いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
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小説 辿り着いた道(10)

2013-02-13 06:51:48 | Weblog
                                            分類・文
      小説 辿り着いた道             箱 崎  昭

 翌日になって珍しく泰治が声を掛けてきた。 「母さん、オレ面接に行ってくるよ」
 居間で昼食の片付けをしていたトキ子は、不意打ちを喰らって一瞬狼狽したが“凄い! やる気になったんだ”と思い泰治を玄関先まで追って話し掛けた。
「あそこは地元の個人がやっているガソリンスタンドだから、形式的な面談をするだけだと思うので気楽に行ってらっしゃい」
 トキ子は玄関で見送りながら、どうかこれが泰治にとって吉兆をもたらす出発点であってくれるようにと祈るような気持ちで後姿を見送った。
 すでに太陽は中天にあって、ベランダの洗濯物が乾きを知らせるようにヒラヒラと微風に揺れていた。
 そのあと2時間ぐらいは経過していただろうか、泰治は誰かに追われるように帰宅して玄関に入ると安心したような表情をした。
 対人関係が苦手だから、団地の人や知人などと出会ったりでもしたら余計な挨拶をしなければならなくなるし、要らぬ世間話にでも巻き込まれたら大変だ。それが苦痛であり重荷になるから慌てて戻ってきたのだろう。
「どうだった?」
 トキ子は内心で期待を膨らませながらもさり気なく聞いてみた。
「もう採用する人は決まっているらしいよ……」
「あら、そうなの残念ね。でも泰治が行ってきたと聞いたらお父さんが喜ぶわよ。又その内に募集しているところがあったら、リラックスした気持ちで応募すればいいと思う。今日はご苦労さまでした」
 応募に出向いた積極性を褒め、少しでも勤労意欲が湧いたのではないかと思うその行動にトキ子は賛美の言葉を贈った。
「そうか、行ったか。採用の結果は仕方がないが、重要なことは本人がやる気が出たかどうかということだからな」
 治男は遅い時間の食卓で、食事前の晩酌を嗜みながら機嫌が良かった。
「人の生き方に順風満帆なんていう単純な言葉はないんだよ。悪い動機があれば良い方向へ向かう動機だってある筈だ。泰治の明るい未来が拓けるといいなあ」 
 治男のいつにない輝いた眼が部屋の天井を仰ぎ、ビールが喉を鳴らした。 
 トキ子は聞いていて、治男の最大の望みが何であるか言葉尻から充分に分かった。泰治にしてやるべきことは一体何なのか未だに見極めきれないでいる苛立ちと焦りの中で、一瞬の夢と希望が部屋の空間に映し出されているのだろうかと思った。 

 泰治は奥の部屋に敷かれた蒲団の上に腹這いになって、昼間の仕事先への訪問について意志の薄弱さにひどく良心を咎(とが)めていた。
 親の期待を背負い出掛けてはみたものの、結果は自らの考えで裏切ったからだ。
 確かにトキ子から手渡されたメモを持って募集先のガソリンスタンドまでは行っている。給油スタンドでは作業員が忙しそうに動き回り、お客に愛想を振りまいていた。 
 泰治は店の前を単なる通行人を装って何度となく往来し、面接のタイミングを図ったがやはり「無理だ」と思い、店の誰一人とも話すことなく帰ってきてしまったのだった。
 親に嘘をついてまで仕事をする気が起きない自分自身に嫌気を差していた。 
                                        (続)
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