

まずは、浦添グスク・ようどれ館で、この地域の説明を聞き、更に周囲の土地を案内してもらう事になった(1時間750円)

 

浦添ようどれ  「ようどれ」 とは綺麗な響きですね~ 夕凪という意味だそうです。

          

          浦添ようどれは、王族の墓だそうだ。

戦前は、柱のような石垣の上に天然の巨大な石が載り、王陵への入り口となっていたそうだ。

戦争で破壊されたため、石垣は2005年に復元された。

これが、浦添グスク(城)を築いた英祖王の墓。

内部を実物大に再現したものが資料館にあったが、内部も戦争で破壊されたそうだ。

戦争では、沖縄の文化遺産も全て根こそぎ破壊されたそうだ。

バラバラ旅行だったので、全員で撮った写真はこれ一枚

 

浦添グスク

            

            墓の上に城があった

            

            城の中にあったガマ(洞窟)跡。

            戦時中、ここで沢山の人が亡くなったそうだ。

 

  スイーツ券で、色々なお店を巡り、カステラ、パン、ジーマミ豆腐(落花生の豆腐)をもらい、

豆腐屋さんの店先のテーブルでランチ。

お豆腐屋さんが麦茶もサービスしてくれ、思いがけず楽しいランチとなった。

写真撮らずで残念

プルンプルンの豆腐が美味しくて、賞味期限が近い半額の豆腐を、ラッキーと皆で買い占めてしまった。(30個ぐらいあったかしら

5月に代々木公園の沖縄祭りに来るそうです。  行ってお豆腐を買いたいわ。

 

浦添美術館

            

            テクテク歩いて美術館へ。

            日本では珍しい漆器専門の美術館。

            沖縄の古くからの工芸品に、繊細さや巧みな技を見る事ができた。

            明らかに本土の漆器とは違うのです。中国風というか、おおらか、ダイナミックでした。

 

その後那覇に戻り

壺屋を散策。

昔はこのあたりに窯元が集中しており、活気があったそうだ。

今は陶器屋はあるけれど往事の繁栄はなく、見る影なく寂れてしまったと友人が言っていた。

活気ある時に行ってみたかったわ~

 

旅はおしまい

6時過ぎの飛行機で羽田に帰ってきた。

 

 思いがけず、いにしえの沖縄、戦争で被害を受けた沖縄、そして現在の観光地、避けられない基地問題と

沖縄の様々な姿を見る旅となりました。

沖縄の文化と、美しい海と、優しい人柄に触れる旅でもあり、

改めて基地建設の傍若無人さを感じる旅でした。

旅の達人たちに付いて行って 良かった~

 

          

 

 

 

 

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沖縄の旅 (2)

2016-02-07 00:03:07 | 旅行

 23、24、25日は、数十年ぶりの寒波で沖縄中が震え上がっていました。

 

 第一日目の25日の夜は本当に寒かった。

部屋に暖房はナシ フロントに追加の毛布を頼んだけれど、出払っていて余分は一枚もナシ

クリーニング済だけれど、染みがあるのならありますとの事で、それを借りた。

寒がりの私は毛布追加でも寒く、薄いダウンジャケットを着て寝た。

暖かい沖縄のはずなのに、 まさかダウンを着て寝るとは考えなかったわ~

この日、40年ぶりに、みぞれも降ったそうです。

 

2日目 (26日) 日帰りツァーに参加

 この日は3組に別れて出発。

世界遺産の識名園その他に行くグループ、首里城の裏手を散策するグループ。

私はネットで申し込んでおいた日帰りツァーに、もう一人の方と参加した。

このツァー、余分なお土産屋などに寄らず、私の行きたい所全て行くというラッキーなツァー、5800円。

8時15分にバスセンターに集合、41人の満席。

驚いたことに2/3はアジアの外国人だった。 

 

          

          バスガイドさん、マイ三線を持ち込み、歌手並みののどを披露。

         伸びやかな歌声に皆うっとり~

 

海沿いの道を走る。  天気がイマイチだけど、スカッとする。

 

 海洋博公園   自由時間は3時間だけど、あっという間でした。

 

最初に行ったのは、オキちゃん劇場。

ぴょ~ん、ぴよ~んと飛ぶイルカ

これが見たかった~。

沖縄は3回目だけれど、ここは2回目。

感動のある場所です。

 

美ら海水族館へ  

入口ではヒトデとナマコを触る事ができる。

ヒトデは触れたけど、ナマコは突っつくだけ。

もう、だめ~、気持ち悪い~ フニューと柔らかかった。

友人は握ってみたそうだ・・・・・度胸あるわね~

 

ジンベイザメ。

この水槽の前にあるレストランで、魚を見ながら食事した。

海洋博公園にはいろいろな施設があり、熱帯・亜熱帯植物園にも行きたかったが、3時間では無理とあきらめた。

 

 世界遺産・今帰仁(今帰仁)城。

     14世紀、琉球には3大勢力が割拠していた。

    本島北部の山北王が、天険の地に築き上げた百曲りの城壁は堂々と雄々しい(パンフレットより)

今帰仁城〈グスク〉は、日本で一番早く咲く桜が有名。

今年は寒く、1月26日の段階でまだ一部咲き・・・・・今頃は満開かしら?

この桜を一度見たかったので、たとえ一部咲きでも大満足。

楚々としてとても可愛い桜。

 

今帰仁城は桜目当てだったのだが、城壁の圧倒的な美しさに目を奪われた。

 

1時間ほどの自由散策だったが、もっとゆっくりしたかった。

空の青、海の青、白い城壁、山を覆う緑・・・・・・沖縄のおおらかさが、気持ちを伸びやかにする

  

バスは美しい入り江を通る。晴れていたらさぞかしと思う。

 

宇古利島

   数年前に、この島に通じる宇古利大橋が完成し、今は観光名所。

全く知らなかったけど、この旅の事前の集まりで教えてもらい、行きたくなった。

この橋の上向きのカーブが、天国に向かう道路のような気がする・・・・・これが人気の理由だそうだ。

晴れていればなぁ~~

これが宇古利大橋。

島にあるタワーから見えた景色。

 

 

 帰りのバスの車窓から。  これがサトウキビです。

ススキと似ているけれど、サトウキビは穂がまっすぐに上向きに伸びている。

帰りのバスはガイドさんが、優しく静かに三線と歌で、生バックグラウンドミュージックを奏でてくれた。

贅沢な時間 皆さん幸せな気持ちでうとうと。

 

 この日もホテルで夕食。

ホテルの都合で、3日目に近所のホテルに移動することになり、夕飯のサービスが付いた。

自腹の夕食は3日目だけ    ラッキーな旅行です

 

3日目(27日) 辺野古へ

 沖縄旅行のベテラン2人は、今沖縄に行くなら辺野古を見なくてはと、日程に入れた。

もちろん行っても行かなくても良いのだけれど、私は行く事にした。 4人参加。

残りの人達は昨日私達が行った、日帰りツァーに参加。

「百聞は一見にしかず」

 基地問題は勉強不足であれこれ言えないのだが、基地建設反対とだけは言える。

ここは写真をどうぞ

朝の国際通り・・・・・テクテク歩いて・・・・・・

              

県庁前の県民広場へ。

島ぐるみ会議という団体が主催している、貸切バスで辺野古へ。(往復1000円)

 

工事用車両の出入り口。

ここに1人でも多く座れば工事用車両を通せんぼできるそうで、

私達もブロックに木を渡した椅子に座り、持参したお昼を食べた。

 

現地の人達の説明を聞き、場所を移動。

埋め立て予定地となっている海へ向かった。

 

辺野古の海には絶滅が危惧されているジュゴンがやってくる。

ここに、10トントラックに350万トンの土砂が投入され、甲子園球場の158倍の広さの基地が作られるそうだ。

自然も景観も生活もメチャクチャになる。

反対運動を続けて19年、もし座り込みが無ければ、もうこの海は無かったと説明があった。

浜辺には頑丈な柵が設けられ、その先が埋め立て予定地だそうだ。 柵の向こうに基地が見える。

 

工事用ゲート前に戻ってきたら、機動隊が座り込みの人達をごぼう抜きしていた。

道路を封鎖して、工事用車両を通してしまっった。

 

 辺野古の戦いは、今の所、数と数の勝負らしい。

沖縄の機動隊は100人、本土からの応援が150人から200人で、合計250人から300人の機動隊が辺野古にいる。

座り込みの人数が300人を超えていれば、機動隊は来ない。

もし座り込みが300人以下なら、機動隊がやってきて、工事用車両を通してしまう。

毎日毎日、この繰り返しがあると思うと、気が遠くなる。

私達のような者も、辺野古に行くだけで、反対運動のパワーの一部となるそうだ。

 

 辺野古基地の建設費は3500億円。

全て国民の税金が使われると思うと、壮大な無駄遣いとしか思えない。

このお金が福島の復興資金に使われるなら、どんなに役立つことか。

ボーッとしたまま辺野古に来てしまったが、様々な思いが湧きあがってきて、複雑だった。

 

 夕方那覇に戻り、那覇市歴史博物館と、

前日テレビで紹介していた首里高校染色デザイン科の卒業制作の、紅型と花織の展覧会を見に行った。

色もデザインも素晴らしく、若いエネルギーを感じさせる素晴しい作品ばかりだった。

若い人達と話すのが楽しく、卒業後の進路など、学生さん達に色々聞いてしまった

おばちゃんは若い人たちが大好きなんです。

 

夕食は、全員で平和通りにある花笠へ(沖縄料理店)

こんな通りです

私の頼んだ料理。 赤飯、そーきそば、お刺身、豚角煮、大根と昆布の煮物、天ぷら(えび、のり、南瓜などなど)

デザートは大麦と白玉入りのお汁粉。

食べきれなかった~ でも珍しいもの沢山で美味しかった

1100円というお値段にビックリ!。

 

3日目終了。あと一日です。

早いわね~~~

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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義父一周忌 & 沖縄の旅(1)

2016-02-02 21:59:44 | 旅行

  2月2日は義父が亡くなってちょうど一年。

この日、小平霊園に兄弟たちが集まり一周忌を行いました。

          

 30日に予定していたけれど、大雪の予報のため2日に延期。

冬の寒気の合間の 晴天の日に当たりました。

お義父さん、相変わらず運が強いわ~。 誰も風邪ひかなくてすみました。

参加人数は少なくなってしまったけれど、延期して大正解。

ここ数年、母、義母、義父の葬儀・法要・法要と続いた日々にやっと区切りがついたような気がして、ホッとしました。

 

 ここからはやっと沖縄旅行の報告です。

 

 25日出発で28日に帰宅。 3泊4日29800円の7人の旅。

沖縄まで片道40000円ぐらいするそうなので、本当にお得。

更に行きは9時羽田発、帰りは那覇6時発なので、3日半、充分に楽しむ事ができました。

格安旅行だと、行き午後発、帰り午前発が多く、正味2日しか楽しめないそうです。

さすが旅のベテラン達が見つけてくる旅は 違いますね~

 

 この旅行、各人が、行きたい所に自由に行くという旅。

でも、あまりにバラバラでも良くないので、1週間前に集まり、見どころなどを教えてもらい、

携帯番号を確認し、それぞれの行動をザックリと決めました。

いいですね~ こんな自由な旅はあこがれだったわ

 

一気に書くと息切れしていまうので、今回は少しづつ書きますね。

 

第1日目(25日)  羽田9時半出発→佐喜眞美術館

 

1時頃那覇到着。観光案内所でバスを確認し、6人が宜野湾近くにある佐喜間美術館へ。

この美術館は、佐喜間道夫さんという方が1994年に開館した私立美術館です。

 

    沖縄県宜野湾市にある佐喜間美術館は、普天間基地に食い込むように建っている。この美術館は本書の著者が

    米軍基地に接収されていた先祖代々の土地を取り戻して建てたもので、その最大のコレクションは丸木位里、丸木俊の

    「沖縄戦の図」である。美術館の歩みを通して戦後沖縄の一断面と、アートの持つ力が見えてくる。

                       (著書紹介文より)

「この美術館が心の緑陰となるように」・・・・・との願いを込めて多くの緑が植えられている。

 

                                   内部写真は入口のみ可能。

                                   

            

            庭にある佐喜眞家伝来の亀甲墓(建てられてから230年)

            この墓も、以前は基地の中にあった。

屋上

屋上から普天間基地の滑走路が見える。

          

慰霊の日(沖縄戦が終焉した日)の6月23日、夕日が屋上の穴から差し込む。

厳かな時間を多くの人達が共有するそうだ。

 

沖縄戦の図は殺陣4メートル横8メートルという巨大な絵。

写真で見ると、何が描いてあるかよくわからないが、この絵の前に立ち、館長さんの説明を聞くと、

沖縄戦の凄まじさを実感する。

魂込めて描かれた絵には、文で読むよりも、ドキュメンタリーを見るよりも、直接的に伝わるものがある。

館長さんは言う。

    家から逃げる時、食べ物を持ち、家にある一番いい着物を持って出た。

    一番いい着物とはすなわち死装束。

    沖縄では20万トンの爆薬が使われ、全土の一坪〈3.3平米)あたり約1トンの爆弾が撃ち込まれた。

    遺体はばらばらになるはずだが、この絵では一人一人が美しい着物を着て、五体満足に描かれている。

    丸木さんは、人の尊厳を大事にし、丁寧に描いているので、

    よく見ると、希望や、人の温かさが描かれていて、優しい落ち着いた気持ちになる。

 

    もの思う場所として、この美術館を作った。

 

「沖縄戦の図」の下に 「集団自決とは手を下さない虐殺である」という丸木さんの言葉が書いてある。

沖縄戦の本は読んでいたが、戦争でこれほどまで沖縄を犠牲を強いていたのかと背筋が寒くなった。

これほど衝撃ある美術館とは知らなかった。

 

もし沖縄に個人旅行で行く事があったら、是非行ってみて下さい。

私の好きな草間弥生の作品も沢山あります。

私もまたゆっくり行ってみたいです。

 

                   追記  丸木位里・俊夫妻は、「原爆の図」は広島で、「沖縄戦の図」は沖縄で恒久展示ができる事を熱望していた。

               しかしこの図を引き受ける美術館、資料館が現れず、 佐喜眞館長は自分で美術館を建て、

               「沖縄戦の図」を引き取った。

               「原爆の図」は埼玉県の「丸木美術館」に展示してある。

               見に行かなくては!!     

      

 

夕食  ピーナッツで作ったジーマーミ豆腐    この日はホテルで和食  ナントこの旅行、夕食が一食付いています。

 

 

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