マイルストーン(距離程)がないため正確な位置は不明ですが、前記した様に ①変曲点 ②特徴のある物 を撮っております。今回掲載分でシーク延長の約2/3地点と考えます。この場所も修復されて通行可にしたと考えられます。前回同様に自然の造形物に言葉が出ない状況にあります。
壁面に埋め込まれた「碑文」や祈願用の「霊石」等も多く見受けられます。
前記と同場所を「縦」に撮影しました。
次の変曲点。帰りは上り勾配なので馬や馬車を利用する観光客もいます。所々、石畳なので馬や馬車や乗客もしんどい思います。
前記と同場所を「縦」に撮影しました。
次の変曲点。
次の変曲点。
前記と同場所を「縦」に撮影しました。
次の変曲点。ここも安全上、修復されていると考えます。
古のシークは全て石畳だったのでしょうか。シークの数箇所に石畳が見受けられます。書物にはB.C.4世紀頃からナバタイ人が形成した町で、A.D.2世紀にジェラシュ遺跡同様ローマ皇帝のトラヤヌスがヨルダン一帯を支配下に治めローマ帝国の属州になったと記してありますが、先回、記述したようにペトラ遺跡の歴史検証は現在も解明中です。
前記、同様に石畳です。
前記と同場所を「縦」に撮影しました。
次の変曲点。
前記と同場所を「縦」に撮影しました。
底面部は洪水により浸食されてこの様に今にも落ちそうな岩もあります。数箇所岩石が剥離しておりますが、修復の順番を待っている状況だと考えます。
壁面に埋め込まれた「碑文」や祈願用の「霊石」等も多く見受けられます。
前記と同場所を「縦」に撮影しました。
次の変曲点。帰りは上り勾配なので馬や馬車を利用する観光客もいます。所々、石畳なので馬や馬車や乗客もしんどい思います。
前記と同場所を「縦」に撮影しました。
次の変曲点。
次の変曲点。
前記と同場所を「縦」に撮影しました。
次の変曲点。ここも安全上、修復されていると考えます。
古のシークは全て石畳だったのでしょうか。シークの数箇所に石畳が見受けられます。書物にはB.C.4世紀頃からナバタイ人が形成した町で、A.D.2世紀にジェラシュ遺跡同様ローマ皇帝のトラヤヌスがヨルダン一帯を支配下に治めローマ帝国の属州になったと記してありますが、先回、記述したようにペトラ遺跡の歴史検証は現在も解明中です。
前記、同様に石畳です。
前記と同場所を「縦」に撮影しました。
次の変曲点。
前記と同場所を「縦」に撮影しました。
底面部は洪水により浸食されてこの様に今にも落ちそうな岩もあります。数箇所岩石が剥離しておりますが、修復の順番を待っている状況だと考えます。