土木技術者が撮った中南米の「光りと影」の写真 及び 他国風情

 約22年間の中南米赴任中に土木技術者の視点から撮った写真。開通前のパナマ運河に架かる第二アメリカ橋は圧巻 & 他国事情

ペトラ遺跡(No.2)

2009-12-22 18:37:23 | ヨルダン(ペトラ遺跡)
 再度シーク(もしくわシク)について説明します。シークは切り立った断崖に挟まれた細く狭い道で、太陽の光によりバラ色、黄色、青灰色の入り混じった色彩が写しだされます。本来は地殻変動によって出来た岩石山の裂け目で、全長は約1.5kmあると言われています。元々はムーサ河の河床で、ナバタイ人の造った町の入口だったのです。ナバタイ人は灌漑施設用の水路や洪水調整用の堰もここに造りその痕跡を見ることができます。シークは自然の造形物であり、ただただただ、驚くばかりです。



 撮影した写真はシークの変曲地点や特徴のある造形物を撮っています。大体20m/ヶ所で約150枚撮影しました。その内の重複箇所を除き投稿いたします。



 上記箇所の上方を撮りました。岩石山は高い所で約100mあり、全て急峻で切り立った絶壁がそびえております。



 同上。上記、断崖絶壁をみております。



 シークの幅が狭隘な箇所です。遠くに足場を組んで崩落防止の修復を行っていました。



 現代の建築で使用するビティと言われる鋼製の足場が組まれておりました。せり出した岩が崩落する危険があるのでしょう。



 ベンチに座っているのが監視員です。頭上の岩は見事に落下しています。こういう風に表面がきれいに落ちることは考え難い形状ですので、修復した物と考えます。水路は約2,000年前にナバタイ人が造ったものを修復したものです。



 左側の階段状のものは水路壁兼用で、馬や馬車の乗降所と言われています。多分に戻りは上り勾配なので使用したものと考えます。


 
 上記写真の突き当たりの変曲点から撮っています。峡谷は浸食され蛇行しております。



 次の変曲点から撮っています。以前は石畳もあったようです。所々にその跡が残っています。水路は続いております。オリーブが安らぎを与えております。以前は沢山あったのでしょう。



 上記の大写しです。前回掲載したオベリスクやジン・ブロックス同様に、ここは身分の高い人の墓だったと推測いたします。



 上記の先を撮影しています。縁石は倒石防護用に造ったものと思われます。
 


 上記の先を撮影しています。この地点から両側の岩石山は急峻になり道幅も徐々に狭隘になります。



 所々にこういう側面に峡谷があり落石崩落して居ります。



 同上。奥行はあり裾は広く、谷に挟まった大きな石で更なる落石を防いでおります。ここも徐々に修復されるのでしょう。


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