いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

小説 辿り着いた道(11)

2013-02-14 06:21:31 | Weblog
                                            分類・文
      小説 辿り着いた道              箱 崎  昭

     (六)
「今日も多分、遅くなるかも知れない」
 治男は出掛けに前かがみになって、靴ベラを踵(かかと)に押し当てながら大体の帰宅時間を知らせた。
「あまり無理をしないで、たまには早く帰ってきて下さいね。無理がたたると身体にも悪いし……」
 仕事が多忙であれば帰りたくても帰れないのは百も承知のトキ子がそんなことを口に出した。治男が一歩でも外へ出ればいつも帰宅まで安心できない性格であったが、今朝のようなセリフを言ったのは珍しい。
 治男の後姿が心なしか寂しげに映ったせいもあるが、できることならトキ子も一緒に付いていきたいという衝動に駆られたのが不思議だった。
 外は生憎の雨で、このあと天気は更に悪くなっていくようだ。
 早朝の天気予報では温暖前線が本州南岸を通過し、東海から関東にかけて雷を伴って局地的に大雨が降る所があるので土砂災害には充分な注意が必要であると報じていた。 早くも、磐城の浜通り地方でもその前兆を窺い知ることができる。
 団地の周囲を取り巻くように植え込まれている欅の葉が、時折吹いてくる風の強弱に合わせてザワザワと音をたてながら揺れ動いていた。
 4階ベランダからの遠景は小雨に煙って、水墨画のように灰色の空間に木々や建物が黒い固体となって点在して見える。
 団地に来た当初は買い物が不便で、いちいち下の鹿島街道まで下りて行くか、小名浜や平の町へ出掛けた際についでに用を済ませていたが、最近では食料品を主とするスーパーをはじめ衣料品店や雑貨屋、理容店などが矢継ぎ早に軒を並べるようになり、中には開発によって農業を辞めた住民が商店を経営するというほどの活気が出てきた。
 治男の家では3人とも夕食時間が遅く、泰治は7時前後に食べるしトキ子は治男が帰宅したら一緒に食べるので8時以降というのが通例になっている。
 だから、いつも買い物は決して慌てる必要はなかったが、今日のように悪天候になると分かっている日は早めに済ませておくようにしている。
 足元が悪い日は、どこの店先を通っても客寄せに余念がない。
 それはどうしても、普段よりも客足が減るので仕入れた商品を売り捌くのに焦りを感じるからなのだろうか。
「奥さーん、カツオの活きの良いのが入っているよ! 持っていきなー」
 店先に立っていた魚屋の主人がトキ子を見ると拍手を一つ打って、頭に巻いたタオルを締めなおした。
この店は主人が仲買人で、毎朝早くから小名浜中央魚市場に出向いて魚を仕入れてくるので常に新鮮なモノを扱っていることは有名で評判が良い。
 治男が帰ってきたら晩酌の肴にもなるし、御飯に添え物の一品としても加えられると思い魚屋の誘いに乗った。
「活きのいいのが入っていると言っていたけれど、お宅の魚は全部活きが良いのに決まっているんじゃないの?」
 トキ子は笑みを浮かべ、からかい半分に言った。
「今日はカツオが特に良いんだよ。常磐沿海の黒潮に乗ってきたヤツをとっ摑まえてきたんだから美味いよー」
 魚屋は自分が獲ってきたように言って「今日のお薦め品だ!」と太鼓判を押した。  マナ板の上でカツオ身が手際よく捌かれて経木(きょうぎ)の中に納まった。 (続)


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 小説 辿り着いた道(10) | トップ | 小説 辿り着いた道(12) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

Weblog」カテゴリの最新記事