気まぐれ日記☆着物の小部屋

2007年耳下腺癌の手術で顔が変わり、生活が一転。街歩きと着物と芝居のブログをどうぞ宜しく♪

南ドイツローカル線の旅3  ビュルツブルクからローテンブルクへ

2017-09-30 23:38:58 | 海外旅行

  ビュルツブルクはライン川沿いの古い街を結ぶロマンティック街道の起点。

終点はフュッセンとなる。

私達はローカル線で、ロマンティック街道沿いの街、ビュルツブルグと、ローゼンブルクとフュッセンを旅した。

 

 感動の連続の旅であったけれど、それを伝えたいと思うと、とても時間がかかり、

いつブログが終わるか自分でもわからなくなってしまった。

これ以降は簡単なブログにしていきたいと思います。・・・・残念だけれど。

 

9月12日 4日目

 

古城ホテル外観。

ポルトガルで体験したようなマイ城壁を持ち、塔があり、厚い壁で小さな窓のワクワクするような

お城感満載のホテルではなかった。貴族の館かもしれない。

でも、街を臨む景色は素晴らしかった。

                   

朝、食事前の散歩。  風が吹いて、寒い~。

 

 

シャンデリア輝く食堂で、眼下に街を臨みながらの静かな朝食。

アジア人は私達だけ。ゆとりあるご夫婦たちの宿だった。

行きたい所がたくさんあるので、残念だけれど早々に引き上げ、タクシーで駅へ。

滞在時間が短かったので、娘は「何もこのホテルでなくても良かったかな?」と言っていた。

いえいえ、たとえ短時間でもこんな経験が出来て良かったわ~。

 

               

昨日の喧騒はどこへやらの、アルテ・マイン橋。

山の上に見えるマリエンベルク要塞に行きます。

この地域はフランケン地方と呼ばれ、白ワインが有名(昨日飲んだフラン・ケンワインは、果実の香りがして美味しかった)

要塞の下にもワイン畑が広がる。

マリエンベルク要塞は13世紀から18世紀まで歴代ヴェルツブルグ大司教の居城。

18世紀に政局が安定し、昨日訪ねた平地のレジデンツを建て、引っ越しをした。

 

                      

橋を渡り、街を抜け、上へ上へ・・・・・

 

数百年の間、何万人、何十万人の人々が通った痕跡が残る。

 

広い中庭を進むとベルクフリート(主塔)がある。

要塞兼居城として使われたので堅固。

内部はとても広いけれど写真不可

街を見下ろす庭園。

歩いて渡ってきたアルテ・マイン橋も見える

 ブドウ畑。

 

武器庫として使用されていたマインフランケン博物館もあり、

ここで初めて リーメンシュナイダーという彫刻家を知った。

この地域で活躍した15世紀の彫刻家で、この地域に作品が数多く残されている。

ここでは「悲しみのマリア」と、「アダムとイブの彫像」を所蔵していた。

      

疲れたので、コーヒータイム。すこし寒いけれど、のんびり~

 

 

          

市の中心、マルクト広場に戻り、行列のできるソーセージスタンドでgetしたホットドック。

どの案内書にも書いてあり、絶対に食べたいと思っていた。

ニコニコしたおばさんが、アツアツの長~いソーセージをパンにはさみ、パキンと折ってから渡してくれる。

この動作がとてもリズミカル。思わず見とれてしまう。

パンも温かくて食べ応えありで、立派な昼食となってしまった。

とても安くて、2ユーロか、2.5ユーロだった。

 

赤はマリエンカペレ教会。後期ゴシック様式。

黄色の建物はロココ様式の建物。時代の違う建物が仲良く並んでいる。

      

マリエンカペレ内部。 窓が大きく、とても明るい教会。

マリエンカペレの入り口にはリーメンシュナイダーの「アダムとイブ」の模造がある。

本物はマインフランケン美術館で見ることが出来た。

 

 

       

大通りにはノイ・ミンスター教会。

昨日この教会の前でトラムを降り、この立派な教会は何だろう?と二人で話していたら、

おじいさんが近寄ってきて「ノイ・ミンスター 、ノイ・ミンスター 」と教えてくれた。

他の名所の説明もしてくれたようだがよくわからなかった。

体が大きくて近寄りがたい印象だが、ドイツ人は親切な人が多いのかもしれない。  

        

リーメンシュナイダーの「聖母と幼子キリスト像」 彼の作品と知らなかったが、思わず惹き寄せられた。

 

 

大聖堂。11~12世紀のロマネスク様式の大聖堂

          

此処にもリーメンシュナイダーの作品が(大司教の彫像)

鎌倉時代の生き生きとした表情の仏像たちを思い浮かべてしまう。

 

 ここから2等列車、ローカル線の旅。ローテンブルクへ。

列車はすべてこの色に統一され、わかりやすい。

途中、ステイン・ナッハで乗り換えたが、エレベーター、エスカレーターが無かった。

階段の端に20センチ巾ぐらいのベルトコンベアーがあり、スーツケースを載せることが出来て助かったが、

荷物を持っての移動は体力を使う。

 

自転車のマークは、自転車可の印。 自転車抱えて乗り込む人も見かけた。

                      

車窓。雨が降っているが、このような牧草地が続く。 

ローテンブルクのレトロな駅。

降りた乗客は数組のみ。

ホームと外が続いているんで、ホームを出れば表通り。 シンプル~

 

駅。                     15分ほど歩く。

ローテンブルクは城壁に囲まれた街。

13世紀に商業で繁栄したが、17世紀の30年戦争で痛手を受け、歴史から忘れ去られた。

けれどそのおかげで中世の姿を完全に残すことが出来た。

私達の宿は、このレーダー門のすぐそばにあるプリンツ・ホテル。

 

この後はローテンブルクの写真をお楽しみください。

 

 右が私達が宿泊したプリンツ・ホテル。 窓辺の花が美しいホテル。

 

 

 

 

町の中心、マルクト広場。

 

 

 ショーウィンドウ

 

 

 

 街一番の写真スポット。 夕方なので暗いが、ここで記念写真を撮る人多数(私達も勿論撮りました

 

夕食は、写真スポットの前にあるグロッケで。

 

   

サラダ、ロールキャベツと、 シュニッツェル。フランケンワインにジュース。

パンと、トマトを練りこんだチーズ、クリームチーズ。

このワイングラスの形はローテンブルク独自の物らしい。日本でもこの形見かけますね。

 

ポテト、コーヒー。 豪華でした~

夕暮れ

         

                         

ローテンブルクの名物お菓子「シュネーバル」小麦粉をひもかわうどんのように伸ばし、固めたもの。

ホテルで試食。ボリュームがあるので少ししか食べられなかった。

 

今日も刺激的でした

 

 

                      

 

 

 

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南ドイツローカル線の旅 その2 ケルンからビュルツブルグへ

2017-09-26 23:14:15 | 海外旅行

  娘との二人旅は、ネット関係ではもう娘に歯が立たない。

 でも娘に任せきりで何もしなければお荷物になり、嫌がられる。

 私の役割はガイド書「地球の歩き方」を読み込み、ポイントにアンダーラインを引いておくこと。

 そして泊まる予定のホテルの地図を調べ、そこの口コミからちょっとした情報を仕入れておくこと。

 旅行前は情報収集でいろいろ大変です。

 

9月11日 3日目

 7時半荷物を持って、ホテル出発。 

昨日歩きすぎたので、少し疲れ気味。

この後の旅行は大丈夫だろうかと少し不安になる。年齢を感じますね~

巨大なドームのフランクフルト中央駅。

入ってきた列車が、超特急のICE。

これに乗ってケルンまで約1時間の旅。

 

この列車はケルン大聖堂前のケルン中央駅ではなく、ケルン・ドイツ駅に止まる。

他の行き方もあるが、ケルンに行くにはこちらの方が断然早い。

 

ケルン大聖堂に行くのには遠いけど、思わぬお楽しみが・・・・・

 

大聖堂の前を流れるライン川を、なんと徒歩で渡ることが出来るのです

昔から知っているライン川を徒歩で渡るなんて感動

そして橋の先は世界遺産のケルン大聖堂。建築史に絶対に登場する超有名な建築

疲れなんて、どこかへ吹き飛んでいったわ~

 

橋のフェンスが変と思ったら、世界各国の旅行者が、永遠の愛を誓って錠前を置いて行った。

隙間なくギッシリ。

この錠前の重さが半端ではなく、橋に負荷がかかっていると何かに書いてあった。

1つ2つなら可愛いけど、これは公害ですね。

 

世界遺産・ケルン大聖堂の裏側に到着。

 

豪壮、華麗。上へ、上へ、と力がみなぎっている。

 

         

         正面。ゴシック建築。

         1280年委着工、完成は1880年。実に600年もかかった事になる。

         

  

正面で記念写真。                 ケルン大聖堂前の広場

中に入ってみましょう。

  

思わず声が出る。壮大なスケール。 高さ43.5メートルもあるそうだ。

             

             側廊

 

ゴシック建築はそれまでの教会と違い、構造上窓が大きく取れる様になり、

ステンドグラスが嵌め込まれて、内部が明るくなった。

           

ノイバンシュタイン城を作ったルードヴィヒ2世の父、ルードヴィヒ1世が奉納したステンドグラスの窓。

バイエルン窓と呼ばれている。

色鮮やか美しい。

      

東方三博士の聖遺物を納めた 世界最大の金銀細工の聖棺。

        

ここで娘は大聖堂の塔に登りに行った。昨日フランクフルトの塔に登り、目が回ったので私は休憩し、市内散歩。

 

美味しそうなパン屋。虫がぶんぶん飛んでいるのでハエかと思ったら、ミツバチだった。

     ミツバチ君、ここはお花畑ではないのよ 

ここで列車の中で食べるランチのパンを買った。上につるしてあるアーモンド蜂蜜がけのプレッツェルともう一つ。

 

娘が戻ってきて合流。塔の上の眺めは素晴らしかったそうだ。

「昨日の方が大変だった」との事。なんだ~、私も登れたかもしれない。

でも旅では疲れすぎないのが大事。

           

その後は香水屋巡り。 ケルンはオーデコロン発祥の地なのです。

このチューリップ模様はファリナ・ハウス。 ここで1709年にオーデコロンが発明された。

 

 

4711本店は改修中。 日本ではファリナ・ハウスよりこちらが有名。

仮店舗にも行ってみた。

 

 

また橋を渡り、ケルン・ドイツ駅からICEに乗って3時間、ヴェルツェブルクへ。      

 

超特急ICEの内部。 席のわきに都市の名前が出ていれば予約席。

書いてある都市以外の区間は誰が座っても良く、自由席となる。

この仕組みがわからず、行きはどこに座ってよいかわからず困った。

仕組みがわかれば無駄に空席とならず合理的ですね。

 

ビュルツブルクの駅で、ロッカーに荷物を入れ、トラムに乗り、町の中心へ。

 

ここでトラムを降り、歩く。

レジデンツ  ここも世界遺産。ドイツバロック建築として名高いそうだ。

この地を支配する大司教の宮殿として18世紀に建てられた。

内部は写真不可・・・豪華です。

付属のホーフ教会。 この教会から、レジデンツの豪華さを想像できるでしょうか?

女神や天使の像などが配されたホーフ庭園。 市民に開放されているそうで、ベンチで憩う方達がいた。

 

街を散策していると、いつの間にかアルテ・マイン橋の上。

人が沢山集まっている。何かしら?

皆さん何か飲んでいる 何でしょう

ここは自家製のフランケン・ワインを飲ませる居酒屋さん。 立ち飲みOK。 白ワインです。

決めた! 夕飯は此処にしましょう。母娘の意見が即一致

        

向こうのテーブルはおじさん達の楽しそうな宴会。

  

私達のメニュー。サラダの葉の下には、キャベツとにんじんのザワークラフトが隠れていた。

勿論白ワインも飲みました~。すっきりしていて美味しかった。

 

道端では学生たちの弦楽四重奏。夢みたいな夕暮れ。

 

タクシーで山の上の古城ホテル(シュロス・スタインベルクホテル)に着いた。

 

  

11時就寝。この日も20000歩を超えた。  

ぐっすり~  

 

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南ドイツローカル線の旅 その1 フランクフルト

2017-09-23 16:26:29 | 海外旅行

 やっと落ち着き、ブログに取り組みましたが、相変わらず文章少なめ、写真ブログとなりそうです。

異国の空気を感じて頂ければ嬉しいです。

 

 今回の旅は、ヘルシンキ経由、フランクフルト着、ミュンヘン発帰国の10日間です。

ドイツの事はあまり知らず、ケルン大聖堂とノイバンシュタイン城が見られればラッキーと思っていました。

最初の予定は9日間の予定で、手配していた娘が ふと一言、

「ミュンヘンでは帰国の次の日からオクトーバーフェストらしい」

と言った事から急に私が興奮!オクトーバーフェスト追加となりました。

何といっても世界最大のビール祭り!!こんな盛大なお祭りは行かなくっちゃ!!血が騒ぎます。

いつも交通とホテルは旅行社に依頼するのですが、この時期ミュンヘンのホテルは満室、

割高となりましたが、旅行社の努力と娘の押しでやっと2泊ゲット。

 

 

 

 旅程        

フランクフルト(2泊)

日帰りでケルン・・・ケルン大聖堂

ヴェルツブルグ(古城ホテルで1泊)

ローテンブルク(2泊)

フュッセン(1泊)

ミュンヘン(2泊)

 

  ヴェルツェブルグからフュッセンまではロマンティック街道と呼ばれ366kmの観光ルートとなっている。

 1本の道があるわけではないが、古い街を結ぶルートとして有名。

 今回はこのルート沿いの街を訪ねた。

 けれど車、バスでの移動が主で、列車の移動は非常に不便。

 列車の本数は少ないし、乗り換えはあるしで大変だったが、でもその不便が緊張を生み、

  かえって自由な旅をしている気がした。

  車窓から見る牧歌的風景も、異国に居ると言う実感があり、楽しかった。

 

  そうそう、ドイツの食事は思っていたよりずっと美味しい。

 ジャガイモとソーセージばかりかと思っていたが、野菜は豊富、料理も種類が多く、勿論お酒は美味しい。

 食べ物の写真も沢山撮りました。

 

9月9日 1日目  

  空港から電車に乗り、フランクフルト中央駅すぐそばのホテルに 22時到着。

疲れているので駅に近いのがとても嬉しい。

 

外に出たが、遅いので 近くのコンビニで水を買うのみ。

 

9月10日 2日目

 8時半出発。 今日は歩きま~す。

フランクフルト中央駅。建物の上にあるDBがドイツ鉄道のマーク。

フランクフルトはドイツ有数の大都市。

そしてフランクフルト中央駅はヨーロッパ最大のターミナル駅。ここからヨーロッパ各都市に通じる列車が出ている。

 

 まずは記念写真、とカメラを向けていると、ドイツ人のおじいちゃんに 写真を撮ってくれと頼まれた。

駅をバックに2枚撮ったが、何か気に入らない様子。ジェスチャー交じりで全身という。

そうかぁ、頭の先から足の先まで写せばいいのね。

撮ってあげたら大喜び、私達も駅をバックに写してもらったら、しっかり足先まで写っていた(笑)

さすが、ドイツ人、こだわりが強いのですね。

これ以後二人で写真を写すときは「全身?部分?」と聞くのが合言葉となった。

 

このカイザー通りを歩いていくと中心地に出る。(娘の部分写真

 

 

意外と汚い。でも大丈夫。朝はこんな清掃車が大活躍。

 

         

         10分ほど歩くと欧州中央銀行の本社に出た。日本でいえば日本銀行のようなもの。

         ユーロの本拠地です。 ユーロマークのモニュメントが有名。

フランクフルトは、古い街並みの中に急に高層ビルが出てくる。

特に違和感を感じないのはなぜでしょうね。

 

更に10分歩くと レーマー広場

 旧市庁舎と木組みの家が建つ広場。

クリスマスマーケットなど、大きなイベントが ここで開かれるらしい。

 

旧市庁舎。15世紀初めに貴族の館3軒を市が買い取り、市庁舎とした。

日曜日だったので、中に入れず残念!

 

そばで見ると実に繊細な雰囲気で、いつまでも見飽きない。

今にも降り出しそうで空が暗い。 明るい日ならもっと綺麗かもしれない。

 

大聖堂

 13~15世紀のバロック様式。神聖ローマ帝国の戴冠式も行われた歴史ある教会。

              

第2次世界大戦で、大変な亀津的な被害を受け、修復している。

ドイツも戦場だったと実感。

           

塔に登れるはずなのによくわからない。やっと見つけた入り口。

入ってびっくり、狭い所で幅1メートルにも満たない螺旋階段が延々と続き、目が回りそう。

上から降りてきた男性に「so long way~」と言われてしまった。

もう半分ぐらい登ったかと思ったが、まだ1/4だった

塔からの景色。旧市庁舎も見える

ライン川と合流するマイン川

 またぐるぐると階段を降りるとすっかり目が回り、足元がフラフラ。

 

ゲーテハウス

 ゲーテが18世紀にゲーテが生まれ、多感な少年時代を過ごした家。

フランクフルト屈指の裕福な家だった。 大戦で破壊されたが疎開していた調度品はそのまま残されている。

台所

客間

 

各部屋にある暖房器具

             

 当時の時計。今も正確に現在の時を刻んでいる。よほど高価な時計だったのでしょう。

 

      

外に出ると青空が・・・。 そろそろお腹も空きました。

 

日曜なので休みが多く、レストランが無い! やっと見つけた!

 

クラブハウスサンドイッチは暑さ5㎝、生ハム、ベーコン、たまご、野菜たっぷり。

用心して1人前しか頼まなかったけど、娘と2人で食べて丁度良い量だった。

          

道端の居酒屋さん。 テーブルの上に生の花を飾っている店が多い。

ドイツは堅苦しいイメージがあったが、こんな何気ない飾りが大好きなようだ。

 

 トラムに乗り、橋を渡る。

 

シュテーデル美術館 正面

 フランクフルトの銀行家シュテーデルのコレクションをもとに作られた美術館。

中世から20世紀にかけての作品が中心。

次から次と超有名作品が目の前に現れるのに感動。ドキドキしてしまった。

絵のイメージにより、壁の色を変えている。

クラナッハ「ヴィーナス」今年日本に来ていましたね。

 

左・・・ボッティチェリ「女性理想像」 こちらも去年?日本に来ましたね。これ1枚に行列した覚えがある。

右・・・ 名前忘れました。       

                   

 

ルノアール2枚。 このほかにドガ、マネなど。

            

        

こちらも名前を忘れたが、とてもいい絵だった。

 

フェルメールの「地理学者」があるはずなのにいくら探しても無い!!

係員に聞いてみたら、今フランスだそうだ。 

娘と「この美術館の稼ぎ頭ね。日本にも来ていたし」

私は昔大阪で、最近東京で「地理学者」を見ているが、あのイケメンの佇まいをホームグラウンド是非見たかった。

          

          地理学者(ネットから拝借) 

 マイン川の川べりで暫し休憩。チョコレートの甘さが美味しい。

 

夕飯は地下鉄に乗って下町へ。

地球の歩き方に書いてあった、気楽なドイツ料理と林檎酒の店「アドルフヴァーグナー」

 

林檎酒とスープ

           

ハックステーキ(ハンバークステーキ)暑さが5㎝ほどもある。もちろん娘とシェア。

6時頃だったので店に入れたが、すぐに混雑してきた。人気店らしい。

お隣の夫婦がいい感じ。 私がベンチから足が抜けなくてバタバタしていたら笑われてしまった。

お互いに「良い一日を。さようなら。」と言って別れた。

夜のレーマー広場

ドキッとするような色使いのドーナッツ。

 

この日は25000歩。 最初の日から頑張ってしまいました

 

 

 

             

 

        

 

 

 

 

 

 

 

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南ドイツ ローカル線の旅 

2017-09-19 16:43:32 | 海外旅行

  18日の昼、10日間の南ドイツ旅行から帰国しました。

天気に恵まれたとは言えず、残念な思いもしましたが、それでも得難い体験をして帰ってきました。

 

  今までの海外フリー旅行は2都市か3都市、それが今回は5都市の移動があり、まぁ忙しかった事!!

それも特急に乗ったのは1回のみ、あとはすべてローカル線。

乗換駅ではエレベーターやエスカレーターが無いのが当たり前、体力勝負でした。

 

 以前は列車利用時は駅で事前に時刻表を確認して乗っていたのですが、

今回娘がドイツ鉄道の時刻表アプリを見つけ、大いに助かりました。

乗り換えがあるか、直行でいけるか、乗り継ぎの時間は、何番線に到着し何番線に乗るか??

などなど、ほとんど1時間に1本の列車を上手に乗りこなす技術は我が娘ながら頼もしく見えました。

 時代遅れの私には到底できない芸当でした。

 

 ローカル線の旅とはいいながら、行き先は観光都市ばかり。

ブログ開始までまだ時間がかかりそうですが、

少しだけ訪ねた場所の写真です。

 

       (フランクフルト 2泊)



        (ビュルツブルク 1泊 古城ホテルにて)



        (ローテンブルク 2泊)

          (フュッセン 1泊)



 

        (ミュンヘン 2泊 何のパレードでしょう?)

         オクトーバーフェスト初日でした♪



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夏の着物

2017-09-08 16:24:37 | 着物

 今年は雨続きのため夏着物があまり着られず、とても残念でした。

でも7月からの写真が5枚あるので、旅行前に載せますね。  もっと着たかった!!

  

左は友人から、義理のお姉さまの着物を頂きました。

   たぶん木綿。細かい織り模様。ずっと手に入れたかった薩摩絣かも知れません。

真ん中も月に一度の学習会のお仲間から頂いたもの。派手になったからとおっしゃってました。

   絽の華やかな染で、着ると気分が高揚します。

右は、立川G店で購入した麻の着物。帯は2部式のためとてもお安く手に入れました。

   着やすくて、大好きな着物です。

        

左も麻の着物。5年ぶりぐらいに来ました。派手かしら?と思いましたが、大丈夫でした。 ホッ♪

   自信を持って着ていれば、多少派手めでも何とかなるものです。

右は帯違いの紺の麻。この帯は実家にあった古いものを家で洗いました。 まだ使えそうで嬉しいわ。

        

そうそう、恵比寿の盆踊りで有松鳴海絞の浴衣を着ました。  

 

 では、ドイツに行ってきま~す

しばらくコメント欄は閉じますので、よろしくお願いします。

 

 

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東海道だらだら歩き その6 戸塚宿

2017-09-07 13:58:54 | 散策

 最高のニュースがありました。眞子様ご婚約。

お二人の将来は 多少不安含みでもありますが、若さで乗り切っていかれることでしょう。

おめでとうございます。

 

 そして最悪のニュースが世界を震撼させました。

北朝鮮の水爆実験は、日本が戦場になったらという恐怖をリアルに感じさせるものでした。

かの国はいったいなにをめざしているのでしょう?

武力というもっとも原始的な方法で力を示そうという国に対して、各国はどのように対応していくのか、注目ですね。

まかり間違えば・・・・・怖いです。

 

 風呂掃除をしていて、腰を痛めてしまった。 壁と床の取り合い部分が気になりゴシゴシゴシ・・・

気がついたら腰が の、伸びない~~~

8月は太極拳がお休みだったので、弱っていたのかも。

昨日は久しぶりの太極拳で体の柔軟と曲げ伸ばしが効いたせいか だいぶ楽になった。

明後日から久しぶりのヨーロッパ。

あと一日で治さなくては

 

 また、東海道だらだら歩きの報告です。

 

 戸塚宿付近は国道1号線と並行しているため、街道筋を思わせるものはほとんど残っていない。

雨にも降られたが、それでもワイワイと楽しい街道歩きとなった。

 

9月4日、戸塚駅9時30分出発。参加者はいつもの4人。

(まだ歩いていない東戸塚駅から戸塚駅の間は後日穴埋めの予定)

駅の構内には大きな壁画があり、期待をあおる。

 

 

駅を出るとすぐに、戸塚宿の2つの本陣跡がある。

           

 八坂神社

 夏祭りの「お札まき」が有名。横浜市指定無形民俗文化財に指定。

女装した踊り手が、厄除けのお札をまき散らし、人々が拾って、家の戸口や神棚に貼るという珍しいお祭り。

戸塚宿の鎮守様。 

鳥居の横には水準点があった。(土地の標高を図る基準点)街中で見かけたのは初めて。

 

急にザーザーと雨が降ってきたので、この神社で1時間ほど雨宿り。

次の箱根越えの打ち合わせをしていたので、時間を気にせず、和気あいあいと休憩を楽しんだ。

よく、時代劇や芝居で、神社の社で雨宿りする場面があるが、期せずして昔の旅人の気分を味わった。

神社って屋根が大きいので全く濡れないのです。

雨も上がりかけた頃、地元の参拝の方が見えた。

失礼に当たるので急いで立ち上がろうとしたら「そのままで、そのままで、横からお参りするのでそのままで」

と言わてしまった。 地元の方は優しいです。

 

 富塚八幡

 戸塚の想鎮守。社殿は源の頼義・頼家親子の造営と言われている。

「鎌倉を生きてでけむ はつ松魚(かつお)」の芭蕉碑がある。この辺から初カツオが出荷されたらしい。

境内山頂に富塚という古墳があり、これが戸塚の地名の由来となったそうだ。

階段の上に社殿がある。

 

 庚申塚

17~18世紀に建てられた庚申塚が8基ある。たぶん国道1号線の工事でここに集められたのだろう。

庚申塚の下の方には、見ざる、聞かざる、言わざるの三猿が彫られている。

庚申塚は、行いの善悪で寿命が決まると言う庚申信仰を表したもの。

わかりやすい教えなので、各地で庚申塚を見かける気がする。

 

道端に咲く白い芙蓉

 

大運寺

 16世紀創建の寺だが、本堂は新しく、境内には二宮金次郎や灯篭など石の彫刻群が多かった。

 

目の前に垂れ下がる 銀杏。 秋を感じますね。

 

浅間神社

スダジイの並木道が残っていた。大木が多い。

横浜市名木古木に指定されている、迫力あるスダジイ。

 

昼食

  ビュンビュン車の飛び交う国道一号線。

チェーン店のレストランもないのに、お腹のすく時間になぜか目の前に現れた 戸塚崎陽軒。

美しい内装、美しい庭園。ここでランチだわ~

 

 

前菜は蒸し鶏。エビや海草も入っていて美味しい。

メインは、なんとウナギのチャーハン、カボチャのスープ、トンブリの入ったシューマイ。

私がトンブリをブリと聞き間違え、お魚のシュウマイですって!!と言ってしまい、皆で大笑い。

カボチャスープがお代わりでき、二人がお代わりした。

             

デザートは雪燕(薄茶色) 雪燕は燕の巣のように見えるのでこの名がついたらしい。

店の人が木の根と説明していたが、木の樹脂らしい。初めて食べた。10食限定メニュー。

手のかかったお料理ばかり、そしてサービスも素晴らしかったのに、1500円ナリ!

オドロキでした。

 

19世紀の道祖神。と松並木の碑

村の厄除けと旅人の安全を祈る道祖神(男女一対の浮彫)。

右はこの辺の東海道。 

 

 

  

 ここら一帯は松並木が残り「緑ヶ丘」と呼ばれたが、松くい虫で今は大半が枯れてしまった。

松は数本の凝るのみで寂しい限り。

ここにベンチがあり、飴やおせんべいを取り出し休憩。

いつもは古い和菓子屋でお菓子を買って休憩するのだが、

戸塚宿にはそんな店がほとんどなかった。

国道一号線を作るときに古い店はすべて立ち退いてしまったようだ。

 

遊行寺

 時宗総本山。宗祖は一遍上人。

 歌舞伎に登場する小栗判官・・・実在していないと思うが、墓があるらしい。ぜひ行ってみたい。

六地蔵そばまで歩いたが、また急に土砂降りの雨が降ってきて、行くのを断念。

 

           

 

またまた、本堂で雨宿り。軒の彫刻が素晴らしい。 神奈川県で一番古い本堂だそうだ。

今回の東海道歩きは、雨宿りが印象的で、戸塚というと雨宿りと崎陽軒のランチを思い出すと思う。

 

樹齢700年の大銀杏。

門の奥に見えるのが いろは坂。

ダラダラとした石畳の階段がとても趣がある。 紅葉の季節は素晴らしいだろうな~。

 

ここいら辺から藤沢宿。

赤い遊行寺橋を渡る。

 

 

紙問屋。 蔵造りの商家。今でも紙を扱っているらしい。 

           

この先に義経首塚があるのだが、また強い雨が降ってきて小田急藤沢本町駅に駆け込んだ。

本日終了。

国道1号線の幅が広いため渡れず、進行方向右側のみの見学でした。

雨とランチが記憶に残り、楽しい戸塚宿歩きでした。   

 

 明後日から、南ドイツに行ってきます。

フランクフルトに到着後、列車でミュンヘンまで下ります。

相変わらずの出たとこ勝負旅。行ってきま~す。

 

 

 

 

 

 

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東海道だらだら歩き その5 神奈川宿・保土ヶ谷宿 2

2017-09-04 01:02:30 | 散策

 9月2日は娘とデイト。餃子で有名な銀座「天龍」に連れて行ってもらった。

「60年変わらない味、変らない行列」がキャッチコピー。

10㎝大の餃子が8個も出てきてビックリ。 他のお料理も頼んでしまったので、く、苦しい~~。

5時台では普通に入れたが、帰る頃には大行列。エレベーターを降りた一階にも行列ができていた。

 

腹ごなしに日比谷公園へ。

今日3日放映の「池の水全部抜く」で日比谷公園の池が取り上げられた。

ならば、今池に行けば水がきれいなはず、「見てみよう」という事になった。

だがすでに夕闇が池を包み、ほとんど見えない。心なしかゴミが浮いていない?底が見える?・・・よくわからなかった。

 

日比谷公園ではオクトーバーフェストを開催していた。

テントを張り、テーブルを出し、各種類のビールを飲むことが出来るお祭りだ。

私達はおなかいっぱいで何も入らないので、横目にながめて通り過ぎた。

皆楽しそう。でも夜のためか、若者しかいないわね~。 



 

東海道だらだら歩きの続きです。

 

橘樹神社  

この地の氏神。天照大神を祀る。 橘の大木が数本ある。

 

帷子橋(かたびらばし)

公演の中に近くを流れる帷子川の橋を再現していた。

 

香像院

このお釜の意味が分からなかった。この奥に古い地蔵、観音像があったが、本殿は新しい。

 

天徳寺

 

大蓮寺

 

線香の置き方にルールがあるのかもしれない。初めて見た。

 

高札場跡。高札場では法令のお知らせだけでなく、宿場の宿賃、隣の宿場までの運搬料などの規定も掲げてあった。

今の観光案内所、情報センターと言う役割も果たしていた。

この辺は保土ヶ谷宿の中心部でもあり、問屋場跡(荷物運搬や飛脚通信を担った)、本陣跡などもある。

 

旅籠屋(本金子屋伝左衛門跡)

中が見学できないのが残念!

 

         

昼食。千歳屋さん。

何もない場所なのに、空腹になると、なぜか目の前に食堂が現れる。お年寄りの経営で、美味しかった。

 

保土ヶ谷の一里塚跡(江戸から八里目)、見附跡

一里塚は目立つように様々な工夫が凝らされていたようだ。

 

外側神社、出羽三山供養塔(出羽三山の湯殿山をご神体とした山岳信仰の供養塔)を横目に見て歩く。

もう萩が咲いている。

 

樹源寺

庭の手入れが行き届き、清々しいお寺。

 

坂を上がる。 この坂がお正月のマラソンで有名な「権太坂」

 

坂の名前を問われた老人が自分の名と勘違いして「権太」と答えたところからこの名になったという。

坂登りはさすがに苦しいわ。

登りきると、小さな昔からの商店街に出る。

 

和菓子栗山。 ここで地蔵最中を売っている。 店内で和菓子を頂き一休み。

最中があるので、近くにお地蔵さまがあるはず。 しばらく歩くと境木地蔵をみつけた

 

境木地蔵の中の大欅が武蔵と相模の国の国境だったそうだ。

右の道標にはこれより相模の国、戸塚宿までは一里九丁と書いてある。

 

ここから焼餅坂を下る。

 

品濃一里塚跡。 向かい側の一里塚公演には馬頭観音がある。

 

東戸塚駅から帰った。

 

実は4日が次の6回目の東海道歩きなので、急いで書きました。

飛ばし気味で申し訳ありません。



 

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