気まぐれ日記☆着物の小部屋

2007年耳下腺癌の手術で顔が変わり、生活が一転。街歩きと着物と芝居のブログをどうぞ宜しく♪

中抜き東海道歩き 草津宿 近江八幡

2019-08-27 12:32:30 | 東海道だらだら歩き

3日目 7月23日 

 午前中は東海道と中山道と東海道の分かれ道、草津宿でノンビリ。

午後は近江八幡を観光。

午前中は天気が良かったが、午後は急に雨が降ったりで、天候が不安定。

雨が降らなかった一日目に、三条大橋到着という大事業を成し遂げ、本当に良かった

 

 草津宿、東海道歩きのおまけ気分で立ち寄ったけれど、意外と見どころがあった。

 

追分道標

 草津駅から中山道沿いにしばらく歩くと立派な追分道標がある。

文化13年建立(1816年)

「右東海道いせ道 左中仙道美のぢ」と刻まれている。

諸国定飛脚問屋が寄進したもの。

この道標を見て、やっとここまで着いた!と安堵する旅人の姿が見えるよう。

       

前が歩道のない道路で、ここで最後の記念写真を撮りたかったが、なかなか撮れない。

 

草津宿本陣跡・田中本陣跡(国指定史跡)

 当時のままの姿で残っている本陣は珍しいそうだ。

シーボルト、浅野内匠頭、吉良上野介、皇女和宮、徳川慶喜、などの有名人が宿泊した。

規模も大きく、国指定史跡となっている。

 

 

       

長い畳廊下。

上段の間。大名などの主客の部屋。本陣の中で最も格式が高い。

このほかに湯殿、台所土間、従者の部屋、厠などすべて残っている。

本陣巡りのアンケートを記入しながら見学すると、最後にこんなファイルを貰った。

草津宿付近の宿が書いてあり、良い記念になるわ~

 

         

脇本陣がいくつかあり、ここはコーヒーショップにリフォーム。

和布を売る店もあり、綿絽の藍染の反物を2000円で売っていた。

心が揺れたが、もう浴衣は作らないと決めているので買わなかった。

でも、今になって買っておけばよかったと後悔している。洋服にしたら素敵だったろうなぁ~

 

マンホールの蓋

 綺麗な蓋がいろいろ見つかる。

 

青花はこの地域の特産らしい。

これが実物の花。友禅などの下絵を描く時に使う。

私も布に絵を描く時に、青花がサインペンのように書きやすくなっている物を使っていた。

草津宿のシンボル、追分道標ですね。

 

お店を冷かしながら、草津宿街道交流館へ

ここが面白くて、ずっと居ついてしまった。浮世絵すり体験コーナー、旅人の姿に変身できるコーナー、

情報コーナー、

何でも面白がる3人、浮世絵すり体験に挑戦。

インクが薄いけれどこんなのが出来ました。

真ん中はマンホールカード。そうそう、こんな蓋ありましたね

噂に聞いていたマンホールカードを貰った。実物を見るのは初めて。

ダムカードは有名だけどね~。

帰宅後しばらくして、若い仲間がlineで草津宿が2種類目のマンホールカードを出したのを知らせてきた。

草津宿はマンホールの蓋に力を入れているみたい(笑)

    

やっと撮れました 帰りに東海道最後の記念写真

ランチは草津ですっきりと冷えたそばセット。

体温が上昇していたので美味しい事!

 

午後は近江八幡へ。

 隊長はバス利用、若手(?)二人組は自転車で周遊。

私は一度行ったことがあるので、簡単に。

八幡小学校。 魅力的な外観だけれど、現役なようで、中には入れない。

 

昔日の面影をそのまま残す街です。

郷土資料館、西川家住宅、ヴォーリスの洋風住宅街、旧八幡郵便局、日牟礼八幡宮などを巡った。

途中別行動していた隊長と郵便局で出会って、再会を喜んだり、また分かれて駅で集合したり。

帰りの新幹線まで時間があるので、草津で軽く軽食。

7時過ぎの新幹線で帰った。

 

草津交流館で買った三条大橋の広重の絵葉書。 

これで日本橋出発と三条大橋到着の絵葉書が揃った。

 

 

 

 今回のブログのタイトルを「中抜き東海道」にするつもりと、若い仲間に話したら、

「いいですね~」それなら「よりぬき〇〇街道歩きとか、ナンチャッテ〇〇街道歩き」もありですね~という返事。

 

そうです。より抜き中山道とか、一日のみのナンチャッテ日光街道歩きも出来ますね。

ますます自由な街道歩きが出来ると思うと楽しくなってきた。

 

 この刺激的な街道歩き、アイディア豊富で行動的な仲間に恵まれていたからこそだと皆に感謝しています。

今この仲間で甲州街道を歩いています。

殆どブログに書いていないので、またいつかまとめて書きますね。

 

東海道だらだら歩き終了 

 

 夏の贈り物 

     

福島の友人から美味しい桃を頂きました。

秋田の友人からは栗駒高原の乳製品。

今年の夏は家にいる事が多かったので、食べ物や飲み物がとっても嬉しい。

どちらも美味しくいただきました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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中抜き東海道歩き 2日目 姫路城、祇園祭宵宵宮

2019-08-22 21:25:10 | 東海道だらだら歩き

 朝起きると雨。

眼下は琵琶湖という景色の良いホテルなのに何も見えない。

 

 7月22日の2日目は自由行動

3人ともばらばらに行動します。

若い仲間は坂本から比叡山に行くと言って、早めに出発。

年上の仲間(隊長)は三十三間堂の風神雷神象の配置が変わったので見に行くとの事。

私は2日目が東海道歩きと思い、自由行動は京都の小さな美術館巡り(三年坂美術館や並河靖之七宝記念館や陶板名画の庭)

と買い物(柘植の専門店で髪留め)と決めていた。

けれど2日目が月曜に当たってしまい、どこも休館。

それなら三十三間堂に行き、その後は祇園祭の山鉾でも見ようかしらと大津駅へ。

京都に行く・・・・・はずだった。

 

9時ごろの急行の行き先に「姫路行」とあった。

仲間が何気なく「姫路まで行くのね」とつぶやいた瞬間、閃いた。

姫路城見たことない 私は姫路に行く

自由行動の旅って気が楽ですね。気が変わっても十分対応できる

 

1時間45分で姫路到着。

姫路城まではバス。
 

姫路城は慶長年間(安土桃山時代と江戸時代をまたぐ時代)

に建てられ、日本独自の城郭建築の技術が最高の時に建てられた城。

国宝であり、日本で初めての世界遺産として登録されている。

白漆喰で固められた優美な姿は飛び立つ白鷺に例えられ、白鷺城とも呼ばれている。

近年改修を終え、一層美しく生まれ変わった。

姫路城は大天守と小天守の連立式店主が完全な姿で残され、幾重にも重なる屋根、破風飾りなど華やかな構成美を誇る。

 

随分前のテレビのドキュメント番組で、復員兵が戦火の中で生き延びた姫路城の姿を見て涙を流して喜び、

生きる力を貰ったと言っていた。印象的な言葉だった。

 

この後は写真をどうぞ

        

 

 

天守閣内部

 

最上階には小さな神社がある。

今までいろいろな城の天守閣に登ったが、けた違いの大きさとに驚いた。

戦いに備えると言う用途のため、内部は武骨だが細かな配慮のもとに作られ、

それに反し、外部には繊細な手仕事が見られる。

外人観光客が多かった。

 

 

窓からの景色


 
 
 

   

破風飾りが美しい。

   

しゃちほこの下の漆喰には模様と菊模様の丸い飾り瓦が埋め込まれている。

百間長屋と呼ばれる建物。城に勤務する人達の宿舎。

延々と長い。戦いのときにはこの建物も要塞の一部となるように設計されている。

 

姫路城の隣の庭園・好古園も見学

         

   

やっとお昼。 おそばとあなご丼のセット。

広大な姫路城を歩き回ったので疲れ、一休み。

 

 

4時頃の急行に乗った。

5時に3人で連絡を取り合う約束をしていた。

若い方から連絡があり、もうホテルに帰っているそうだ。

すぐに隊長も帰ってきた。

隊長は祇園祭の山鉾を見たそうだ。

次の停車駅は京都。私は山鉾をどうしても見たくなり、どこで見たのかメールで尋ねた。

返事がないので若い仲間にもlineして聞いてもらった。

隊長がシャワーを浴びているところを聞いてくれたそうだ。

そんな状況とは知らず、強引でごめんなさい。

おかげで京都駅到着に間に合った

 

ここからは祇園祭の話です。(クリックすると祇園祭の説明)

ブログアップに疲れてしまったので簡単にです。

21日は24日の後祭りの宵宵山(後祭りのよいよいやま)の日。

祇園祭には先祭り(17日)と後祭りがあり(24日)、21日は引き回しの山鉾が町内で披露されている。

もう暗くなってしまったので写真は上手く撮れなかったが、飾られた10台の山鉾の内8台は見ることが出来た。

大船鉾、この鉾は後祭りのしんがりを務める。

コンチキチンの音が聞こえた。 
 
 

南観音山鉾。 建物の2階からはしごをかけ、中に入る。

時間が早ければ見物客も入れたそうだ。

    

                                  

正面。

 

それぞれの鉾のそばには ご会所が設けられ、ここで手ぬぐいや玄関飾りのちまきも買うことが出来る。

ちまきは食べ物ではなく藁で作られ、厄除け災難よけのお守り。

山科付近の民家にも京都の民家にも玄関に飾られていた。

右は2階を開放し、ペルシャ絨毯を飾っている家。

町屋の表を開放し、内部を見せている家も沢山あった。

 

流石に疲れ、早く帰りたくなり、一度食べたかったビーフカツサンドと卵サンド、ビールを買って

ホテルに帰った。(この卵焼きの厚さにびっくり!!)

雨が降ったり止んだりの日でしたが、今日一日のそれぞれの旅の報告会、話が弾み楽しかったです。

こんな自由な旅もいいですね。

      
 
 
 
 
 

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中抜き「東海道歩き」 京都三条大橋到着!

2019-08-11 23:14:27 | 東海道だらだら歩き

 8月上旬は、夏バテと サングラス無しで外に出てしまったら目がショボショボになってしまい、

PCも開かず家に閉じこもってました。

 活動再開は横須賀美術館。

久々にミニ旅をしたら、何だかエネルギーが湧いてきて、前々回のブログ「大津にて」の続きをやっと書く気になりました。

新鮮で刺激的な旅でしたよ。

 

7月21日から23日の2泊3日、大津宿泊の目的は・・・・・

東海道五十三次歩きの終点に到着する事!!

 一昨年、私達の東海道歩きは三島に到着した時点で終了。(下線クリックで三島到着のブログへ)

でも、でも、三条大橋到着!!という気分をどうしても味わってみたい

完歩という望みは叶えられなかったけれど 終点までどうしても行ってみたいと言うのが3人の希望。

図々しいと思われるでしょうが、日本橋という始まりがあれば終わりもキッチリ三条大橋でカタをつけたかった。

お仕事の方もいるのでなかなか日程が合わず、延び延びになってしまったけれど彼女の夏休みに合わせやっと決行!!

今、一仕事終えた気分、課題を果たして爽快

たとえ東海道全踏破でなく、中抜き東海道歩きであっても(笑)

 

大分時間が経ってしまったので忘れた部分も多いのですがご容赦。

 

7月21日 6時55分品川発の新幹線で米原へ。

乗り換えて大津へ。大津のロッカーに荷物を預け山科へ。

    

11時過ぎにいざ出発

 

山科は忠臣蔵の大石内蔵助が仇討前に隠棲していた所。

何か忠臣蔵関係があるかと期待したが、当時を偲ぶものは東海道を示す看板以外何もなし。

(駅の北1キロの所に、内蔵助が建てた主君浅野内匠頭の供養墓と義士供養塔があるそうだ)

街道沿いの街並み。古い建物はほとんどないが、なんとなく街道の面影がある。

 

京阪電鉄の線路跡が公園になっている。

そろそろおなかが空いてきたけれど、周囲には何も無し。

一休みしておせんべい、飴など。 暑かったのでパイナップルの缶詰がおいしかった。

地蔵祠をあちこちで見かける。 どこも手入れが行き届き大事にされているのがわかる。

          

7月は祇園祭。 どの家にもちまきが飾られていた。

 

昔は山道だったろうと思われる道を行く。ポツッと東海道の道標。

 

亀の水不動。木食上人が道普請のため建てた庵跡。ここで井戸を掘りあて旅人の喉を潤してきた。

 

        

大乗寺。 酔芙蓉の寺として知られるが、階段を上るのがしんどそうで諦めた。

300年前に尼寺として開かれたが、近年は住職もおらず荒れ寺になっていた。

平成4年からの住職が、荒れた寺を整備し酔芙蓉を植え、近隣の名所にしていった。

京都近くの寺は代々手入れが行き届き、檀家もしっかりしていると思っていたが、

このように一度荒れ、復活する小さな寺もあるのですね。

 

車石広場

 

平成9年京都市営地下鉄の解説に伴い、京阪電鉄が廃線となった。

それに伴い三条通りが四車線化するなどの整備事業を行ったが、この公園はその事業の記念として作られた。

 

刑場跡

近くに罪人総数1万5千人が処刑されたという刑場跡があるはずだが、小高い部分が木々に埋もれ

よくわからなかった。

でも見つからなくて良かった。

鈴ヶ森刑場跡を通った時も、興味はあったが、今までの歴史を思うといたたまれない気がした。

 

山道を降りてきて、蹴上の浄水場を通り過ぎる。

この浄水場は日本最初の急速濾過方式の浄水場として明治45年に開設。

平成24年にリニューアルして現在も使用。 4600本のツツジの名所としても有名。

公開時に一度中に入ってみたい。

都ホテルに何度か泊まり、この琵琶湖疎水あたりから南禅寺にかけてよく歩いた思い出がある。

 

青龍山安養寺

          

小高い寺に行くには趣ある坂を上がっていく。

ここからは平安神宮の赤い鳥居が良く見えた。

 

 

麹の店「大阪屋」を見つけやっとランチ。

麹みそ丼と、??のサンドイッチ。

気に入った店が無くお昼を我慢していたが、やっと納得のいく店を見つけ、3人とも満足~

つい最近移転してきたそうだ。

私達ミーハーは、竜馬の結婚式場を見つけ大喜び。

そういえば川崎宿で「おりょう」さんが働いていた料亭がまだ営業しているのに驚いたっけ。

 

大将軍神社

桓武天皇が平安京を守るために四隅に置かれた代将軍神社の内の一つ。

邪霊の侵入を防ぐという意味がある。

 

いよいよ三条大橋。

 

大橋のたもとには駅伝発祥の地の碑が建てられている。

大河ドラマ「いだてん」にも駅伝発祥のエピソードが出てきましたね。

 

三条大橋到着。 やっと着きました。

三島から西は中抜きの東海道歩きですが、一仕事終えたようで、手放しで嬉しい。 

東海道を全踏破した方達の凄さと 三条大橋到着の喜びはいかばかりかと想像します。

 

この後はバスに乗って下賀茂神社へ。

偶然旅行の前日に、滋賀に住む友人からのlineで、みたらし祭りに行った写真が送られてきた。

これは行かなくっちゃ

「京都に行くので、明日行きます。」と返信したら、ビックリされてしまった。

入り口で蝋燭を貰い、靴を脱ぎ、水の中に。

冷たくて、 歩き疲れて火照った体に気持ちいい~~~

 

蝋燭をお供えし、お神酒を頂き

 

帰りには、鴨川の三角デルタの飛び石をぴょんぴょん!

・・・・・ではなく、そろりそろりと渡る(笑) 

一番若い仲間はぴょんぴょん可能世代だが、滑りやすい靴だったようで、気楽に誘ってしまった事を少々後悔

 

 

夕食は

         

 

新選組が乱入した「池田屋」跡が居酒屋になっており面白いらしい。入ってみた。

「階段落ち」の場面が再現されていた

人が飛んでる~~

 

好奇心旺盛な3人旅、まだ続きます。

 

2日目に続く

 

 

 

 

 

 

 

 

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夏のミニ旅「横須賀美術館」 & 劇団☆新感線「けむりの軍団」

2019-08-09 23:56:39 | 芝居

 暑中お見舞い申し上げます。

皆様夏バテ大丈夫ですか?

 

うだる暑さの中、ミニトマトが順調に育ち、朝の食卓の一品となっています。


 大阪の友人から美味しいお米を送ってもらってますが、一緒に入っていた野菜です。
 

名前忘れましたが、長~い茄子、甘くておいしい。焼いて生姜醤油で食べてます。

採りたてはコクがあって美味しく、夏の我が家の贅沢です。
 

八月に入ってからは必要以外外出せず、引きこもり状態。

そうそう、例年のすだれは止めて、遮光シートをテレビ通販で買いました。

室内窓際に置いた物の温度が11度も下がると言う優れもの(室内温度ではありません)

本当でしょうか?この暑さに藁にもすがる気持ちで買いました。

網戸にも張ることが出来、取り外して洗濯も可能。しかも室内が見えない。

4部屋分だったので、切ったり張ったりの2日間でした。

効果があるような気がしますが・・・・・どうなんでしょうかね~?

隣の駅のデパートに用事があったけれど、出かけたのは日が落ちる寸前。

昼間は暑すぎます。

大國魂神社では若い一人の女性がずっと手を合わせていました。

後には女性を静かに見守る男性。大事な方が命に係わるような事態になっているのかしら?

私もなんだか敬虔な気持ちになり、静かにこの国の将来を祈りました。
 
 

昨日7月11日は 鎌倉でカイロプラクティックの日。

夫も予定が無かったので一緒に出掛けました。

午前中に用事が終わり、その後は一度行きたかった場所へ。JR横須賀駅で降りると・・・・

いきなり海

開放的な夏空と海に興奮

ここからバスで30分。着いたのは・・・・

緑と海に囲まれた横浜美術館。日本の美しい美術館の5指に入っているそうです。

         

せなけいこ展開催中。

お子さんたちが小さい頃、このお化けの本、読んであげた方も多い事でしょう。

この美術館は三浦半島の東端、観音崎公園内にあり、不便な立地なので、滞在型の美術館だそうです。

開放的なガラスの建物、図書館あり、散歩コースあり、レストランありで、ゆっくりと楽しめます。

週刊新潮の表紙絵のコレクションがあり、別館に展示しています。

平日の不便な美術館という事で、空いているとばかり思ってましたが、

館内は子供たちの声が溢れ、生き生きとしていました。

空腹だったので、最初にレストラン直行しましたが1時間待ちでした。

横須賀野菜を使用したイタリアン、美味しかったです。


 

 芝居 

8月4日 劇団☆新感線 「けむりの軍団」 赤坂ACTシアターにて

(ここからはマニアックなので、適当にね)

古田新太、早乙女太一、清野菜名(やすらぎの道の しのちゃん)池田成志、須賀健太
 

去年、一昨年と、IHIアラウンドシアターで、嫌というほど新感線を見た。

「髑髏城の7人」と「メタルマクベス」両方とも名作だと思うし、新作っぽいのも1つ含まれ面白かったのだが、

キャスト違いで9本とは!!

途中からやめてくれ~~と言いたくなった。実際、メタルマクベスではガラガラの回もあった。

新感線のファンでさえ、見限ることがあるなんてよほど飽き飽きしたのでしょう。

私と娘は新幹線の熱心なファンを自任している手前、見続けてしまったけれど、

無駄金を使ってしまった~と後悔する回もあった。

 

・・・・という事で全くの新作は東京公演では久しぶり。ずっと楽しみにしていた。

ただ一つ気になったのが 作者が倉持裕だった事。この方は今人気の脚本家。

けれど前回、倉持裕が脚本を書いた「乱鶯・みだれうぐいす」は、主人公がただの乱暴者、殺人鬼にしか見えず

仲間との連帯、滅びゆくものへの情感、爽快感などが全くない後味の悪い芝居だった(私的にはですが)

 

でも今回、久久に面白かった。

ストーリーはまだ上演中なのであえて触れませんが。

 

まずストーリーがしっかりしており、随所に笑いが満載、出演者全員が見事な立ち廻りを見せていた事。

劇団新感線の過去に出演し、好演していた人ばかり集めた事。

古田新太が最近では珍しく華々しい立ち廻りを見せ、早乙女太一は運命に翻弄される不幸な剣士、

清野菜名は抜群の運動神経で敵に立ち向かう(蹴り上げる足が頭まで届き、美しい。走る姿もスピード感あり)

須賀健太は真面目でひたむきで、発声も動きも格段に上達。

そして池田成志。(昔はよく出演していたのだがこのところ出演していなかった。)

この人のつかみどころのない奇怪な面白さは新感線の舞台に似合う。

出てくるたびに笑いっぱなし。

いい加減な古田新太が子分を見捨てない所もグッとくる。

新感線の芝居見た~~~という満足感いっぱいの公演だった。


 

帰りはマレーシア料理。タイ料理に近かった。

暑い夏はアジアの料理が食べたくなる。

 

7月27日 「笑う門には福来たる」新橋伊演舞場 藤山直美主演

子供の頃、松竹新喜劇は祖母たちに連れられよく見に行った。初代渋谷天外、藤山寛美など子供ながら大笑いしていた。

なので藤山直美も大好き。

何回か見ているが、面白いと思ったのは故勘三郎と共演した舞台のみ。

脇役も手堅くストーリーもしっかりしているのだが、どうもこのタイプの芝居、私は苦手かもしれない。

予定調和というか、良い子過ぎると言うか。乱れが無いと言うか。

でも直美さんのちょっとした仕草や、お客との息の合わせ方が上手で、これだけでも行った甲斐があった。

病後初めての舞台だそうだ。ガンバレ!!

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