分類・文
小説 辿り着いた道 箱 崎 昭
郷見ケ丘マイタウンが先を見据えた新興住宅地と云われる所以だが、その一角に開発と時期を同じくして4階建ての市営住宅が6棟建てられた。
それは真新しい下駄3つを引っ繰り返したように、白く整然とした形で並んでいた。
平屋の戸建て市営住宅なら市内の各地に散在しているが、鉄筋コンクリート建てとなると珍しく、高級マンションにでも入居できるような錯覚さえ起こさせるから、宅地購入者と同様に市営住宅への入居希望者も当然のように殺到した。
巷では入居当選の確率は宝くじの高額当選をしたことに巨敵するくらいの難関だと、大袈裟に言われている団地だ。
紺野治男は入居申込み手続きを済ませた後、そのこと自体を忘れかけようとしていた頃になって、玄関口の木製郵便受けに当選通知が舞い込んだから驚いた。
妻のトキ子が「どうせなら、ああいう場所(ところ)に住んでみたいねえ」と言ったことがキッカケで、治男が〔駄目元〕の積りで気楽に応募しておいたものが功を奏して夢の実現へと結びついたからだった。
無欲の入居当選とでもいうのだろうか、トキ子は6畳間が軋むほど小躍りして喜び、傍にいたいた26歳になる息子の泰治が一言「良かったね」と言った。
トキ子のように騒ぎ立てることはしなかったが、無表情の顔に微かな笑みが浮かんだ。
治男自身もまさか入居できるとは思ってもいなかったので半信半疑になりながらも、これまで借りていた平屋から親子3人が開放されると思うと、次第に喜びが心の奥底から込み上げてくるものがあった。
4年前に常洋銀行日立支店から小名浜支店へ営業部長として転勤してきて、社宅がないために銀行が斡旋した民間の借家住まいを続けていた。
治男は生粋の水戸っ子だが、県外への転勤とはいっても日立と磐城では隣県を跨いだような位置にあったので別に違和感を覚えることもなく、それよりも東北の玄関口と呼ばれている磐城市の水産、工業と併せて近隣市町村の農林、商業、炭鉱が揃った活気ある地域で小名浜支店の客層を増やし実績を上げるためにはむしろ、遣り甲斐があるのではないかという意欲を燃やしていた。
トキ子の生家は長野県の地方都市なので、故郷からは益々遠ざかってしまったという感覚があって望郷の念は一層深みを増したようだが治男の職業柄、定年まで1箇所に留まって居られる訳もなく異動は必然的なものであると覚悟はできていたようだ。
2人は東京で学生生活を送っている時に知り合った中で、結婚後はずっと日立市で暮してきたから転勤でこの土地に来ても旧知の人がいる筈もなく、トキ子は近所に在り来りの挨拶をする人は居ても胸襟を開いて話し合える友達というのはいなかった。 団地に入れば更に人との付き合いが稀薄になり、家族3人のことだけを考えれば良いという小さな殻の中で生活を営むようになってしまうのを治男は危惧したりもしたが、トキ子は「私にとっては世間に気遣うこともなく却って自由で生活がし易いかもよ」と、おどけて見せたが、その笑みは本音であるのを証明していた。 (続)
小説 辿り着いた道 箱 崎 昭
郷見ケ丘マイタウンが先を見据えた新興住宅地と云われる所以だが、その一角に開発と時期を同じくして4階建ての市営住宅が6棟建てられた。
それは真新しい下駄3つを引っ繰り返したように、白く整然とした形で並んでいた。
平屋の戸建て市営住宅なら市内の各地に散在しているが、鉄筋コンクリート建てとなると珍しく、高級マンションにでも入居できるような錯覚さえ起こさせるから、宅地購入者と同様に市営住宅への入居希望者も当然のように殺到した。
巷では入居当選の確率は宝くじの高額当選をしたことに巨敵するくらいの難関だと、大袈裟に言われている団地だ。
紺野治男は入居申込み手続きを済ませた後、そのこと自体を忘れかけようとしていた頃になって、玄関口の木製郵便受けに当選通知が舞い込んだから驚いた。
妻のトキ子が「どうせなら、ああいう場所(ところ)に住んでみたいねえ」と言ったことがキッカケで、治男が〔駄目元〕の積りで気楽に応募しておいたものが功を奏して夢の実現へと結びついたからだった。
無欲の入居当選とでもいうのだろうか、トキ子は6畳間が軋むほど小躍りして喜び、傍にいたいた26歳になる息子の泰治が一言「良かったね」と言った。
トキ子のように騒ぎ立てることはしなかったが、無表情の顔に微かな笑みが浮かんだ。
治男自身もまさか入居できるとは思ってもいなかったので半信半疑になりながらも、これまで借りていた平屋から親子3人が開放されると思うと、次第に喜びが心の奥底から込み上げてくるものがあった。
4年前に常洋銀行日立支店から小名浜支店へ営業部長として転勤してきて、社宅がないために銀行が斡旋した民間の借家住まいを続けていた。
治男は生粋の水戸っ子だが、県外への転勤とはいっても日立と磐城では隣県を跨いだような位置にあったので別に違和感を覚えることもなく、それよりも東北の玄関口と呼ばれている磐城市の水産、工業と併せて近隣市町村の農林、商業、炭鉱が揃った活気ある地域で小名浜支店の客層を増やし実績を上げるためにはむしろ、遣り甲斐があるのではないかという意欲を燃やしていた。
トキ子の生家は長野県の地方都市なので、故郷からは益々遠ざかってしまったという感覚があって望郷の念は一層深みを増したようだが治男の職業柄、定年まで1箇所に留まって居られる訳もなく異動は必然的なものであると覚悟はできていたようだ。
2人は東京で学生生活を送っている時に知り合った中で、結婚後はずっと日立市で暮してきたから転勤でこの土地に来ても旧知の人がいる筈もなく、トキ子は近所に在り来りの挨拶をする人は居ても胸襟を開いて話し合える友達というのはいなかった。 団地に入れば更に人との付き合いが稀薄になり、家族3人のことだけを考えれば良いという小さな殻の中で生活を営むようになってしまうのを治男は危惧したりもしたが、トキ子は「私にとっては世間に気遣うこともなく却って自由で生活がし易いかもよ」と、おどけて見せたが、その笑みは本音であるのを証明していた。 (続)