いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
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小説 辿り着いた道(16)

2013-02-19 06:23:56 | Weblog
                                             分類・文
      小説 辿り着いた道              箱 崎  昭

 金銭的な問題は最初から正社員と臨時社員の違いがあった訳だから不平不満はなく、むしろ長い間に会社の経営状況も厳しくなっていく中で、社員と同じく60歳の年齢まで解雇されずに済んだことを感謝すべきだと思っていた。
 トキ子は福島漁網を辞めてからも身体を休めることなく、今度は小名浜にある仕出し弁当屋へ毎朝6時から11時までパートで働きに出掛けていた。
 仕事場までは徒歩で30分ほどの道程になるが、行き帰りはいつも治男と2人で歩いているような積りでいるからさほど苦にならない。
 それに時折声を出して問いかけてみたりすると、実際に治男が傍に居て応えてくれているような錯覚を起こすから無駄な時間とは思えなかった。
 肝心の支え柱がいなくなっても泰治に対する悩みの種は一向に解消することはなく、ただ働くだけに追われていた。
「あなた、助けてよ。私どうすればいいの?」
 歩きながら独り言を発して女の脆さを出してしまう。
「私、出来ることなら直ぐにでもあなたのところへ行きたい」
 つい弱音とも本音とも受け取れる言葉を吐いている自分に気付いて、慌てて活を入れ直す時もある。
 働きながら弱音が出るようでは意気込みに甘さがあり、そろそろ身体に無理が生じてきた証拠ともいえるのかも知れない。
 泰治は統合失調症であることを医者から診断されて以来、自然治癒に一縷の望みを掛けてきたのだがいまの歳になっても快方への進展がみられないのは既に絶望的であった。
 
     (八)
 誰にでも年月は平等に来て、しかも否応なしに経過していく。
 トキ子が88歳で泰治が64歳になった年に、トキ子は市から米寿の記念品と祝い金を授与されたが、祝い金の方は泰治が予(かね)てより欲しがっていたパソコン購入のために使われた。
 マンガ本からゲーム機へ、そして待望のパソコンへと移行し以前にも増して部屋から1歩も出る必要のない、泰治にとっては恰好の『個室満足型時間消費機器』というものを手に入れた。
 トキ子は既に足腰が弱くなって団地の部屋から外へ出ることもなくなって、トキ子を知る人たちの話題からも次第に外されていった。
 治男が生存中に積み立ててきた厚生年金の一部と、トキ子自身が加入していた厚生年金と国民年金を合算したものを受給しているので、生活に余裕こそないが生きるためには最少限度の保障があった。
 トキ子が動ける時は雑用から買い物まで全てを小まめにこなしていたが、今では泰治がその役目を果たしているので、団地内の人は泰治が月に何度か買い物をしたビニール袋をぶら下げて歩いている姿を見るくらいだ。
 泰治と出会うと、トキ子を見かけなくなったのを心配して問い掛けてくるのだが、そんな時、泰治は軽く会釈をする程度で面倒くさそうにしてその場から足早に去ることにしている。
 周囲の住人は泰治を変わり者と見ているから、その行動がむしろ自然だった。 (続)
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