いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

小説 ひとつの選択 (了) 

2013-02-03 06:35:34 | Weblog
                                            分類・文
    小説 ひとつの選択
         いわきの総合文藝誌風舎7号掲載            箱 崎  昭

 常日頃から紀子が忌み嫌っていた見栄や体裁の認識が曖昧であると思ったからだ。帰郷できない理由は、そういう封建的な生活の仕組みに辟易していたからではないのか。
 ところが、この街中に住んでいても結局、同じ見栄と体裁に翻弄されて暮しているのを真面(まとも)に見た思いがして、紀子の本心がどこにあるのかを鮮明に露呈してしまった。
 繁は今更攻める積りもなく、その気力さえ失くしていた。
 その後に太郎と健二が加わって夜半の11時近くまで掛かって話し合いは続いた。結論として繁以外の者たちの生活は現状維持ということで落着した。
 マンションは紀子の名義となり、息子たちは同居となるが毎月食費という名目で紀子に決められた金額を支払っていくという話も付いたようだが、いまの繁にとってそんな事は全く関わりがなくなった。
 紀子も近くの会社に勤めているので生活的には何とかやっていけるのだという。
 繁は丸裸で出て行く格好になるが、これから先の年金受給分に関しては紀子から折半受給の相談はなかった。
 本来であれば紀子は貰える主張をしてもよいところなのだが、繁に付いていけないという弱みからなのだろうか、あるいはマンションの所有権を繁が一切放棄したからなのかは定かでないが、紀子の意思表示にそれ以上の関与は必要としなかった。
「紀子、いままで有り難う」
 どんな別れ方をするにしても30年間を共にしてきた相手に謝意の一言ぐらいを述べるのは常識の範囲内であり、繁はこれから会うことのない紀子を赤の他人であると思うときの区切りにもしておきたかった。
「太郎と健二に父親として、どのような役割を果たしてきたのかを思うと決して満足のいく育て方は出来なかったようには思う。しかも今回の件では2人は夫婦の問題で結果的に巻き添えにしてしまったと思うと腑甲斐なさを痛感しているよ。許して欲しい」
 繁は誠意を込めて謝る以外になかった。太郎も健二も頭を垂れて何も言わなかった。
 部屋から持ち出す荷物と言っても繁個人のものとしては少なかったが、それでも衣類や必要な書物類を乗用車の後部座席やトランクに詰め込んだら満載になった。
 家族4人が車の側に集まったところで、繁が最後の別れを告げて車のエンジンを掛けると残った3人は、離別の瞬間をどのような表情をしたら良いのか戸惑ったような仕種をしたが紀子だけが頭を深く垂れていた。
 次男の健二は車が表通りへ出る道の角まで先に走って行き立ち止まって待っていたので、繁は窓を開けて声を掛けた。
「わざわざ、ここまで来て見送ってくれるんだー。ありがとう、元気でな……」 
 そう言い残すと車を緩やかに発進させた。
 健二がルームミラーの枠の中に納まって、次第に小さくなっていくのが良く見える。両手を高々と上げて左右に振っている。
「おやじー」
 いま確かに聴こえた。繁は一瞬耳を疑ったが健二の声がそう叫んだ。
 中学になった頃から、友達や紀子の前ではオヤジという言葉を頻繁に使っていたのは承知していたが、繁が直接言われたのはこの瞬間だけだった。
 別れの際に健二が叫んだ一声は、恐らく子供から父親に贈った最後の餞(はなむけ)言葉だったに違いないし、健二自身が大人になっているという自己主張なのかも知れない。
 煌びやかな街の灯りが46時中、人々を眠らせない不思議な魅力と恐さを醸し出している京浜工業地帯の一角から、多摩川を跨いでいる県境の大師大橋に近づいてきた。
 繁は長年移り住んだ川崎と決別する場所(ところ)を今回、来る前からこの橋にしようと決めていた。
 いま、その大師大橋を通過中で丁度多摩川の中間辺りを走行している。
 下流にある工場群の夜景と、羽田空港滑走路の誘導灯が川面の漣にキラキラと光り輝いて跳ね返っている。
 間もなく繁は自分が選んだ64歳からの新しい人生を送る瞬間を迎えようとしていた。 (了)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする