5月に入り降雨もパタッと止み、日ごとに寒さが増して来ました。
周りの山々が白いものに覆われるこの時期は、空気が乾燥し
全身は静電気で充たされ、物に触れると「ビリッー」と音が聞こえる程です。
昨年の5月もそうだったように、ここ天空都市の季節の移り変わりは
定常的と 感じ取られ、山、川や大地は、まだまだ自然力が息づいております。
この広大な大地には温暖化の影響は稀有のようです。
自然の山紫水明な移ろいを見ていると
次第次第に自然に同化させられているように感じます。
・・・・・・・・・・
晴れ間が多くなるに連れて、朝起きた時に頭痛がし始めてきました。
晴れと頭痛には相関関係はないと思います。
原因は下記のようだと考えます。
年初にここに戻ってきてから約5ケ月が過ぎ、体内に蓄積されたいた
酸素が無くなってきたからです。
この状態は「高山病」特有なもので
まず、 「頭痛」
それに伴う 「不眠」
「倦怠感」や「脱力感」
「物忘れ」や「思考のショート」
や 「肩こり」等の 症状が見られます。
「頭痛」は何となく分かるのですが、
「肩こり」も酸素欠乏に因るものでしょうか?
多分、そうだと考えています。
通常、4,000mの高地において、ほぼ100%の人が「高山病」に罹ります。
私の場合はここ4,000mの生活に1年間強、適応してきたので
「高地には自信がある」と高をくくっていました。
最初の1年間は高地対応にそれなりに気を付けて、大丈夫だったのですが、
1年後の 「気の緩み」
「運動不足」
「栄養バランスの欠如」
「年齢に起因?」 等で
相乗して、症状が顕著になっているような気がします。
・・・・・・・・・・
この状態では、急いで低地に下りなければ、最悪の事態に至ると
「常識」が脳裏を突いてきます。
それとは相反し「まだ特別に重大な症状は見られない」し、
この際、更に酸素の少ないもっと高所に登り心肺に負担(体力を鍛える)を
掛け、そこから天空都市に戻ってきたら、「どうなるだろうか?」
きっと心肺機能が大きくなり「楽になるのではなかろうか?」 と
正常人では考えられない「非常識」な発想が生じ
「試してもよいではないか」 と言う結論を 安易に導いたのです。
ここ宝の山は天空都市から眺めると峻険な山には見えず
稜線はなだらかな直線であり、転石はあるものの、
肌はむき出しで地山が見え、それは堅固である様に見えています。
また、途中4,600mまでは廃坑になった坑口までのアクセス道路があると
聞いているので、
「大丈夫登れる」 と言う確信に変わり(=持って行き)、
「もし心臓や足に変化が現れれば下りてくれば良い」 と言う
短絡な解答を導き出し、「登ってみよう」と言う、
決心に変わっていったのです。
多分に「思考力」が落ちている故の、こういう短絡な考えになったと
頭では分かっていても、「気持ち」がそれに逆行し、優先しているのです。
それは「気持ち」の中に、標高4,800mから見る眺めは、必ずや
心身の苦しさを治癒するに値する「素晴らしいものだ」と
過去の経験が、うなだれた頭を持ち上げるのです。
また、そういう「気持ち」になるのは「体力があるから」
想起するのであり「健康な証拠」であると、良い方に自分を納得させ
とうとう決心したのです。
・・・・・・・・・・
快晴の日を選び決行しました。
約4,650mまではアクセス道路があり、残り、垂直高で150m=斜長で約860m。
登り始めると意外に転石が多く、当初の稜線のルートは断念しました。
兎に角、滑落に注意し、一歩一歩足を固め、地山を選びながら、
途中途中で休憩し「下界」の景色を堪能しながらの「登り」でした。
また、当日は風が強く心臓には負担はかからないのですが(=空気をうんと吸うので)
吹き飛ばされる心配 と 次第に足の上がり、特に腿(もも)は重しを載せられた
ようになり、休憩の頻度が徐々に増え、最後の30mは息絶え絶えで 「やっと」登り切った
感じです。やはり「体力」の衰えを痛感させられたのでした。
でも、山頂から見る「素晴らしい景色」が、そのネガティブ・ファクターを払拭したのです。
下方には小さく天空都市全域が、四方にはアンデスの地肌がむき出しの
灰茶色の標高5,000m~6,000mの雄大な山脈が連座し、その懐には美しい湖が見られます。
空中都市から見える頂上の「白いもの」は管理小屋で、そこには「水準点」が
埋め込まれ、その裏の石壁には標高4,825mと記されていました。
そこから頂上までは約30mあり、「宝の山」の標高は約4,855m前後となります。
空は満天の青空でした。頂上に立つと風速9m=約32km/時あり、
風は冷たくて、油断すると吹き飛ばされる状態でした。
頂上には縦横約1mの石壁が半円形に設けられ、その中に入り
風と寒さを避けながら、壮大なアンデスの山脈や天空都市を
しばらく時間を忘れ眺めていました。
「地球は何と広いのか」
「自然にはかなわないな」
「・・・・・素晴らしいな」
等々、色々、感嘆しているうちに
体の痛みは消え去り と 同時に
心の方も爽やかになっていました。
体の不調は気の緩みが引き起こしていたのでしょう。
低地の場合は気が緩んで来たーと感じれば
時間を作り体を動かす事を心掛けていました。
ウオーキングやハイキングも然りで、体が健康であるから
できるのであり、そうすることにより心の健康もバランスするようです。
「健全な精神は健全な肉体に宿る」でしょうか。
・・・・・が
あくる日、起きたら、また頭痛です。
やっぱり4,800mの短時間登山は「荒療治」だったのか と思い知らされます。
でも、でも一時的に治ったのですから、満足しましょう。と言い聞かせ・・・・・
週末は「白い街」2,750mへ下りてみようかなー。。。。。
四月中旬の雲。街も覆われています。
四月下旬の雲。こうやって渦を巻き、天高く消えていくのでしょう。
「宝の山」と「宝の小山」 全景。
稜線は美しいのですが。
「宝の山」と「宝の小山」 =左側に見える低い山をそう呼びます。
「宝の山」と「宝の小山」の大写し。
「宝の山」の頂上には 白いものが見えます。
「宝の小山」には 何か建造物が見えます。
4,650m地点。天空都市から見ると「宝の山」の背後にあたります。
結構、転石があり、雪渓です。
同上。
同上。
天空都市側。頂上に微かに 白い物 が見えます。
転石や転砂があり、ここの右側をループし登ります。
同上。
頂上に近づくと結構、険しさが増します。
同上。
岩石山が崩落し大石が散在しています。
天空都市から見える「白い物」は何やら建物です。
宝の山を守る 管理小屋です。
管理小屋から見る天空都市
「宝の小山」は懐が深く、ここからだと遠くに見えます。
「宝の小山」にある建造物は両手を広げたイエスキリストの像です。
水準点=BM=Bench Mark=太平洋の平均水面高を標高0(ゼロ)とし、そこを基準点とし持ってきた
標高を示す点。
「水準点」の後ろ=管理小屋の横にある標高を記した石壁。
もうすぐ頂上です。
頂上です。
前記写真の左上の半円形の石壁の中から撮っています。
東側(ブラジル側)です。
以前掲載した 豪雨で決壊した湖が見えます。
カメラアングルを少し右方向(東南方向=パラグアイ側)に振りました。
コニーデ式(富士山タイプ)やトロイデ式(釣鐘状)は6,000m超の火山です。
更に右方向、南側(アルゼンチン側)です。
更に右方向、南西側(チリ側)です。
更に右方向、西側(チリ、太平洋側)です
更に右方向、西北側(ペルー側)です。
更に右方向、北側、天空都市を一望できます。
更に右方向、北東側、真下に管理小屋の屋根が見えます。
この写真で一巡しました。
もう一度、天空都市を紹介します。
周りの山々が白いものに覆われるこの時期は、空気が乾燥し
全身は静電気で充たされ、物に触れると「ビリッー」と音が聞こえる程です。
昨年の5月もそうだったように、ここ天空都市の季節の移り変わりは
定常的と 感じ取られ、山、川や大地は、まだまだ自然力が息づいております。
この広大な大地には温暖化の影響は稀有のようです。
自然の山紫水明な移ろいを見ていると
次第次第に自然に同化させられているように感じます。
・・・・・・・・・・
晴れ間が多くなるに連れて、朝起きた時に頭痛がし始めてきました。
晴れと頭痛には相関関係はないと思います。
原因は下記のようだと考えます。
年初にここに戻ってきてから約5ケ月が過ぎ、体内に蓄積されたいた
酸素が無くなってきたからです。
この状態は「高山病」特有なもので
まず、 「頭痛」
それに伴う 「不眠」
「倦怠感」や「脱力感」
「物忘れ」や「思考のショート」
や 「肩こり」等の 症状が見られます。
「頭痛」は何となく分かるのですが、
「肩こり」も酸素欠乏に因るものでしょうか?
多分、そうだと考えています。
通常、4,000mの高地において、ほぼ100%の人が「高山病」に罹ります。
私の場合はここ4,000mの生活に1年間強、適応してきたので
「高地には自信がある」と高をくくっていました。
最初の1年間は高地対応にそれなりに気を付けて、大丈夫だったのですが、
1年後の 「気の緩み」
「運動不足」
「栄養バランスの欠如」
「年齢に起因?」 等で
相乗して、症状が顕著になっているような気がします。
・・・・・・・・・・
この状態では、急いで低地に下りなければ、最悪の事態に至ると
「常識」が脳裏を突いてきます。
それとは相反し「まだ特別に重大な症状は見られない」し、
この際、更に酸素の少ないもっと高所に登り心肺に負担(体力を鍛える)を
掛け、そこから天空都市に戻ってきたら、「どうなるだろうか?」
きっと心肺機能が大きくなり「楽になるのではなかろうか?」 と
正常人では考えられない「非常識」な発想が生じ
「試してもよいではないか」 と言う結論を 安易に導いたのです。
ここ宝の山は天空都市から眺めると峻険な山には見えず
稜線はなだらかな直線であり、転石はあるものの、
肌はむき出しで地山が見え、それは堅固である様に見えています。
また、途中4,600mまでは廃坑になった坑口までのアクセス道路があると
聞いているので、
「大丈夫登れる」 と言う確信に変わり(=持って行き)、
「もし心臓や足に変化が現れれば下りてくれば良い」 と言う
短絡な解答を導き出し、「登ってみよう」と言う、
決心に変わっていったのです。
多分に「思考力」が落ちている故の、こういう短絡な考えになったと
頭では分かっていても、「気持ち」がそれに逆行し、優先しているのです。
それは「気持ち」の中に、標高4,800mから見る眺めは、必ずや
心身の苦しさを治癒するに値する「素晴らしいものだ」と
過去の経験が、うなだれた頭を持ち上げるのです。
また、そういう「気持ち」になるのは「体力があるから」
想起するのであり「健康な証拠」であると、良い方に自分を納得させ
とうとう決心したのです。
・・・・・・・・・・
快晴の日を選び決行しました。
約4,650mまではアクセス道路があり、残り、垂直高で150m=斜長で約860m。
登り始めると意外に転石が多く、当初の稜線のルートは断念しました。
兎に角、滑落に注意し、一歩一歩足を固め、地山を選びながら、
途中途中で休憩し「下界」の景色を堪能しながらの「登り」でした。
また、当日は風が強く心臓には負担はかからないのですが(=空気をうんと吸うので)
吹き飛ばされる心配 と 次第に足の上がり、特に腿(もも)は重しを載せられた
ようになり、休憩の頻度が徐々に増え、最後の30mは息絶え絶えで 「やっと」登り切った
感じです。やはり「体力」の衰えを痛感させられたのでした。
でも、山頂から見る「素晴らしい景色」が、そのネガティブ・ファクターを払拭したのです。
下方には小さく天空都市全域が、四方にはアンデスの地肌がむき出しの
灰茶色の標高5,000m~6,000mの雄大な山脈が連座し、その懐には美しい湖が見られます。
空中都市から見える頂上の「白いもの」は管理小屋で、そこには「水準点」が
埋め込まれ、その裏の石壁には標高4,825mと記されていました。
そこから頂上までは約30mあり、「宝の山」の標高は約4,855m前後となります。
空は満天の青空でした。頂上に立つと風速9m=約32km/時あり、
風は冷たくて、油断すると吹き飛ばされる状態でした。
頂上には縦横約1mの石壁が半円形に設けられ、その中に入り
風と寒さを避けながら、壮大なアンデスの山脈や天空都市を
しばらく時間を忘れ眺めていました。
「地球は何と広いのか」
「自然にはかなわないな」
「・・・・・素晴らしいな」
等々、色々、感嘆しているうちに
体の痛みは消え去り と 同時に
心の方も爽やかになっていました。
体の不調は気の緩みが引き起こしていたのでしょう。
低地の場合は気が緩んで来たーと感じれば
時間を作り体を動かす事を心掛けていました。
ウオーキングやハイキングも然りで、体が健康であるから
できるのであり、そうすることにより心の健康もバランスするようです。
「健全な精神は健全な肉体に宿る」でしょうか。
・・・・・が
あくる日、起きたら、また頭痛です。
やっぱり4,800mの短時間登山は「荒療治」だったのか と思い知らされます。
でも、でも一時的に治ったのですから、満足しましょう。と言い聞かせ・・・・・
週末は「白い街」2,750mへ下りてみようかなー。。。。。
四月中旬の雲。街も覆われています。
四月下旬の雲。こうやって渦を巻き、天高く消えていくのでしょう。
「宝の山」と「宝の小山」 全景。
稜線は美しいのですが。
「宝の山」と「宝の小山」 =左側に見える低い山をそう呼びます。
「宝の山」と「宝の小山」の大写し。
「宝の山」の頂上には 白いものが見えます。
「宝の小山」には 何か建造物が見えます。
4,650m地点。天空都市から見ると「宝の山」の背後にあたります。
結構、転石があり、雪渓です。
同上。
同上。
天空都市側。頂上に微かに 白い物 が見えます。
転石や転砂があり、ここの右側をループし登ります。
同上。
頂上に近づくと結構、険しさが増します。
同上。
岩石山が崩落し大石が散在しています。
天空都市から見える「白い物」は何やら建物です。
宝の山を守る 管理小屋です。
管理小屋から見る天空都市
「宝の小山」は懐が深く、ここからだと遠くに見えます。
「宝の小山」にある建造物は両手を広げたイエスキリストの像です。
水準点=BM=Bench Mark=太平洋の平均水面高を標高0(ゼロ)とし、そこを基準点とし持ってきた
標高を示す点。
「水準点」の後ろ=管理小屋の横にある標高を記した石壁。
もうすぐ頂上です。
頂上です。
前記写真の左上の半円形の石壁の中から撮っています。
東側(ブラジル側)です。
以前掲載した 豪雨で決壊した湖が見えます。
カメラアングルを少し右方向(東南方向=パラグアイ側)に振りました。
コニーデ式(富士山タイプ)やトロイデ式(釣鐘状)は6,000m超の火山です。
更に右方向、南側(アルゼンチン側)です。
更に右方向、南西側(チリ側)です。
更に右方向、西側(チリ、太平洋側)です
更に右方向、西北側(ペルー側)です。
更に右方向、北側、天空都市を一望できます。
更に右方向、北東側、真下に管理小屋の屋根が見えます。
この写真で一巡しました。
もう一度、天空都市を紹介します。