気まぐれ日記☆着物の小部屋

2007年耳下腺癌の手術で顔が変わり、生活が一転。街歩きと着物と芝居のブログをどうぞ宜しく♪

東海道だらだら歩き10 平塚宿・大磯宿

2018-03-31 09:16:15 | 東海道だらだら歩き

一昨日3月29日の多摩川べり 桜満開♪



 3月27日 静岡県・三島神社 

 東海道だらだら歩き、3月27日三島宿到着。満開の桜のお出迎えでした。

私達の東海道だらだら歩きはこれにて終了。

詳しくは次回に。

 

 最後の旅の前に、書きそびれていた第10回の平塚宿・大磯宿の報告を駆け足で。

2月11日 平塚駅から出発。

          

 今日は私を含めて4人で歩く。

 

平塚宿

駅前商店街、ここが有名な平塚七夕祭りの会場。

 

湘南ベルマーレのJ1昇格のお祝い垂れ幕が下がり、ベルマーレの専用車も停車している。

       

こんな看板もあり賑やかな商店街だ。

マンホールの蓋には海と七夕と、見物に来た人たち。

 

 ところが名所旧跡となると街道沿いには全く無い。

代わりにあるのは和菓子屋さん。2、30mおきに1軒ぐらいある。

 

古そうな看板に惹かれまずは豆屋さんへ。

歩き出してすぐにお土産を買ってしまった。「青えんどうの塩豆」、美味しくて、家で毎日ポリポリかじっていた。

 

 

老舗っぽい店構えではなかったが、「はまぐり最中」の看板に惹かれ店内へ。

 あんこも皮も自家製。餡がぎっしり詰まっていて皮もパリパリ。

包装も一つ一つ柔らかな和紙に軽く包んであり、丁寧に作られている感じ。

店内にあるソファーで気さくな店のおばさんとお喋りしながら食べた。

和菓子屋は昔の半分程になり、ずいぶん少なくなってしまったとの話だったが、

道中でこんなに和菓子屋の多い街は初めてだ。

和菓子祭りと言うのもあるらしい。

 創業を聞くのを忘れたが、間違いなく地元で愛されている和菓子屋のはず。

ここでもついお土産を買ってしまった。京都から仕入れたという雛あられ。

よそ様に渡すというと、箱に入れ、包装し、細い昔ながらの紙紐をかけてくれた。

一同ビックリ!!だって1000円もしないのです。

 

 

 いつもと違い、いきなりお菓子とお茶とお土産。

更にダラダラ気分が加速して、寺や神社があっても中に入らず、門前でお辞儀をするだけになってしまった。

 

平塚宿

江戸方見付跡(江戸方面からの宿場町入り口)の看板があり、

その後は脇本陣、高札場、本陣の碑が建っている。

 

            

高札場は今でいう街の情報センター、幕府、宿場のお知らせ等が掲示してあり、馬や荷物等の手配が出来る。

京方見付跡には立派な碑が建っていた。

            

京都側の見付からは高麗山が見える。

これが高麗山。前に建物があるが、往時もこのように山が見えたのだろう。

この山に天智天皇の頃、高句麗より渡来した人々が住み着いた。

 

善福寺、曽我十郎の子裕若が、妻虎御前が世の無常を感じて出家し、創建した寺。

 

しばらく行くと化粧坂。虎御前が使用した井戸がある。

古い店、「車屋の化粧そば」でランチ。天ぷらそばは 丼からはみ出すような大きな海老がのっていた。

 

大磯宿

国道一号線を外れ、脇道に入ると静かな松林が続く。

ここで恒例記念写真。

タイマーをセットし撮る段になると必ず車が横切り、3回目でやっと成功。

 

軒先にザボン。盗まれませんように!

 

地福寺

島崎藤村夫妻の墓がある。意外とシンプルで明るいお墓。

写真に撮り損ねたが、手前にある臥竜梅が、見事な姿。梅には少し早い時期だったが、満開の時は見事だと思う。

 

          

明治12年創業、はんぺんが有名な店。 保冷バッグが必要なため、荷物になるし買わなかった。

 

杵新。 ここも和菓子の老舗。  お腹がいっぱいで、残念ながら何も買わなかった。

 

 

大磯の松並木。

 

 大磯に明治時代山形有朋、大隈重信、西園寺公望などがこぞって別荘を建てた。

島崎藤村の旧宅や、鴫立庵(日本3大俳諧道場)元三井財閥の本家の別荘地が公園になっていたりと、

大磯は明治から昭和にかけて文化人、政財界人にとって特別な地となっていた。

旧吉田茂邸が見たくて 十数年前に大磯をめぐるツァーに参加し、じっくりと見学した記憶がある。

その後吉田茂邸は焼失し、今は再建され、見学することが出来る。

 今回の東海道巡りでは吉田邸に行けなかったが、また機会を作り行く事にしましょう。

大磯あたりからコンデジ電池切れで、ほとんど写真がありません。

なので説明も省略(笑)

二宮駅から帰宅。

    

二宮の蓋は椿のみでシンプル、名所がないのかしら?

 

次回は二宮駅から出発です。

 

 

 

 

 

 

 

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熱海・小田原 気楽な一泊旅行

2018-03-25 00:08:22 | 旅行

 親しい友人が小田原出身。

小田原を案内するわ~という事で、22日、23日、3人で気楽な1泊旅行、に行ってきました。

3人は同じマンションに住み、子供が幼稚園時代からのお付き合い。

元文庫仲間です。

お互いの長所短所も知り尽くし気取りのない関係。

お互い年をとってきたので、風呂場に忘れ物したり、宿で一瞬方向がわからなくなったり、まぁ賑やかな事。

3人で一人前ね~とそのたびに大笑い。

 

 21日は雪が降り、春とは思えぬ悪天候。

延期しようか迷いましたが、行って正解。

晴天とは言えなかったけれど、思い切りお喋りして美味しいものを食べ、大満足。

また行きましょうと約束して別れました。

 

では簡単に

 

22日

熱海の駅で降り、まず昼食。美味しいシラス丼セット。

「池田満寿夫と佐藤陽子・創作の家」に行こうと坂道を上がったら、なぜかたどり着けず、

細~い急な階段を降りて海に出てしまった。

でも気持ちいいですね。ブラブラ坂道を降りる。

桜もちらほら。

坂の下には

 

尾崎紅葉の小説「金色夜叉」で有名なお宮の松。この松は2代目だそうだ。

寛一・お宮の銅像の前でパチリ。

バスに乗り

起雲閣へ。

大正8年に、海運王と呼ばれた内田信也により、和館が建てられた。

昭和4年に、根津嘉一郎により洋館が建てられ、庭も整備された。

サンルーム。アールデコのステンドグラスと照明が素晴らしい。床は装飾タイル。

豪華なローマ風浴室

 

桜が咲き、馬酔木が満開の庭園。

10年前、退院後初めての旅行の時ここに来た事があるが、静かなものだった。

けれど、今は熱海の温泉地としての勢いが増したせいか見学者の数がとても多かった。

そういえば駅前の商店街も賑やか。

 

 毎年1回の元文庫の仲間の旅行で熱海を選んだことがある。(私は欠席)

20数年前だったが、半日の観光バスに乗ったら、仲間6人だけで、大きなバスが貸し切り状態。

熱海の街は閑散としていて、中年のガイドさんが、この旅館も潰れた、そちらのホテルも潰れた、

昔は賑やかだったけど今はシャッター通りと、物悲しい案内をしてくれたそうだ。

その時と比べたら、老いも若きも 子供連れもカップルも学生も熱海に集い、20年前が嘘のように賑やか。

熱海は活気がありますよ~。

 

宿は伊東園グループのホテル。

夜の景色が素晴らしかった。

 

23日

伊東園ホテルは循環バスが出ていて、来宮まで乗る。

来宮神社の樹齢2000年以上の大樟。

この期の周りを一周すると1年寿命が延びると言われている。

あんまり長生きしてもね~、周囲に迷惑かけるばかりだしと、1周まわった。

10年前に来た時とは大違い。

綺麗な建物ができてお札などを売り、ナント喫茶店も併設されている。

若者の姿も多かった。

 

小田原に出て、老舗の蕎麦屋で昼食。

小田原城入り口

周囲には桜がたくさん植えられ、満開の時にはさぞ綺麗だろうなぁ~。

 

二宮尊徳を祀る報徳二ノ宮神社

この像、戦前に1000体作られたが、残っているのはこの一体のみだそうだ。

像の高さは丁度1メートル。

私の通った小学校の正門前に二宮金次郎の銅像があった。

あの頃どの小学校にもあった気がするが、あれは戦後作られた物だったの?

 

(気になり調べてみると、二宮金次郎の銅像は戦前いろいろなタイプが作られたらしい。

銅像・石像・コンクリート製などがあったが、そのうち銅製の物は戦時中の金属供出で、ほとんど残っていない。

石、コンクリート製の物は戦後も残っていた。

小学校にあった像は苔むしていたので、石かコンクリート製の古いものだったかもしれない。)

 

静閑亭。黒田長成侯爵の別邸。

格式張らない数寄屋造り。

4間続きの部屋が喫茶店となっており、のんびりとコーヒーを味わう。

外に出たら雨。

🚖で小田原駅に出た。

 

        

小田原で超有名な「もりや」のアンパン。

粒あんがぎっしり、それほど甘くないのでとても美味しい。

 

 ずっとお喋りしていたのだが、その中でビックリしたのが、2年前膝に人工関節を入れた友人の冒険。

去年元文庫6人の京都旅行で歩く自信がつき、1か月前、ナント初ヨーロッパ、パリに行ったそうだ。

ダメになるかもしれないので、皆には黙っていたそうだ。

以前は歩けなくなりそうで心配だったが、よくそこまで回復したと3人で喜び合った。

 

 

 

 

 

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11年目の検診 携帯壊れた!!

2018-03-19 22:53:39 | 病気・後遺症

  1週間前の  近所のハクモクレン

 

 花の季節、我が家の庭にもラッパ水仙、ゆすら梅、福寿草、3色スミレ、などがそっと咲いています。

そして大敵の花粉症も今が盛り。

 

 ずいぶんご無沙汰していました。

3月初めごろはお出かけしていましたが、その後は花粉症も出たので家の中でひっそり暮らしています(嘘だ!と言う声アリ)

 

 何をしていたかと言うと、和裁(袖裏の交換、なんと3日もかかった)、映画(14時20分発、Paris行き、良かった~)

府中郷土の森散策、世界遺産についての講座2回出席・・・・など。

 

 そうそう、携帯が壊れて意気消沈。

自分が悪いのです。何回も落とし、アラ大丈夫だわ、結構丈夫と思っていたら、ある日液晶画面が剥がれた!!

修理の補償に入っていたので、聞いたら、なんと修理に1か月から2か月かかると言われました。

そんなの困る!!修理保証なんて意味ないジャン・・・

皆様、スマホは頑丈なケースに入れて使いましょう!!(落とすのは私だけかしら?)

 

 3月14日、11年目の検診でした。

形成外科・・・・瞼の錘にかぶさっている皮膚が薄くなって、錘が飛び出しそうになっていると言われた。

目をこすらないようにと言われたけれど、アレルギーで目が痒い。必死でかゆみ止めの目薬さしてます。

来年はまた瞼の錘を入れ替える事になりそう。

全幅の信頼を寄せている形成外科の先生は、去年から元気をなくされている。

神経再建と乳房再建が専門の先生ですが、私以外にも精神的にも先生を頼りにしてる方が沢山いらっしゃると思います。

元の様に、元気になられますように。

 

頭頸科・・・・もう来なくていいと言われるかと思ったら、形成外科に来るなら、来年も検診しましょうとの事。

病気は全快しているので、これからは舌ガンとか、口の中ガンの検診をするそうです。

有難い事です。私はたぶんガンが出来やすいのかも。

昨年の大腸検査でポリープを3つ取りましたが、そのうちの一つは悪質なガンの芽で、明らかにほかのポリープと違っていた。

1年後検査だったら恐ろしい事になっていたと思うとゾッとする。

皆様がん検診はお忘れなく。

 

 

最近読んだ本

 

庶民の着物覚え

  図書館から借りた。 普通の主婦だった方が、着物と染色にのめりこみ書いた本。

日本の布に造詣が深く、驚くほど丁寧に詳しく書いてある。

着物姿の写真や染の写真も楽しい。

 

総理の夫  原田マハ

 ビオラさんのブログで紹介していたので読みたくなった本。

40代初めの女性が総理になるという現実にはあり得ない話だが、政策にはすべて納得する。

こんなことを考えている政治家がいれば日本はもっとよくなるのに・・・・

 

サイコパス 中野信子

 100人に一人はサイコパスと言われる人々がいる。

特徴は 人の考えていることを理解しようとせず(理解できない)独断、冷酷。など。

マイナスの場合・・・・犯罪者に多い。

プラスの場合・・・・独断先行型のリーダーシップを発揮し、なくてはならない人となる。

日本人でいえば織田信長。容赦なく人を責め、敗者には過酷。

外国では毛沢東。容赦のない改革、たくさんの妻を持ちながらも、離れれば冷酷。

このプラスのサイコパスは、危機に陥った時に今までの因習とらわれずに改革を断行できるという特徴がある。

人類の歴史にはこの強力なリーダーシップを持つサイコパスを必要とする場合もある。

勤めているときにどうしても理解不能の上司がいた。

人間的な感情が感じられず、ロボットのようだった。

リーダーシップは無かったが、この本に当てはまる部分が多い。

彼もサイコパスだったのかもしれない。

 

思いの軌跡 塩野七生

 この方の本は沢山読んでおり、歴史上の人物が目の前で躍動する感激をいつも味わっている。

でも、悲しいかな、登場人物の名前が全く覚えられない。

ローマの皇帝の名前などがスッと出てくるような記憶力を持ちたいといつも思う。

 

僕らの歌舞伎 葛西聖司

 10代、20代、30代前半の、これからの歌舞伎を担う15人との対談集。

勘九郎、七之助世代の後に続く世代。

浅草新春歌舞伎に2015年から出演している。尾上松也、中村歌昇、坂東巳之助、中村壱太郎など。

「伝統芸能の力、日本文化の誇りを是非15人の真摯な言葉から汲み取ってほしい。」・・・前書きより

作者はNHKの元アナウンサーで、「日本の芸能」の元司会者。現在は古典芸能解説者。

 友人から借りたのだが、もう面白くて♪

全員が歌舞伎の家に生まれ、幼いころから歌舞伎に触れてきたという特殊な生い立ち。

家の芸として、自然な流れの中で素直に演じているのかと思ったら、

それぞれが葛藤を抱え、試行錯誤や、常に挑戦している。

家に胡坐をかかず、芸の精進に励む姿が清々しい。

同世代の若者に比べ、苦労している分だけ表現する言語も豊富。

そして全員が今は歌舞伎が好きと言う・・・・・頼もしいではありませんか!!

若者の歌舞伎が好きで、毎年正月の浅草に通っているが、ますます彼らが好きになった。

 

最近の着物

      

ブルーの沖縄紅型は、立川G店で購入。紅型の美しさに目覚めた一枚。

サイズが違うので、洗い張りし、仕立て直しを頼みたいと思いながらもそのままになっている。

11年ぶりに着た。今まではこの着物に迫力負けしていたが、太ったため、また着られるようになった。

太るのも、良い場合がありますね。

いつか娘サイズに直して、着続けてもらいたいと思ってます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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3泊4日の沖縄旅行 その2

2018-03-01 14:27:16 | 旅行

 

   満開の今帰仁城(なきじんじょう)の寒緋桜

 

 2月19日 3日目

 レンタカーで名護方面へ

 

勝連城跡(かつれんじょうあと)

 東アジア中心に海外交易をおこなっていた亜麻阿利氏の居城。復元された部分が多い。

沖縄最古の城(グスク)

丘の上に建ち、天空の城のイメージ。

  

沖縄には、写真の8つと、首里城の9つの世界遺産がある。

上に登ると眼下に海が広がり、爽快な気分になる。

 

 

許田の道の駅。お昼はここで沖縄そばとタコライス。

 

 次に向かったのは八重岳桜の森公園。

今が満開らしいが、カーナビにの言うとおりに山道を走ってもたどり着かない。

途中で会った郵便局のバイクの人が、何でこの車が?と不審そうにこちらを見ていた。

           

           (この後どんどん狭い道に入る)

諦めて今帰仁への道に出ようとするも、道はどんどん細くなり、未舗装に。そして片側が崖のジャングルに突入。

どうなるかと思っていたらやっと舗装道路に出た。

「このカーナビは抜け道優先か!」と夫がぼやいていた。

 

今帰仁城(なきじんじょう)   世界遺産 

 

14世紀の北山王時代の城。沖縄島の北部を支配していたが、15世紀に滅ぼされた。

17世紀に薩摩軍の侵攻により城は炎上。

その後は拝所として島民の精神的よりどころとなったそうだ。

城壁は当時のものが多い。

 桜が満開。

 

 沖縄美ら海水族館

 夫はあまり興味無さそうで、コースから外してもいいと思っていたようだが、

私は沖縄に来たら必ずジンベイザメとイルカを見たい!! せかすようにしてたどり着いた。

本館

ジンベイザメ

イルカショー。 他で見るより、ジャンプの高さが高い!! 青い海を背景に気持ちの良い事!!

 

夕飯は 古民家でアグー豚のしゃぶしゃぶ。

満席。予約して正解だった。

  

 

 

2月20日 4日目

 

中城城跡(なかぐすくじょうあと)

 14世紀に完成した城。

城壁は琉球石灰岩の切り石で積まれ、美しい曲線で構成されている。

 ボランティアの方に説明をお願いした。 

急な山道を行くので、途中までこんなワゴンに乗せてくれる。助かります!

 

ボランティアの方は85才のおじいちゃん。

本土の人は沖縄の歴史を知らないと少し怒っている。

そして、この城の素晴らしい歴史を誇りに思い、説明に力が入る。

この方の説明がなかったら、私達にはただの石垣の連なりに見えたと思う。

 

この石段、左右高さが違うが、2人で天秤棒を担いだ時に、後ろの人だけに体重がかからないように工夫されたもの。

皆様想像を逞しくして、使用法を考えてくださいね。

 

銃眼。城壁には穴があけられ、ここから鉄砲を放った。

私達は種子島に鉄砲が伝来したのが始まりと習ったが、沖縄にはそれより100年以上前に鉄砲が伝来していたそうだ。

命中することはなく、敵を驚かすぐらいの役目しかなかったらしい。

      裏門・ペリー探検隊がエジプト式と評した精巧なアーチ

1853年ペリー探検隊が来島し、この城のすばらしさを讃えた。

「要塞の資材は石灰岩であり、その石造建築は賞賛すべきものであった。石は非常に注意深くつなぎ合わされている」

あいかた積み(亀甲乱れ積み)

布積み(豆腐積み)

切り欠き、はめ込むことでより強固な石垣となった。

上部は修復しているが、当時の城壁がそのままの姿で残っている。

沖縄には300以上の城があるが、その中で一番美しいともいわれている。

 

 ここは山の頂上。では城壁に使われたおびただしい量の石を どこから運んだと思いますか?

答えは、この山全体が石なので、山を切り刻んで城を作ったそうだ。

第2次世界大戦の時、ここに日本軍が立てこもったが、地下壕を掘ることが出来ず(石なので)すぐに撤退した。

そのおかげでアメリカ軍の攻撃が止み、城壁が破壊されず残り、貴重な文化遺産となった。

 

 おじいさん、だんだん調子が出てきて、子供の頃の話を聞かせてくれた。

紙が無かったので、勉強は砂浜の上や、大きな葉っぱに釘で字を書いて勉強した事。

また沖縄方言を使うことが禁じられていたので、使うと「方言札」と言う屈辱的な札を首から下げねばならなかった事。

沖縄の歴史的資料は第2次世界大戦で焼けてしまったと言うが、それ以前に日本政府が沖縄の歴史は不必要と

文献などを焼いてしまったという話。

中城城も資料があればより正確に復元できるのにと残念そうでもあった。

この方がボランティアガイドをしているのは、中城城のすばらしさを伝えると同時に、

本土に服従しなければならなかった負の歴史も観光客に伝えたかったようだ。

 

  

識名園の方に聞いたお店で沖縄そば。

「ぜんざいあります」と書いてあったので頼んだら、かき氷が出てきた。豆も小豆ではなくうずら豆だった。

ぜんざいとはかき氷を指すらしい。皆さん知ってましたか?

 

識名園

18世紀の終わりごろつくられた、琉球王家最大の別邸。

国王一家の保養や、外国からの来客などの接待に利用された。

          

         正門

 

                             

 

 

第2次世界大戦で破壊され、20年の月日をかけて現在の姿を取り戻した。

 

旧海軍司令部壕

 ひめゆりの塔に行くはずが、2人とも疲れてしまい、近くの旧海軍司令部壕に行く事にした。

ここは第2次世界大戦末期に日本海軍の司令部壕が置かれ激しい戦場となり、

20年6月13日に幹部6名が壕内で最期を遂げた。

赤い部分300mが現在公開されている。

 

作戦室。右は幕僚室。

自決の時の手りゅう弾の後が生生しい。

  

復元された司令官室。  この豪は「くわ」や「つるはし」などの人力で掘られた。とてつもない労力です。

                      

全国から千羽鶴が送られていた。

司令官・大田少将が海軍次官に宛てた沖縄県民の献身的作戦協力ついて訴えた電文が残っている。

 

沖縄県民かく戦えり

 次の電文を海軍次官にお知らせくださるよう取り計らって下さい。

沖縄県民に実情に関しては 県知事より報告されるべきですが、県にはすでに通信する力はなく・・・・

中略

 陸海軍が沖縄にやってきて以来、県民は最初から最後まで勤労奉仕や物資の節約を強いられ、

ご奉公をするのだと言う一念を胸に抱きながら、ついに報われることもなくこの戦闘の最後を迎えてしまいました。

 沖縄の実情は言葉で形容のしようもありません。一本の木、一本の草さえすべてが焼けてしまい、食べ物も

6月一杯を支えるだけとの事です。

 沖縄県民はこのように戦いました。

県民に対して後世特別のご配慮をくださいますように。(現代文に翻訳)

中略の部分には悲惨な具体例が書かれている。

最後の 「県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」 の言葉がズシリと響きます。

戦後国からの配慮があったのでしょうか。

修学旅行生も来ていたが、この生々しさが残る壕で、何かを感じて欲しいと思った。

何かを感じる感性を持って欲しいと切に思った。

 

沖縄の植物と花

 

 

 

 

お土産は

 

琉球王家御用達だった新垣菓子店のちんすこうや、くんぺん、かすてら、など。

首里城のそばにある店だが、家内工業で少量しか作らない。

予約が必ず必要で、12時ごろに店に行ったら、ちんすこう売り切れのお知らせが貼ってあった。

 

 帰りの飛行機は羽田到着が23時。

飛行場で夫が23時で家に帰れるのかな?と言い出した。

え~っ!!私もうっかりして、帰りを気にしていなかった。

あまりに大きなミスで2人で笑ってしまった。

 

何とか帰れるのがわかったが、飛行機が遅れればアウト!!

まさにそのアウトでした~!!

遠回りして何とか帰宅。 その後は風邪でダウン。

やっと回復しそうですが、外出できないので長いブログとなってしまいました。

スミマセン。

 

 

 

 

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