いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
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小説 辿り着いた道(15)

2013-02-18 06:35:07 | Weblog
                                             分類・文
      小説 辿り着いた道               箱 崎  昭

「今日はお訪ねした甲斐がありました。紺野さんに喜んで頂けるなら私もこんなに嬉しいことはありません。営業で近くまで来たものですから寄らせてもらいました」
 滝沢は置物の福助のように両肘を丁寧に折って挨拶を済ませると、本業に向けてまた気忙しそうに暖地の階段を下りていった。
 結果は即決に近いような恰好で採用され、トキ子は40代後半にして臨時雇用の身分ではあったが勤め先が決まった。
 海原が見え隠れするバス通りを暫らく行くと海岸通に出るが、バス停の福島漁網前で下車したところが会社なので通勤には至って便利な場所だった。
 会社から道を1本跨いだ砂浜から遠浅の海が広がり、新鮮な潮の香が漂ってくる。
 福島漁網の前身は福島紡績といって、本社が四日市市にある大きな紡績工場だったが時代の変遷によって、いまでは全国の漁港に支店や営業所を数多く持つ漁網の製造販売と補修作業を行っている会社になっている。
 昭和の初期頃までは多くの女工を雇って綿撚糸の製造を行っていたが、当時繊維業界では画期的な合成繊維漁網の製造を開始し事業は一気に拡大していった。
 磐城に福島漁網事業所を置いて浜通り一帯の漁船を対象に取引をしており、順調な業績を上げている。
 社員は網職人と営業マン、それに事務員の総勢20数人だが、網の修理に手が回らない時は他県の営業所から応援を受けたりするので、現場はいつも見慣れない顔が入り混じっていた。
 所長も事務員も、生前の治男のことは銀行との取引の関係でよく知っていてくらたからトキ子にとってそれだけ早く職場に馴染めた。
 治男が営業で事業所に寄ると、必ず誰彼となく気さくに声を掛けてくれたのでよく覚えているし、実直さと勤勉振りが強く印象に残っているとまで言われると、嬉しさと共に目の前に治男の姿が鮮明に現れてくるようだった。
 トキ子は臨時の事務員で誰よりも年長だったが、どんな雑用でも厭な顔をせず素直に仕事をこなしたので、女性同士に有りがちな陰口を叩かれる対象にされずに済んだ。  それどころか古株の事務員で関根という女性からは特に気に入られて、トキ子が現在加入している国民年金から厚生年金に切り替えてくれるという有り難い恩恵に授かるようになった。
「大丈夫よ、紺野さんのように真面目に勤務している人が社員になれないこと自体がおかしいんだから。厚生年金の加入手続きなんか私たちのオハコ(十八番)でしょう。私が所長に直談判してあげる」
 そう言って近視メガネの中央を、中指で軽くずり上げながら目で笑ってみせた。
 暫らく経ってから本当に所長の承認を得るようになって、トキ子の厚生年金加入が実現した。これはトキ子にとって働いていく上での大きな励みとなり嬉しいプレゼントになったのは間違いなく、老後になって治男からの寡婦年金と重複して受給できるようになれば他人様のお世話にならなくても、死なない程度には暮らしていけるのではないかという望みに、淡い兆しが見えてきたような感じがした。
 福島漁網での勤続期間中は、職場の人間関係に恵まれたこともあるが仕事の楽しさを教えてもらって、とても有意義な経験をしたと思った。
 とうとう社員にこそなれなかったが、給与やボーナス面での違いを除けば順調で長続きのする職場としてトキ子には最適だった。 (続)
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