先ず一旦、家に帰ってお金を貰わなければならない。
母親に言うと「簡単に百円というけれど、お父ちゃんが苦労して働いてくることを考えたら、お金は大切に使っていかなければ駄目」と、つれない返事。
母が動くたびに一緒になって後ろに付きまとい、粘った末にやっとゲット。
本当にバスに乗る必要がある場合以外は、バス利用は誰もしなかったので、それを込みでお金を強請ることは、本を購入することさえ完全に否定されてしまうのをわきまえていたのでバス賃のことは口にしなかった。
昭和20年代後半の物価を調べてみると、東京の浴場の入浴料が大人12円、はがき2円、ざるそば19円、たばこ(みのり)45円、ノート10円だったから本というのは割高だったことに気付く。
小名浜に行く時は、さほど距離感はなかったが帰りの道は遠かった。
“近くて遠きは田舎の道”というが、例えの通りで先は見えているのだが曲がりくねった道は中々、目的地までは近付けさせてはくれなかった。
「面白ブック」には創刊記念号の五大付録と銘打って、漫画本が本誌の間に挟まれて輪ゴムで留められていたので付録を抜き取り、M君に貸して別れる。
秋の夕暮れに一人で家路に向かう。
家に着いて、囲炉裏の自在鈎に掛けられている味噌汁鍋の匂いに空腹感を覚えたが、手中に収めた雑誌の魅力には勝てなかった。
一頁めくるたびに、都会の新鮮な情報がこぼれてくるようで目は輝いた。
M君は、T銀行の役付まで出世したのだが40歳の若さで他界してしまった。
私は、あの頃に二人で歩いた思い出の旧鹿島街道が見えてくると、わざわざ本道から逸れて旧道に入っていく。
M君が何か話しかけてくるような気がするからです。