いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
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小説 辿り着いた道(17)

2013-02-20 06:48:03 | Weblog
                                             分類・文
      小説 辿り着いた道              箱 崎  昭

 この頃から泰治は部屋を交換して奥の6帖間にトキ子を寝かせ、居間と隣側にある6畳の部屋を使用するようになったので実質的に2部屋を占有できるようになった。
 泰治は冷蔵庫のドアを閉める音と同時に左手に缶ビールを握っていた。最近になってアルコールを飲む量が多くなってきた。
 それはこれまでのように部屋を締め切り、閉じ籠っていた時よりも動きの自由空間が広まり、何をしてもトキ子には目が届かないという精神的な安心感と、なによりも苦情苦言を言われることがなくなった開放感によるものだった。
 泰治が財布を握るようになってからは食料品の買い物は缶詰、パン、インスタントラーメン、出来合いの弁当などのような品で冷蔵庫の中を満たすようになり、1度買い込んでくると暫らくの間はもつようになった。
 嗜好品のタバコや酒類は食費を最小限にすれば自分の裁量でどうにでもなる。
 トキ子と泰治の間では、もう直接的な会話は少なくなっていたが、それでも酔いが回ってくると独り言だがトキ子まで届く筈がない声掛けはする。
「母さーん、何か食べるー? まったく何を言っても答えないんだからなあ」
 空しい呼びかけだが、なるべく絶やさないようにしてやるのが泰治には何故か気が安らぐのだった。
 しかし、このような生活状態が長く続いていると、さすがに泰治も疲れてくるし強烈な不安と居た堪れない罪悪感に苛(さいな)まれる。
 郷見ケ丘団地内にも、いつの間にか高齢世帯が占める割合が多くなってきたので、一定の年齢に達した人たちの所在と健康状態を把握するために、民生委員が対象者の居る家庭を訪問して歩くようになった。
 泰治にとってはこれが煩わしく思えた。だから、これらの訪問を一切拒絶してしまうのが自分にとって一番好都合になる方法ではないかと考え、いつも門前払いをすることに決め込んだ。
 来訪時には玄関先で対応し、直接トキ子に会って話を聞きたいと言われると「母は誰にも会いたがらない」「病院へは必要に応じて自分が連れて行く」「母の世話は自分が全てやっているから心配ない」などと、その都度答え方を変えているうちに訪問は極端に減少した。
 民生委員は家人にそこまで言われるとプライバシーに対する配慮もあるし、強制的に部屋まで立ち入る義務も権限もないから、訪問調査は肝心なところで暗礁に乗り上げてしまう弱点がある。泰治のところもこの例に該当した。
 やがて、いつとは無しに泰治が住んでいるA4号棟の近隣者から、良からぬ噂話が流布されていった。 (続)
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