気まぐれ日記☆着物の小部屋

2007年耳下腺癌の手術で顔が変わり、生活が一転。街歩きと着物と芝居のブログをどうぞ宜しく♪

2002年 母と娘の初めてのフリー旅行・スペイン7 トレドへ小旅行・帰国

2021-04-13 10:46:53 | 海外旅行

 桜はすっかり散ってしまいました。

次のお楽しみは昭和記念公園のチューリップ。(4月8日)

 

        

結婚式の前撮りかしら。 花嫁さんお幸せに

 今日昼頃、八王子に住む中学の同級生に、写真をlineで送ったら「これから行ってきま~す」ですって。

夕方lineが届き15000歩歩いたそうです。 行動が素早い!見習わなくちゃ。

 

 

3月9日 マドリッド3日目 古都トレドへ

 昨日、怪しい人たちの対応に疲れたのでマドリッド市内観光は中止。近郊のトレドに行く事にした。

調べたら、電車で行くと駅から更にバスに乗るので面倒。マドリッドからバスで行く事にした。

タクシーで、南バスターミナルへ。

チケットをゲット。

待ち時間にマドリッドでは珍しい自動販売機の飲み物を買おうとしたが、お金を入れても全く出てこない。

「変ね~」と言って何度もお金を入れたがすぐに戻って来る。

近くにいたおじさん達が見てくれたけどダメ。のどが渇いた~

(今なら目ざとく、売店をすぐに見つけられるけど、当時は外での水の調達方法も分かっていなかった

 

 トレドはローマ帝国の一都市だったが6世紀ごろから大きく発展、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の文化が残る。

中世の街並みを残す都市で、街は迷路のように入り組んで坂道も多い。

そして忘れられないのが画家のエル・グレコ。 ベラスケス、ゴヤと並んでスペイン絵画の3大巨匠と言われる。

彼は1576年にトレドにやってきて40年近く死ぬまで住み続け、作品が数多く残っている。

写真は少ないですが、雰囲気だけでもどうぞ。

ターミナルに到着。行き先と地図を確認している娘。

    

 

 

この街のシンボル、カテドラル。

見晴らしの良い、サンタクルス美術館前。

カテドラルの見学、エル・グレコの家、エル・グレコの最高傑作と言われる「オルガス伯の埋葬」の見学。

「オルガス伯の埋葬」はサント・トメ教会にあるのだが、ここだけは人がギッシリだった。

小さい街なので、あっちこっちウロウロ。トレダーノと呼ばれる金銀細工の小物を買ったり、店を冷かしたり。

ビックリしたのが、英語が全く通じなかった。smallなどと言っても分からなかった。

 

 印象的なのが明るく、陽気な雰囲気のレストラン。

のどが渇いていたので、隣のテーブルの人達が飲んでいる、果物がたくさん入った飲み物が美味しそう。

とにかく飲みたい!!

あれと同じ物をと頼むと、若いお嬢さんがいろいろ質問してくる。なんて言ってるのかわからない。

エイッと「あれ!、あれ!」と指さすとド~ンと2ℓ入りぐらいの大きなピッチャーで果物入りの飲み物が運ばれてきた。

ジュースだと思っていたけど、なんとワインと炭酸入りだった。(この時、サングリアを知らなかった!)

コップ1杯の美味しいこと!! コップ1杯飲んでもピッチャーの中は全く減らない。

喜んで2杯目を飲もうとしたら、娘に止められた

私がアルコールに弱いのを知っていて、知らない街で酔っぱらったら困るって・・・・

確かにそのとおり サングリアはもったいないけど 仕方ないですね。

レストラン後は、坂道をほろ酔い気分で歩いた。トレドにはホンワカ楽しい気分の思い出が残っている。

あのお嬢さん、そんなに飲めるのか?と聞いていたのかもと、あとで気づいた。

(ネットから画像拝借)この2倍ぐらいの大きさのピッチャーだった 驚愕

 

 この街は4時に見学する所は全て閉まってしまう。

まだまだ居たかったが、早めに帰ることにした。

この後マドリッドで靴屋や土産物屋を見て回った。

この日の夕食は全く覚えていない。

 

3月9日 マドリッド4日目、夕方帰国

 午前中は近くのプラド美術館見学。

そして裏手にあるレティーロ公園へ。

ここは周囲4キロの大庭園。スペイン黄金時代の王宮の別荘だった。

人もおらず、ただただ広い。

 

やっと見つけた美しいガラスの建物。

中に入ると市民が思い思いに、憩いのひとときを過ごしていた。

談笑する人達、手作りのバルサ材と紙で作った飛行機を飛ばしていた人もいた。

外にひと気が無いのにここだけが華やか。

ボート遊びができる広く美しい人工池があるそうで、行ってみると、何と水が抜かれ殺風景な景色。

 

では昼食に。

この日は前に見つけたハム屋(ムセオ・デル・ハモン)の2階のレストランに行く。

結構行列が出来ていて、階段の下から並んだ。

娘は他に行こうと言うけれど、こんなに人気があるなら、行ってみたいですよね。

30分程待って入ることが出来た。写真を撮っていなくて残念。

庶民的な店なのに真っ白な布のテーブルクロスを毎回交換。

交換が終わると小柄なテキパキした女性が注文を受けてくれた。

賑やかな家族の宴会もありで、庶民的で感じの良い店だった。

食べたのはチキンと生ハム料理だったかな?

(今は支店もでき、1階に立ち飲みコーナーもできて、もっと気楽な店になっているらしい。)

 

夕方お迎えが来て空港へ。19時25分マドリッド発。

 

3月10日夜 成田へ到着

無事帰ることが出来ました

 

 懐かしい旅の思い出にお付き合い有難うございました。

私も若かった 今はこんなに動き回れないでしょう。

でも もう一度だけ、バルセロナに行きたい 冥途の土産になるかもしれませんが

 

 

 

 

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2002年 母と娘のフリー旅行スペイン・6 マドリッド2日目

2021-04-06 00:05:00 | 海外旅行

 我が家の一年で一番美しい季節が終わろうとしています。

家の前の3本の桜の花吹雪、見事でした。

道はピンクに染まり、我が家の前に座り込んだお嬢さんが、一心不乱に、たぶん、動画を配信していました。

2階のサッシを開けると花びらがヒラヒラ舞い込み、慌てて閉め、

そして花吹雪のベランダで洗濯物を干す快感、毎年の事ながら幸せを感じます。

       

満開の時。何があっても自然は変らない

 

 さて、スペイン旅行のブログを書いていると、旅への思いが一層掻き立てられます。

世界中がコロナを耐え忍んでいる今は 到底無理な夢。

少しでも早く、解決への糸口が見えるよう祈ります。

 

 

3月7日  マドリッド2日目

 眩いばかりのホテル内装ににビックリ

バスターミナルへ行く時のタクシーの運転手さんが言ってました。

「ウェスティン・パラセはリッツホテルより上だよ」って。お世辞かな?

でも英語を話せない私達、なぜか誉め言葉だけわかるって面白い。

 

ホテル内部は、高級すぎてカメラを構えるのがはばかられた。

そっと撮った写真。

ロビー。なんとステンドグラスの円天井

私達はここで朝食 上品なボーイさんが膝まづいて飲み物の注文を取りに来た。

一足きりのスニーカー、身軽な旅装束の私達、身の丈に合わないホテルの様で、

ちょっと気後れしました。

 

ラウンジ。写真の様なビジネスマンも多数。

 

フロント。 どこもかしこもシャンデリア。

こういうホテルは事前にある程度心構えが必要かもしれないですね。

私達は朝出発して夜帰ってくるだけだったので朝食以外は気を遣わなかったけれど・・・・

これが私達の部屋。机や、椅子テーブルも素敵

 

 バルセロナで精力を使い果たしたので、この日は何も考えずに美術館巡り。

ホテルの目の前がプラド美術館。もう一方がティッセン・ボルネミッサ美術館

次にピカソ「ゲルニカ」を展示しているソフィア王妃芸術センターに行く。

地下鉄に乗り王立サン・フェルナンド美術アカデミーへ。

歩いてマヨール広場と王宮。

一度ホテルに帰り、夕食というコース。

よく歩きました。

 

 よく覚えているのは怪しい人に2回も追いかけられた事。

一度は昼間、サンフェルナンドアカデミーから王宮方向に歩いている時。

風呂敷を背負ったジプシーの若い物売りに 目をつけられてしまった。

彼らは黒い風呂敷の中に土産物を詰め、広げて路上で売り、警察が来るとパッと風呂敷を丸めて肩にかけ、立ち去る。

睨んでもついてくるので郵便局に避難。もういいかと出て行ったら、玄関前で待っていた。

速足で歩き、急に踵を返して地下鉄の入り口逃げ込んだ。

そのまま地下鉄に乗ったか、また歩いたのか、よく覚えてないけれどとにかくホッとした。

 2回目はその日の夜レストランの帰り道、花を持ったおじさんが、私達と歩調を合わせてくる。

早く歩くと 合わせるように早足になる。

昼の事もあるので、とにかく振り切るのが先決。二人で走った・・・やっと振り切った。

バルセロナでは 一番危険といわれるランブラス通りは見世物も土産物屋も見ることなくスルー。

他でも気を張っていて大丈夫だったが、マドリッドは危ない。理由なくいつまでも付いてくる人がいる。

華奢な母娘連れと見くびられたようだ。危ない危ない

 

プラド美術館 

 

プラド美術館の斜め前、カスティーリュ広場の噴水。

マドリッド最初に見た景色。

プラド美術館は世界4大美術館の一つ。

他はルーブル美術館(フランス)

メトロポリタン美術館(アメリカ)

エルミタージュ美術館(ロシア)

プラド美術館はスペイン王室の美術コレクション中核として19世紀初めに開館。

現在は30000点のコレクションを誇る。

特に、ベラスケス、ゴヤ、エルグレコなど必見と言われる絵画が所狭しと並べられている。

一日いても飽きない。

(ラス・メニーナス部分)

これはベラスケスの「ラス・メニーナス」。宮廷の一場面を絵画に描いた作品で、世界でもっとも有名な作品の一つ。

17世紀半ばのこの愛らしいマルガリータ王女、伝統的にウィーンハプスブルグ家との婚姻が決められており、

彼女の肖像画はウィーン宮廷に送られていた。

美術を愛するフェリペ4世の娘として幸福に育ち、多くの肖像画が残されている。

3歳、5歳、8歳の肖像画を、ウィーンのウィーン美術史美術館で見ることが出来る。

プラドでは10歳の時の華やかなドレス姿の絵も印象的。

15歳で神聖ローマ帝国皇帝レオポルド1世の最初の妻となった。

フェリペ4世の葬儀のため帰国した時の 沈んだ様子の喪服姿の肖像画もプラドに残されている。

すっかりマルガリータ王女のとりこになった私達、

後にパリのルーブル美術館やウィーンで マルガリータ王女に再会した時の喜びは格別だった。

(この時以前にも日本で王女を見ていたけれど、現地で見るのはまた別の感慨がありますね)

 

 小さな女の子が「ラスメニーナス」「ラスメニーナス」と歌いながら作品の前を通り過ぎて行った。

マドリッドではこんな小さい頃から 絵画に親しむ生活をしているのですね。

ルーベンスの「三美神」の前で中学生?に講義する先生。

マドリッドでは美術教育が熱心に行われている。

先日のダリ美術館でも作品の前で生徒が座り込み、先生と一緒に何か作業をしていた。

日本の美術教育ってどうなっているのでしょうね。

自国の美術を熱心に見る教育って 日本では為されてない気がした。

 

 ゴヤの「着衣のマハ」と「裸婦のマハ」はそれぞれ日本で見ているが、2枚並んでいる所を見たかった。

けれど片方がアメリカに貸し出され、一枚だけしか見られなかった。

ちなみにマハとは美女の事を指すのだそうだ。

ムリリョの作品も一番見たいものが貸し出されていた。(なんと日本へ。後日見に行った)

一番驚いたのはゴヤの「黒のシリーズ」だけを集めた部屋。(「我が子を喰らうサルチュルヌス」が有名。)

背筋が凍るような部屋だったが、ゴヤの心に闇の部分の深さに引き込まれてしまった。

きりが無いのでプラド美術館はこの辺でおしまい。

美術館前で一休み。

この後ティッセン・ボルネミッサ美術館へ。

もうこの辺から写真を撮る気力無し

ここにはピカソ、ミロ、ダリやセザンヌ・ゴッホ・ルノアールなど近代作品が多く収蔵されているがあまり覚えていない。

昼食もどこで食べたか覚えていない。

 

ソフィア王妃芸術センター

 20世紀現代アート中心。

ピカソの「ゲルニカ」以外覚えていない。

1937年、小さなバスク地方の町ゲルニカが爆撃され、6000人の人工の内598人が亡くなった。

そして1500人ほどの負傷者が出た。

モダンな室内に大きな絵がただ一枚、殆ど人もおらず、じっくりと作品と向き合った気がする。

ここでも小学生低学年の集団が通り過ぎて行った。

「ゲルニカ」を子供の頃から身近に見ているって なんだか凄い

 

王立サン・フェルディナンド美術館

 内部の静謐な空間を覚えている。

見学者も少ないのにゴヤ、スルバランなどのスペイン画家の絵や、ルーベンスの作品もあった。

教科書に載っているような作品が時々出てきた。

 

この後大通りを歩いて

王宮へ。中も見学したがよく覚えていない。

歩いてマヨール広場へ

 

 またてくてく歩いてホテルに帰った。

マドリッドではほとんど街歩きをしていなかったけれど、途中大きなハム屋を見つけた。

興味を惹かれて中に入る。大きな生ハムが 天井から数えきれないほどぶら下がっていて圧巻。

人もギッシリ 見とれているうちにショーケースの前へ行ってしまった。

傍にいたおばちゃんに、「買わないなら後ろに行って!」と怒られてしまった。超人気店らしい。

あとで調べたら、ヨーロッパで一番古いハム屋「ムセオ・デル・ハモン」という店だった。

人がギッシリで写真が撮れなかったのが残念!

 

ホテルに休憩してから、夕食へ。

案内書に書いてあったパエリアで有名な店。名前は忘れてしまった。

マドリッドのレストランは殆ど夜八時から開店なので、おなかの空いた事!!

山盛りのサラダと大鍋のパエリア・・・・もちろん食べられませんでした

 

美術館巡りでブラブラしようとしたけれど結局歩き廻ってしまった。

疲れました~~。

今日もグッスリ

 

 

 

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2002年 母と娘の初めてのフリー旅行・スペイン・5 バルセロナからマドリッドへ

2021-03-29 22:50:45 | 海外旅行

 ご訪問ありがとうございます。

2、3回で終えるはずだったスペインブログ、長くなってしまいました

バルセロナ愛が止まらない

 

3月5日 バルセロナ4日目

 ホテルを早めに(と言っても8時半頃)出て、急行に乗り2時間。

フランス国境に近いフィゲラスという町へ。

ここは画家サルバドール・ダリの生地であり、終焉の地。彼自身が創設にかかわった「ダリ劇場美術館」がある。

是非行ってみたい。

 

 娘が、会社の先輩夫婦からフィゲラスで若者達に追いかけられたという恐い話を聞いており、

またその数年前にこの地を訪問した息子が道に迷って大変だったという話も聞いていた。

私達は駅に降りたら迷わず美術館に行けるよう、地図で何回も道筋を確認した。

 

 ドキドキしながら駅に降りたら、呆気ないほど人の気配のない静かな町にホッとした。

降りたのは数人。

美術館に行くにはこの駅で降りるしかないのだけれど、美術館に行く人はいないのかしら?

朝市が開催される広場を通り、地図でシミュレーションした通りに行くと迷わず辿り着いた。

絶対に忘れられない、変わった建物。卵を載せたお城です。

           

内部

          

      

往復4時間かけていく価値あり

 駅構内のカフェでサンドイッチの昼食

 

カサ・ミラ

ガウディ作。外壁が波打つ形状。石切り場とも呼ばれている。

    

内部は広い吹き抜け。

現在オフィスや、住宅に使用されている。上階には当時を再現した部屋や資料館などがある。

上階から階段で降りてくると、パソコンを置いた現代的な室内が見えたりして、建築当時との落差が面白かった。

 

 夕焼けの頃にカサ・ミラの屋上へ。屋上は2度目。

娘も私もカサミラの屋上の景色が大のお気に入りになってしまった。

 

階段の上り下りがあり、まるで山登りをしている気分

夕日に映える排気塔は 山の峰々の様に変化に富み美しい

遠くにサグラダファミリアも見える。

人もほとんどおらず、童心に帰った私達。

この夢の様な景色、絶対に忘れない

 

3月6日 バルセロナ5日目→マドリードヘ

午前中はマドリード市内をぶらぶら歩く。お土産物や、お菓子を買いに。

ここはお菓子屋さんだったかな?立派なお店ですね。

モンジュイックの丘の上にあるミロ美術館に行きたいのだけれど、登山電車の駅が見つからない。

地下鉄構内にあるはず・・・・それらしき場所には鎖で中に入れないし・・・

結局この電車は夏場だけの運転だとわかった。(現在は通年運転)

仕方なくタクシーで。

スペインのタクシーは初めてのため、止まってもらう方法も分からず、オタオタしてしまった。

 

バルセロナ生まれのジョアン・ミロ。

この美術館はミロ自身により寄贈され、油彩、彫刻などがのびやかに展示されている。

こんなに立派な美術館なのに人がほとんどいなかった。

帰りはタクシーもバス停も見つからないので歩いて丘を降りた。

ガイドさんから、モンジュイックの丘付近は危ないと釘を刺されていたので、

斜めがけカバンを胸に抱え、速足で歩いた。 人がこちらに歩いてくるだけでドキドキ

 

 

午後、飛行機でマドリードヘ。

1時間おきに飛行機が出ていて、バスの様なもの。私達の持っていた切符はどの時間に乗っても良い。

「あと10分で出発する飛行機に乗れるので急いで!」と言われ、ターミナルまで走った

日本ではこんなに急がす事なんてあり得ない!!でも早くマドリッドに行けたのは嬉しい♬

 

マドリードのホテルはウェスティン・パラセ

ドアマンは。豪勢な衣装に身を包んだ恰幅の良い男性。

内装も豪華で、旅装束の私達が引け目を感じてしまうほどだった。

 

さてあすからは美術館巡り。

おやすみなさい

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2002年 母と娘のスペインフリー旅行・4 バルセロナ

2021-03-25 17:27:09 | 海外旅行

 バルセロナ、まだまだ続きます。

 

でもその前に今日の散歩の報告です。

夫が3週間前にヘルニアの手術。

しばらく家に閉じこもっていたので体力低下防止のため近所を散策、8000歩ほど歩きました。

暑かったので私の方が疲れてしまって昼寝。体力無かったのは私?

梨も桜も満開

 

 3月4日 バルセロナ3日目

 この日はいよいよサグラダファミリア教会へ行く。

この教会は1882年着工。1883年からガウディが建設を引き継いだ。

全てが自然主義的な思想をもとに彫刻や彫刻群で飾られている。

着工から140年。完成は2026年と言われていたが、コロナのため入場者が減り、資金が不足。

完成が数年延びる事になった。

私が生きているうちに完成を見に行けるのでしょうか?

最後のヨーロッパ旅行はスペインにしようと思っていたのに・・・・

 

サグラダファミリア教会

 情報量が多すぎるので、ネットをどうぞ

私が不思議だったのは、この特異な形状の教会が、街とどのように溶け合っているかどうかだった。

昔はこの教会が、森の中とか、人が少ないところに建っているとばかり思っていた。

ところがある日、俯瞰した写真を見ると整然と区画整理された街の中に立っているではありませんか

ショックでした。

なぜこんな形の建物が普通の街にあるのだろう・・・・市民に違和感はないのでしょうか?

不思議で、一度見に行きたいとずっと思っていました。

結果、まだ未完成だけれど、ガウディが市民に愛され、市民が誇らしく集う教会を目指しているのが良くわかりました。

個性的な形状に目を奪われるけれど、自然賛歌の教会の中で市民が幸福を祈るなんて素晴らしいですね。

バルセロナの人達がこの教会にかける情熱も分かった気がします。

 

 140年も工事が続けられていて街にこの景色が馴染んでいる事、

バルセロナには19世紀末方20世紀初頭の建物が多く残り、当時としては奇抜な建物が多い事、

教会のコンセプトが自然の力学に従い、自然の曲線を尊重しているという事。そんな事も分かりました。

奇抜だけれどそばで見ると動物や植物が生き生きしていて、親しみを感じ、温かみある建物といえました。

 

写真をどうぞ

        

地下聖堂の入り口。数十年前に完成し、今は補修工事の真っ最中。

       

暗い中で、グオオンと工事現場の音。

奥にガウディの墓がある。

彼は1926年74歳の時、市電にはねられ亡くなった。

貧しい身なりだったのでガウディと気づく人はいなかったそうだ。

 

教会の内部 少しだけ完成部分があるが、まだまだ工事現場。完成が果てしなく遠い気がする。

        

正面のステンドグラスの一部は完成。ブルーの光が美しい。

 

 4つの塔の内2つにエレベーターが設置され、塔の上部に登ることが出来る。

塔の上から見た景色。

      

鉄筋コンクリート作りですね。

 

 私達は塔の上に上がり、階段があったので降りてみた。

すぐ下の階までは見物人がいたが、それから下は誰もいない。

広間の様だったり、舞台状になっていたりで面白い。

 巻き貝状になった階段を延々と降りていくうちに、私達、塔から出られるのか不安になってきた。

階段上ってエレベーターまで戻るのは大変。

エイッ 下ってしまいましょう

 やっと小さなドアが見えた時はホッとしたけれど、このドア開くのかしら?ドキドキ

恐る恐る開けてみると・・・・見学者が沢山いる教会の通路に出た。

ホッとして、ドアを見たら「非常口」って書いてあった。

ラッキー!!と喜んで前を見たら、なんと前々日のガイド松本さんがビックリして私達を見ていた。

こんな事ってあるのですね。  「なんでこの二人、非常口から出てくるんだ」と顔が語ってました

 

次は歩いて世界遺産のサンパウ病院へ。

バルセロナの街は19世紀に区画整理し、碁盤の目状になっているが、

サグラダファミリアからサンパウ病院への道だけは斜めに通じている。

道を歩いてゆくと ド~ンとサンパウ病院に突き当たる.

(こんなアベニューを行きます。)

ステンドグラスやタイルで装飾した豪華な病院(1930年完成。20009年まで病院として使われていた)

 

 静かな病院。当時はまだ病院として機能しており、見学して良いのかとても迷った。

けれど何も書いてないし、大丈夫だろうと、中に入った。

世界遺産。モンタネール・ドメニク作。

48棟もの建物がある。メインの棟は地下道でつながっており、機能性抜群の豪華な病院。

当時のバルセロナが豊かであった象徴でもありますね。

手術室が公開されていたが、ガラスの温室の様で、白いタイルが美しい、明るい部屋だった。

 

その後バスでグエル公園へ

パトロンであるグエルが 郊外の広大な土地に静かな住宅街を作ろうとがウディに依頼した。

がウディが中央広場、道路門番小屋管理事務所など設計したが、住宅地としては大失敗。

全く売れなかった。

 バスがグエル公園に近づくと、ワ~~、キャ~と言うにぎやかな声が聞こえてくる。

グエル公園の来た子供たちがまるで遊園地に来たようにはしゃいでいる様子。

子供にとっては遊園地の様に楽しい場所らしい。

ガウディの住んだ家が、博物館として利用されている。

ガウディは建物に合わせ、家具を作っている。前回写真を載せたカサ・バトリョのための椅子。

       

入り口の門番小屋

タイルの張られたテラス。

見晴らし抜群

 

この後はガウディ処女作 カサ・ビセンスへ。

バスに乗り、運転手にこのバス停に着いたら教えてくれと頼んだが、私達、バス停を間違えていた

カサ・ビセンスが見えるので降りようとしたら、運転手さんに「そこはまだ違う」とドアを開けてもらえなかった。

親切な運転手さんです

外から見るだけなので、見学者はもう一組のカップルのみ。

タイルなので古びず、美しい家だった。

 

ホテルの近くに戻り、カサ・ミラへ。

屋上に感激。カサ・ミラは毎日覗いているので、次回記事にしますね。

 

 この日の夕食はまた近くのバルへ。

タパスという小皿料理をいくつか頼んだ。卵焼きの様な料理、イカのオリーブ焼き、パンコントマテ等。

パンコントマテはパンに生にんにくを塗り、トマトを載せたもの。トマトが甘い

 

☆この情報は2002年のものです。

 今はサンパウ病院もカサビセンスも公開されています(見に行きたい

現在のサグラダファミリアの写真

内部の写真はこちらをどうぞ

 

だんだんバルセロナの街に慣れてきた。 明日も楽しみます

 

 

 

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2002年 母と娘の初めてのフリー旅行・スペイン・3 バルセロナ

2021-03-25 15:38:21 | 海外旅行
 
 このスペイン旅行はメモも取らず、案内書も失くしてしまったので記憶のみが頼り。
 
またデジカメが無く、写真はAPSカメラで撮り、焼き付けた写真をスマホで再撮影してブログに載せている。
 
ブログ用ではないので人物写真が多く、お見苦しい所はお許しくださいネ。
 
 
 ガイドさんからの情報はあまりないのだけれど、泥棒に気をつけろ!という忠告と、
 
タパという小皿料理を出す店(バル)が多いという話が非常に役立った。
 
旅で食事は大事。レストランに入る自信が無い時はバルに入ればよいと思うと気が楽だった。
 
モチロン、最初の日はホテル近くのバルに直行。
 
非常に流行っている店で、「チェック・プリーズ」と言うと「お勘定ね♬」と
 
カッコいいお兄さんが笑いかけてくれた。 良い気分
 
 
 
3月3日 (バルセロナ2日目)
 
9時頃ホテル出発。 歩きま~~す
 
 
 
ホテルのはす向かいにはカサ・バトリョ
 
この地区にはモデルニズモ建築(アールヌーボー様式がスペインに入るとモデルニズモと呼ばれた)が多い。
 
カサ・バトリョは繊維業者の邸宅を改築したもの。
 
建物の外壁は色ガラスとタイルで装飾されている。



仮面の様なバルコニーが特徴 下は2階の窓。
 
夜はライトアップされ、外壁がキラキラ光り幻想的。
 
内部見学したかったが、朝早く出て夜ホテルに帰ってくるので時間が合わず、見学できなかった。
 
 
 
ゴシック地区 13~15世紀の建物が並ぶ地区
 
奥に見えるのがこの地区のシンボルのカテドラル(13世紀から15世紀に建てられた)


 

この地区にあるレストラン「4匹の猫」前で。
 
当時はカフェで、ここに暮らしたピカソが足しげく通った場所。
 
多くの芸術家や知識人が集い、19世紀末のモデルニズモ運動の中心となった。
 
歩いていると雰囲気の良い広場に出た。

 
このレイアール広場の街燈はガウディの学校卒業後初めての作品だった。
 
 
人気のない静かな広場で一休み。
 
 
ピカソ美術館。
 
 
ここは込んでおり入場するのに行列に並んだ。
 
9歳の時の絵から青の時代までのピカソ初期の作品を見ることが出来る。
 
 
 
 
(ネットから拝借)
 
15歳の時に描いた写実的で堂々とした作品「初聖体受拝」
 
この作品は数年前、日本にも来た。これが15歳の作品驚きです
 



王の広場

ここで1回目の航海を終えたコロンブルが王に拝謁した。
 
ゴシック地区とほぼ平行に海まで続いている道がランブラス通り。
 
カフェや店が並び、観光客が一度は行く場所。

(コロンブスの塔より見るランブラス通り)
 
 
そして終点がポルト・ベイ。

ここのコロンブスの塔に登るとバルセロナが一望できる。

下から見ると球形の所までエレベーターで登る。 展望台は下から見るよりずっと広い。
 
コロンブスがアメリカ大陸を指していると言われている。
 
 
 
ポルトベイの海の見えるレストランで昼食。
 
 
カタルーニャ音楽堂
 
モデルニズモを代表するドメネク・モンタールの1908年の作品。世界遺産。
 
モザイク、タイル、ステンドグラスで飾った内部は花が咲き乱れたような美しさ。
 
どこで見学ツァーの入場券を買っていいのか、全くわからない。
 
隣にある土産物店で売っているのをやっと見つけた。
 
内部は写真不可。娘は写真を撮ったと疑われ問い詰められていたけど、
 
「言ってる事わかんな~い」ととぼけていた。(ちなみに撮ろうとしただけ
 
説明員のそばにいたごっつい監視人が、娘の後をずっとついてきたのが可笑しかった。





(ネットより拝借)
 
 
 
バルセロナには美しいお菓子屋さんが多い。カフェで一休み。
 
その後ガウディのカサ・カルベと言う建物を探し、迷いに迷ってたどり着いたけれど、改築中で、真っ暗だった。
 
 
ゴシック地区のレストランで夕食を食べたりで、帰ったのは8時過ぎだった。
 
よく歩きました。グッスリ
 
 
 
 
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母と娘の初めてのフリー旅行 スペイン その2 バルセロナ

2021-03-22 18:34:42 | 海外旅行
 2002年はまだまだインターネットを自由に使いこなす時代ではなく、頼りはガイド本のみ。
 
娘が「地球の歩き方」私が「わがまま歩き」のスペイン編を持ち、本と首っ引きであちこち歩いた。
 
インターネット無しで、良く歩き回れたものだと思う。
 
恐れなく歩くことが出来たのは最初の日のガイドさんのおかげ。
 
送迎のほかに半日の観光ガイドもセットになっていた。
 
 
 
 
3月2日 パリで乗り換え後、9時35分バルセロナ飛行場に到着。
 
松本さんという中年男性のガイドと運転手がお出迎え。
 
そのままサグラダファミリア教会のそばのレストランで昼食。
 
長旅で胃が疲れており、何も食べたくなかったが、この場所でこの日の行動計画を立て、
 
日本で質問を用意してきたので、旅のコツをいろいろと聞いた。
 
どんな所で食事すればよいか、フラメンコ、音楽などの切符をどう買うのか、
 
カサミラは自由に見学できるのかなどなど。
 
 
 
 半日の観光案内をガイドさんは一般的な場所を提案してきたが(サグラダファミリア、グエル公園、等)
 
私達は自分ではなかなか行けない所を案内して欲しかった。
 
面倒なこと言うなぁという感じであったが、結局私達のいう通りに、そして思った以上の所に連れていってくれた。
 
バルセロナでの私達目的はガウディ建築を堪能する事!
 
 
 
グエル邸
 
 ガウディの生涯のパトロンとなったのがエウセビ・グエル。
 
彼の住居グエル邸は4年の歳月を費やし、予算に糸目をつけずに建てられた。
 
外部は古典的だが、豪華な吹き抜けがあり、屋上にはニョキニョキとタイル張りの煙突群がそびえている。
 
 
楽しくなりますよね~~
 
 
 
グエル別邸

グエルからの初めての注文はバルセロナ郊外のグエル別邸の増改築の仕事だった。

特に有名なのが、ギリシャ神話を題材にした「龍の門」。
 
鉄製のドラゴンが広大な邸宅を守る番人役として築かれた。
 
意外と大きいのです。


このドラゴン、昔は動いたそうで、口に手を入れたらパクッと噛みつきそう。
 
観光客は勿論おらず二人でキャーキャー騒いでしまった。



 
オモチャの城みたいですね。
 
今はカタルーニャ工学大学建築学部が置かれているそうだ(2021年現在)
 
 
 
モンジュイックの丘 ミース・ファンデル・ローエの ドイツパビリオン
 
モンジュイックの丘にはオリンピックスタジアムや記念公園、ミロ美術館など見どころが多い。
 
けれど、治安がかなり悪いと本に書いてあり、二人で行こうか迷う地区だった。
 
けれどガイドさんが連れて行ってくれるという。渡りに船♬
 
このモダンでシンプルな建物が1929年、(昭和4年)に建てられたとは驚きですね。
 
バルセロナ万国博覧会のドイツ館として建てられたけれど、仮設のため翌年に解体され、
 
ミース生誕100年を記念して1986年に再建された。
 
ミースはドイツ出身の建築家で、20世紀モダニズム建築の巨匠。
 
ル・コルビジェとフランク・ロイド・ライトで、モダニズム建築の3大巨匠と言われている。



赤い壁に夕日が映える瞬間が美しいという。
 
それは見ることが出来なかったけれど、写真で何度も見ているこの建物に入れたなんてドキドキする体験だった。
 
決して広い空間ではないけれど、のびやかで美しい内部。
 
観光客は一人の若い女子学生のみ。
 
シャッターを押しますとジェスチャーしたら、後ろの彫像と同じ格好をして喜んでいた。
 
この椅子はバルセロナチェアーと言い、この建物に合わせ作られた。
 
別名「王の椅子」スペイン国王を迎えるために作られた。
 
名作椅子として、今でも作られている。足がX型をしているのが特徴。
 
当時の雰囲気をリアル体験できるなんて幸せな事でしょう
 
ガウディの未完の建物。着工は1882年、翌年ガウディが2代目として建設を引き継いだ。
 
延々と140年工事が続行されている。ガウディが生前に完成したのは地下聖堂と後陣、生誕のフォサードのみ。
 
全体が、植物や動物などの自然をテーマにした彫刻で飾られている。
 
ガイドさんの時間があったらしく、サグラダファミリア教会の1階内部をざっと案内してくれた。
 
ガイドさんの奥様が、教会のお土産物屋で働いているそうだ。
 
お土産を買えばガイドさんにリベートもあるのかな?と一瞬考えたけど、
 
まだお土産買う気分でもないし、あとでゆっくり来たいしという事で奥様にご挨拶のみで失礼した。

内部はまだ工事現場。真っ白な樹木の様な柱が美しかった。

 

ホテルはカサ・バトリョのはす向かいにある 5つ星ホテル・ホテル・マジェスティック

今、案内書を見ると屋外プールからの眺めは最高らしい。(当時は何も知らなくて残念!!)
 
ネットで検索すると今は休業中らしい。理由はコロナでしょうか?



充実した一日でした。
 
さあ、明日からが本格的な観光です。楽しみ
 
 
☆下線があるものはネット検索ができますので、説明不足の点を補ってくださいネ。
 
 
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2002年  母と娘の初めてのフリー旅行 スペインへ

2021-03-15 19:14:51 | 海外旅行

  緊急事態宣言中、何度も梅見物し、セーターを編み上げ、ZOOMも成功!!

思わぬ休暇中、やりたいと思った事は一つを残し終了。

3月に入り、やる事も無くなったのでテレビ感傷と読書三昧。

 

 2月、3月の読書 

その他伊坂幸太郎の「残り全部バケーション」 山田詠美「ジェントルマン」

軽めの本ばかり。

瀬尾まいこの「戸村飯店」は性格の違う兄弟が反発しながらもそれぞれの道を探していく話。

穏やかで温かい。

私は伊坂幸太郎のエンターティメント性溢れる作品も結構好き。別世界を覗く感じ。

そして一番印象に残ったのが山田詠美の「明日死ぬかもしれない自分、そしてあなたたち

デキる兄が突然亡くなり、穏やかな温かい家庭がくずれ、年を経て少しだけ再生の希望が見えてくる話。

4人の独白で構成され、一人一人の細やかな感情が描写される。

同じく「ジェントルマン」は人気男子高校生の裏の顔を知り、強烈に惹かれたゲイの同級生。

それから十数年、それぞれの登場人物が切ない思いを重ねていくという、純粋恋愛小説?

刺激的場面もあり、映画風。

山田詠美は文章が上手く読み易いけれど深い。感情の機微の表現が上手。好きな作家のひとりです。

ノンフィクションと随筆を読むことが多かったのですが、最近は小説も増えてます。

 

  安野さんの随筆に「なぜ旅に出るのか。それが人生だろうね。ジッとしているより面白いからだろうね」

という一文が。

 触発され、19年前のスペイン旅行をブログに書き残しておく事にしました。

これから動けなくなることがあっても、この文があれば楽しい日々を思い出すことが出来、きっと幸せに暮らせるでしょう。

 

 夫と東南アジアは何回も行っているのですが、ヨーロッパは1999年のイタリアツァーが初めて。

このツァーは一日は集団行動、2日目はフリー行動で、ローマ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ミラノの4都市を周遊。

このフリー行動が起爆剤となり、次回は全くのフリー旅行に挑戦しようという事になりました。

 

 

 2002年3月、スペイン・バルセロナ、マドリッドの10日間 

 飛行機とホテルは 娘の会社でやり取りのあるツァー会社に10日間の旅行を依頼。

初めてのフリーなので空港までの送迎と一日目のガイドもお願いしました。

ナント、19年前の旅行

私がまだ健康だった頃で、何の迷いなく動き回ることが出来た旅行です。

バルセロナ・サグラダファミリア教会

          

          マドリッド・プラド美術館前で

この旅行での特筆すべきことは、機内泊2日を除いた残り7泊がすべて5つ星ホテルだった事!!

東南アジアでは何回かありますが、ヨーロッパでの5つ星ホテルは後にも先にもこの時だけ。

今思うと、お洒落な服も持って行き、ホテルをもっと楽しめばよかったと思うけど、

実際は革のスニーカー一足と、コートも一着のみ。勿論スカートではなくパンツのみ。

歩き廻る服装しか考えてませんでした。

今思うと、アジア人のフリーの旅行客は今よりずっと少なかった気がします。

 

日程表

3月1日 21時55分成田発 機内泊

3月2日 パリにてトランジット

    現地時間朝9時35分 バルセロナ着 宿泊(ホテル・マジェスティック)

3月3日 4日、5日 バルセロナ宿泊 

3月6日 飛行機にてマドリッドへ マドリッド宿泊(ザ・ウェスティン・パレス)

3月7日、8日  マドリッド宿泊

3月9日 19時25分 マドリッド発

    パリでトランジット 機内泊

3月10日 成田19時着

 

この項続きます。

 

 

 

 

 

 

 

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人生最後の冒険・モロッコへの旅9 フェズ日3日目、カサブランカ、帰国

2019-12-16 17:50:58 | 海外旅行

                    ☆文と画像追加しました☆

 

 いよいよフェズ最後の日です。

この日はフェズの迷路をウロウロし、お買い物。

異国情緒をたっぷり味わいました。

 

 そして次の日カサブランカに出発。1泊し、帰国です。

 

10月19日 10日目  フェズ3日目

 8時半朝食、9時20分チェックアウト。 そのまま荷物を預けて出発。

まずはホテルの近所を散策。

                   

娘をジッと見ている猫達が可愛い

 

 花いっぱいの邸宅。

 

ホテル近くの門。 ここからタクシーでブージュールド門へ。

何といってもここが一番の見どころ。

スーク(商店街)に入る。

昨日と違って、人、人、人。

ここの猫達、大人しく、分け前を待っている。

ロバがやってきた。

写真が撮れなかったが、この後、この細い道に馬がやってきた。

 

小さな銀のペンダントトップを買ったが、これとこれ一緒なら幾ら、これとこれとこれ一緒なら幾らと、

何が何だかわからない金額を示され、結局値切れなかった。さすがしたたかです。

娘は香料や石鹸などを買う。

昨日、歯の無い小男に絡まれた広場。店が開いていて賑やか。

ここは金属加工製品を扱う一画。大鍋を製作中かしら?

細工が細かいですね。

コンコンと金属をたたく音が途切れない。

 

普通の住宅の屋上にある喫茶店。

               

温かいミントティー。

狭い通路をウロウロしていると、空も見えず、自分がどんな所にいるかわからなくなる。

ここで新鮮な空気を吸って一息いれる。

 

坂の下を下り、橋を渡ると、また違う商店街が現れる。

 

布地やその付属品、レースなどを扱う店が多い。

アラブドレスの店も沢山あったけれど、縁飾りのブレードが豪華。

楽隊もいましたよ。

 

カラウィン・モスク

 859年に建てられたフェズ最大のモスク。

教育機関としても有名で、アラビア数字はここからヨーロッパに伝えられたそうだ。

             

 

アッタリーン・マドラサ

 1325年に建てられた神学校。装飾が素晴らしい。

 

 

木工芸博物館

古い鍵や、家具を展示していた。建物が素敵。

 

 13時にリヤドに戻り、おやつを食べノンビリ。

                 

仲良くなったボーイさんと記念写真。

モロッコでは写真を撮る時、必ず肩を組むらしい?

日本に行きたいけれどダメだろうなぁ~と残念そうに言ってました。

 

14時半にタクシーのお迎えが来てフェズ駅へ

久し振りに文明に触れた気がする。

 

 ここで少し事件が。

モロッコに来て、最初に乗ったタクシーで、列車や、ホテルのバウチャー券(予約券)を貰ったのだが、

カサブランカに行く列車の切符が入ってないのに気が付いた。

娘は私が落としたかもと言っていたが、それは穏便に済ませるための方便。

絶対に最初から入っていなかったと思う。

駅で1等車の切符を買ったが、席が空いていて良かった(二人で330DH、3630円)

                    

 これが一等車の座席。6人掛けのコンパートメント(普通車は8人掛けで、座席が狭い)

席の上が鏡、その上のグレーの棚が荷物置き場。

今回も、若い男性が娘の大きいスーツケースをヒョイと棚の上にあげてくれた。

でも、途中で降りてしまった。

どうしよう?頑張って引きずりおろすしかない 危ないなぁ~

と思っていたら、同室の若い女性2人が途中下車する時に、助けてくれた。

4人がかりで降ろした。

モロッコの女性、控えめだけれど、とても親切

 

 驚いたのが列車のトイレ。

広くて清潔なのだけれど、便器の中が、爽やか。

エッ?と覗いてみると、穴から線路が見えた。

私が小学校低学年の時、こんな汽車に乗った事あるわ

 

                 

 

1時間半でカサブランカ到着。

ゆっくりディナー

 

   

 美味しいけれどどこに行ってもモロッコ料理だったので、ピザを見つけて大喜び。

最後の都市に到着した安心感で、ついたくさん頼みすぎてしまった。

お腹いっぱい

 

10月20日 11日目・12日目 カサブランカ そして帰国

ハッサン2世モスク

 モロッコ最大のモスク。新しい。1993年に完成。

海の向こうはスペイン

     

 

タクシーで中央市場へ

 写真は無いのですが、アンモナイトの化石を買った。

おまけに、砂漠のバラと呼ばれる化石を貰った。

全く値切らなかったのでくれたのかな?

 

周囲の建物 

多分20世紀初め頃のビル。

カサブランカはモロッコはもとより、北アフリカの中でも最大の経済都市と言われる。

 

 

トラム

 

 勿論乗りましたよ。

驚いたのが、トラムの駅に改札口がある事。

切符を入れるとバーが開く。こんなの初めて。

 

 10時半にホテルに戻り、タクシーでカサブランカ空港へ。

遅れて、16時45分に出発。ドーハまで7時間、ドーハで休憩5時間、そして羽田まで11時間。

 

20日夜、やっと帰ってきました。

 長い旅でした。

こんな旅ができるのはこれが最後でしょう。

娘の逞しさと、スマホ使いこなし能力に助けられました。

 

 長いブログにお付き合いいただき本当に有難うございました。

 

 

追加画像

下の梅干し状のものが砂漠のバラ(サハラ砂漠で取れたそうだ)

             

フェズの陶器など

             

フェズで買ったバブーシュとバブーシュのキーホルダー。

 

最後に

                         

シャウエンの猫

 

サハラ砂漠の星。 見えるかしら?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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人生最後の冒険・モロッコへの旅・8  迷宮都市フェズ・1

2019-12-14 12:28:45 | 海外旅行

 モロッコへの旅は感動が多かった分、思い出も写真も多く、ブログアップに苦戦しています。

他の記事も書きたいのですが、今は我慢、我慢。

あと少し、お付き合い頂けると嬉しいです。

 

フェズの歴史

 フェズは1000年以上続く世界最大の迷宮都市と言われている。複雑な迷路・細い道が毛細血管のように広がっている。

一度迷子になったら二度と出られないとも言われているが、今はスマホの地図アプリが必需品。それでも慣れるまでは幾度となく

迷子になった。

 

 フェズはモロッコ最初のイスラム王朝に都であり、8世紀末にバクダットのイスラム王朝から分離した。

9世紀に都造りが始まり、古くから住むベルベル人、チュニジア、スペイン、各地のアラブ人が移住してくる。

やがてフェズを中心にイスラム教が広まり、信仰、芸術、商業の面でモロッコの中心として発展。

最盛期は13世紀のマリーン朝。今でも活気ある生活が営まれている。

 

10月18日・9日目 フェズ散策

 8時20分に朝食。今日は遅めの行動。

このリヤド2泊目、今夜もう1泊します。

大きな広間の四隅にある部屋で食事。アラビアンで豪華な部屋。

担当のボーイさんは素っ気ないと思っていたが、だんだん慣れてきて、手が空くと私達の所に来る。

見かけより親切。

 

 

観光前なのに写真がいっぱい。ブログ写真が膨大になりそうで心配。

 

 9時30分 出発

 ボーイさんが見晴らしの良い所まで案内してくれて、あちらがタンネリ地区(皮なめしの工房がある)、

あちらがシュレインモスク(フェズで一番大きなモスク)と説明してくれた。

わかった気になって坂を下り、タンネリ方向に歩きだすが・・・・・途中から道が無い

エッ こっちって言ってたわよね?

右方向に行っても道は無し。 娘のスマホの地図アプリは起動しているけれど、方向がつかめず、いきなり右往左往。

まだ中心地にたどり着いていないのに、もう迷子とは

 

 しっかりした体格の小学5年生ぐらいの男の子が、「どこに行くの?」って感じで近付いてきた。

「シュレインモスクでいいの?」ってどんどん歩きだす。

途中「どこから来たの?」・・・・とまるで私達より年上の様に聞く。

 

くねくねした道を何回も曲がり、ここだよって感じで到着。チップを渡して感謝。

(子供が案内してくれた場合もチップが必要。子供のアルバイトなのね。)

助かったわ~

 

モスクはまだ開いてなかったが、これで娘は方向がわかったらしい。 

くねくねと歩いて行くと

サファリーン広場に到着。ここは観光する時に目印となる場所。

この周囲は真鍮や銅の金属加工品の土産物を売っているらしいが、今日は金曜日でイスラム教の休息日。

殆どの店がお休みだ。

 

 カラウィンモスクを背に左に行けば なめし革染色職人街、タンネリ・ショワラに着く。

中世そのままに皮を染めているらしく、フェズ観光の目玉の一つ。

行ってみようと足を向けた途端、前歯の無い小男に絡まれた。

タンネリに行くなら案内するとしつこい。一度その場を離れ、いないのを確認して戻るとまたどこからか現れる。

タンネリを案内しチップを取るか、土産物屋に誘いこむか、とにかく怪しい。

その時はタンネリ行は諦めた。

その後2回、タンネリ地区に行こうと試みたが、その度に案内人が現れる。

一度は「ノーマネー、ノーマネー」というのでついて行こうとしたが、先の道が細いのでやめた。

タンネリ地区はツァーでフェズに行かれた方は必ず寄る場所なのだが、個人旅行の私達には敷居の高い場所だった。

 

 ブージュールド門 

 メディア(旧市街)の入り口にあるフェズ最大の門。1913年に建造。

 

 

内側から見ると緑、使徒側から見ると青の装飾。

この門の前で、ミントティーと、オレンジジュースで一休み。

この近くの銀行で両替。

娘がカウンターの中の銀行員たちに何やら聞かれている。

娘が腕に巻いていたアップルウォッチ「いくらするの?」って聞かれていたらしい。

モロッコでは品薄であり、また金額的にもなかなか手に入らないようだ。

持ち物に対しては皆とても目ざとい。

 

  門を出てスークの喧騒を離れる。城壁沿いに歩き、ダール・バハト博物館に行こうとしたが改修中で休館。

 

ブー・ジュールド庭園

サボテンがいっぱい

ヤシの木

             

植物も、造園もモロッコでしか見られない庭園だった。

幼稚園児が、散歩に来ていたのが微笑ましかった。

 

フェズエルド・ジェイド通り

          

フェズに住む人たちの日用品が売られており、観光客はあまりいない。

衣類が山積みになっていたり、プラスティック容器だけの店や、中古の靴屋があったり、生活感にあふれた場所。

スークでは比較的女性の姿が少ないが、ここには女性達が自由に闊歩していた。

 

王宮

 マリーン朝のスルタン(王様)の居城であり、現在はモロッコ王がフェズに滞在する時に使われる。

素晴らしいタイル装飾

         

 

 

 

ブ・ジュールド門に戻り昼食。

      

門の真ん前にあるクラシックな建物のテラス席でランチ

 

          

 私はチーズオムレツ。娘はチキン野菜のタジン、ひよこ豆の煮ものはパンを浸して食べる。

飲み物はリンゴとアボガドのシェイク。

飲み物入れて120DH(1320円)ぐらい。

 

 

またスーク(商店街)を散策。余りにたくさんのモスクや学校があるので名前がわからなくなってしまった。

            

 

モスクの内部に部外者は入れない。

 

メディナの店 

 金曜日は休養日なので、閉まっている店が多いが、門の周囲はとても賑やか。

 

お菓子屋

 箱に好きなお菓子をとり、計量してもらう。すべて同一料金で100グラム??いくらだったかしら?

       

 まばゆいばかりに、きらめくお菓子たち。

7、8種類買ってみた。宿で食べたがどれも甘いくて、美味しい。

イスラム教では酒が禁止なので、甘いお菓子が人気。種類が豊富でビックリする。

 

 途中休憩しにタクシーで宿に帰ったり、カルフールのスーパーに行ってみたり・・・・

次第に街に慣れてきた。

 

スークでは商品の写真が撮りにくいが、何か買って「写真大丈夫?」と聞くと快くOKしてくれる。

          

 娘がランプを買った。

最初480DH(5280円)と言われたが、

娘は 「I have no mony」

おじさん 「どこから来た?日本から来たなら、お金は持っているはずだ」

娘 「But I have no mony。200DH?」 日本ではついぞ見せた事のない表情豊かな顔で言う。

 

ここからが交渉の醍醐味。

おじさん「450DH?」 娘「200DH?」

おじさん「400DH?」   娘「220DH?」

おじさん「350DH?」 娘「240DH?」

トントンとリズムの良い掛け合いが始まり、金額を言い合い、

ある金額でオオ~ッと言って二人で握手していた。

決定金額は280DH。 モロッコ人もしたたかだけど娘もしたたかだわ

明るく楽しく交渉するのがここのルールみたい。

娘もおじさんも楽しそう

      

あんなにおまけしたのに、おじさんご機嫌。前の店の人が写真を撮ってくれた。

(本によると半額でも儲けはあるらしい。読んで下さってる皆様ご安心を

 

ブ・ジュールド門の前で乗合タクシーを捕まえ、宿の近くまで帰った。

タクシーは安く、危険ではないとわかったので、フェズではタクシーを大いに利用した。

 

昼食をたくさん食べたので夕食はスークで買ったパンと果物。

  

 

 明日もフェズを大いに楽しみます。

グッスリ 

 

 

 

 

 

 

 

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人生最後の冒険・モロッコへ7 青い街シャウエンへ

2019-12-09 00:46:31 | 海外旅行

 

 10月17日・8日目  不思議の街シャウエン散策

 8時に運転手さんと街の門で待ち合わせ、田舎道を気持ちよく走る。

 

まるで野生の動物園。

羊の群れ、ロバの親子、牛と出会い、そのたびに運転手さんが(どうしても名前が覚えられない)車を止めてくれる。

 

 気持ちの良いドライブだったが、木々のある所で突然停車。

スピード違反で捕まってしまい(制限速度80km)、500DH(5500円)の罰金を支払ったとの事。

周囲には1台も車が走っていない道路なのにのに何という理不尽な

気落ちしてすっかりしょげ返った彼が気の毒で、300DH(3300円)援助することにした。

サンキュー ソーマッチと言って大喜びしていたのに・・・・・

 

 

途中のレストランで。私達は水を補給し、搾りたてのオレンジジュースで一休み。

ザクロが美味しそう(モロッコのザクロは甘い)

 

 シャウエンの街が見えてきた。

街が青いのは、青い空と同じ色に塗り敵の目を欺くためだったとも言われている。

20世紀まではキリスト教徒が入れないという秘境だった。

 

街の外れにあるシャウエン門。

     

この門の周りで、女性たちが民族衣装を売っていた。

  

写真を撮っていると、あれよあれよという間に 3人がかりで 民族衣装を着せられてしまった。

頭にかぶり物、スカーフ、巻きスカートが定番らしい。

でも、ごめんなさい。いらないのです。

早々に引き上げた。

どの街でも 物を売る人は男性に限られていたが、ここで初めて女性の物売りに出会った。

モロッコでは、人と接触する仕事はほぼ男性だった。

 

          

駐車場で車を降りる。運転手さんはガイドの資格がないので、街を案内することが出来ないそうだ。

散策時間は3時間。

 

どこを見ても、青、青、青。

微妙に違う青が重なり合い、不思議な雰囲気。

映画の街か、ディズニーランドの様な遊園地か、まるで現実感が無い。

人々が生活しているはずなのに・・・・夢のような街。

 

             

所々アラベスク模様のタイルも見かける。

 

             

 

水汲み場

 

         

 ドアいろいろ。     

 

 

 

ここでもロバが活躍。

 

街の一番高い所にある門。一歩外に出れば山並みが続く。

     

 

 

広場

 

 

周囲には土産物店や、のんびり過ごすおじさん達。

シャウエンの男性は このおじさん達の様にジュラバという服を身につけてる人が多い。(中年以上ですが)

 

ランチは こじゃれた店で野菜のパニーニと、ジャガイモと野菜のタコス。オレンジジュース。

どのレストランに入っても同じようなモロッコ料理だったので、このメニューがとても嬉しい。

それにしても安い(二人で70DH)

いつも運転手さんと入っているレストランは一人分約150DHのモロッコ料理のコース。

        

私は豆が大好き。ナッツの店でミックスの豆と、アーモンドと ピーナッツを400グラム買った。

どれもコクがあって美味しく、日本に帰ってから アッという間に食べきってしまった。

 

15時出発。

夕食はホテルで予約しておいたが、胃が重くて運転手さんの電話を借り、キャンセルした。

(多分 何度も食べたモロッコ料理のコースが出てくる

代わりに何かテイクアウトがあるかどうか聞いたら、ケバブの店に連れて行ってくれた。

 

 

肉を選ぶと、その場で焼き、丸パンにはさんでくれる。チキンとビーフを選んだ。

モロッコ風サンドイッチだ。

その土地のソウルフードを食べるのは楽しい。

 

 20時30分にフェズの街の門に到着。

運転手さんに4日間のお礼を言い、今日の分のチップ400DH(4400円)を渡した。(チップは毎日夕方渡していた)

で、これでお別れかと思ったら、良かったらもっとチップが欲しいという。

エッ?さっき300DH渡したでしょ。

娘がさっき交通違反の時お金を渡したと言ったら、ソレはソレ、コレはコレと言われたらしい。

100DH渡したら、少し不満顔で受け取った。

なんだかね~。 最後にケチをつけられた気分。私達ならもっと取れると思ったのかしら?

生活があるのはわかるけど・・・・したたかですね。

 

 まぁ4日間楽しく過ごしたので、良しとしましょう。

 

 明日からは世界一の迷宮都市と言われるフェズの街散策です。

楽しみだわ~~

 

 

 

 

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