分類・文
小説 カケス婆っぱ
第31回吉野せい賞奨励賞受賞 箱 崎 昭
(一)
磐城の地形は遠く阿武隈山脈を背にして、太平洋側に細く長く伸びた山々によって形成されている。
常磐線は上野駅を始発に水戸を経由して仙台方面へ走り抜ける幹線だが、その山間と海岸沿いをまるで縫うようにしながら途中の常磐炭田地帯を通過していく。
常磐炭田から産出する石炭を、京浜方面へ輸送する最大の交通機関としての役割も担っている重要な路線でもある。
湯本駅界隈は、常磐炭礦として唯一、お湯が湧出している地域ということもあって駅前から北西に向かって温泉宿が林立している。
この駅に列車が滑り込んでくると、乗客の殆んどが停車中に車窓を開け放ち物珍し気に視線をホームに傾注させる。
ホームには湯ノ嶽で捕獲された親子イノシシの剥製が置かれ、黒いダイヤといわれる上質石炭が展示され、更にこの土地の自然と郷愁を瞬時でも乗客に味わってもらおうと地下からお湯を吹き上げさせているからである。
広大な構内側線には、採炭されて間もない石炭が無蓋貨車に満載され途切れなく並んで牽引していく機関車を待っている。
貨車に積まれた石炭には普通炭と上質炭の区別がなされてあり、上質炭には最上部に石灰が満遍なく撒かれ吹っ掛け雪が被さったように真っ白になっている。これは目的地に到着する迄の間に途中で荷抜きをされるのを防止する意味も兼ねている。
側線が途切れた端にはドブ川が流れている。
単にドブ川というよりも、炭礦の構内から湧き出てくる温水が汚物と混じり合い、赤銅色となって排出されてくる川と云ったほうが正しいのかもしれない。
その川と並行して陸前浜街道があって、道路の両端をヘルメットを被り顔中が石炭の粉塵で真っ黒になった炭礦夫が、蟻の行列のように気忙しく往来している。目だけが異様なほど光って見える。
そこを湯気の上がった石炭を満載したダンプカーが狭い道を更に狭くしながら、荷台の煽り板から汚水を垂れ流していくので道路は土砂降り雨のように跳ね返る。
近くにある立坑の送風機が山鳴りのように唸っている。
一帯が山に包囲されている湯本駅前周辺は、炭礦と観光の両面を兼ね備えた独特の活気に満ちているが、狭い土地ゆえに町全体が凝縮されていて通称、陸前浜街道と呼ばれている国道6号線さえ窮屈そうに町中を抜けている。
11月の中旬ともなると、朝晩など寒さが一層増してくる頃でもあるが、日中はまだまだ暖かさを感じる時期だった。
全てのものを吸い込みそうな紺碧の空が広がり、山々の稜線はすっかり紅葉に染まって温泉客にとっては絶好の季節を迎えていた。
そんな日の昼下がりに、下り鈍行列車から降りてくる人だかりの中に、観光を目的にこの地にやってきた訳ではないが60歳になる小柄で浅黒い顔をした老婆が、10歳になる孫を連れて改札口から出てきた。
老婆はキク、孫は和起という名の2人連れだった。
キクは年齢こそいっているが大きな荷物を背負い、両手に風呂敷包みを下げていた。まるで終戦直後の買出し姿のような恰好をして、精悍な面魂(つらだましい)をしていた。
和起は色褪せたリュックサックを背にして、片手には1冊の真新しい雑誌を持っていた。
「婆ちゃん、ここからバスは出ていねえのけ?」
子供は駅前のバス発着場を見回しながら聞いた。
「いや、出ていね。今からゆっくり歩いて行っても夕方までには楽に着くから頑張って歩いていくべな。村の人たちも待っていてくれることだし、婆ちゃんも頑張っから」
これから行く先のバスが出ていないというのが、如何にも辺鄙な場所であるかを暗示していた。 (続)
小説 カケス婆っぱ
第31回吉野せい賞奨励賞受賞 箱 崎 昭
(一)
磐城の地形は遠く阿武隈山脈を背にして、太平洋側に細く長く伸びた山々によって形成されている。
常磐線は上野駅を始発に水戸を経由して仙台方面へ走り抜ける幹線だが、その山間と海岸沿いをまるで縫うようにしながら途中の常磐炭田地帯を通過していく。
常磐炭田から産出する石炭を、京浜方面へ輸送する最大の交通機関としての役割も担っている重要な路線でもある。
湯本駅界隈は、常磐炭礦として唯一、お湯が湧出している地域ということもあって駅前から北西に向かって温泉宿が林立している。
この駅に列車が滑り込んでくると、乗客の殆んどが停車中に車窓を開け放ち物珍し気に視線をホームに傾注させる。
ホームには湯ノ嶽で捕獲された親子イノシシの剥製が置かれ、黒いダイヤといわれる上質石炭が展示され、更にこの土地の自然と郷愁を瞬時でも乗客に味わってもらおうと地下からお湯を吹き上げさせているからである。
広大な構内側線には、採炭されて間もない石炭が無蓋貨車に満載され途切れなく並んで牽引していく機関車を待っている。
貨車に積まれた石炭には普通炭と上質炭の区別がなされてあり、上質炭には最上部に石灰が満遍なく撒かれ吹っ掛け雪が被さったように真っ白になっている。これは目的地に到着する迄の間に途中で荷抜きをされるのを防止する意味も兼ねている。
側線が途切れた端にはドブ川が流れている。
単にドブ川というよりも、炭礦の構内から湧き出てくる温水が汚物と混じり合い、赤銅色となって排出されてくる川と云ったほうが正しいのかもしれない。
その川と並行して陸前浜街道があって、道路の両端をヘルメットを被り顔中が石炭の粉塵で真っ黒になった炭礦夫が、蟻の行列のように気忙しく往来している。目だけが異様なほど光って見える。
そこを湯気の上がった石炭を満載したダンプカーが狭い道を更に狭くしながら、荷台の煽り板から汚水を垂れ流していくので道路は土砂降り雨のように跳ね返る。
近くにある立坑の送風機が山鳴りのように唸っている。
一帯が山に包囲されている湯本駅前周辺は、炭礦と観光の両面を兼ね備えた独特の活気に満ちているが、狭い土地ゆえに町全体が凝縮されていて通称、陸前浜街道と呼ばれている国道6号線さえ窮屈そうに町中を抜けている。
11月の中旬ともなると、朝晩など寒さが一層増してくる頃でもあるが、日中はまだまだ暖かさを感じる時期だった。
全てのものを吸い込みそうな紺碧の空が広がり、山々の稜線はすっかり紅葉に染まって温泉客にとっては絶好の季節を迎えていた。
そんな日の昼下がりに、下り鈍行列車から降りてくる人だかりの中に、観光を目的にこの地にやってきた訳ではないが60歳になる小柄で浅黒い顔をした老婆が、10歳になる孫を連れて改札口から出てきた。
老婆はキク、孫は和起という名の2人連れだった。
キクは年齢こそいっているが大きな荷物を背負い、両手に風呂敷包みを下げていた。まるで終戦直後の買出し姿のような恰好をして、精悍な面魂(つらだましい)をしていた。
和起は色褪せたリュックサックを背にして、片手には1冊の真新しい雑誌を持っていた。
「婆ちゃん、ここからバスは出ていねえのけ?」
子供は駅前のバス発着場を見回しながら聞いた。
「いや、出ていね。今からゆっくり歩いて行っても夕方までには楽に着くから頑張って歩いていくべな。村の人たちも待っていてくれることだし、婆ちゃんも頑張っから」
これから行く先のバスが出ていないというのが、如何にも辺鄙な場所であるかを暗示していた。 (続)
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