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いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

飯田地区と十六坂

2009-04-08 07:46:30 | Weblog
                   なだらかになった十六坂

 鹿島町の「飯田」の由来は、結田(ゆいだ)からきているとされている。
 今でこそ農作業は機械化が進んで、田圃も耕作から田植え、そして稲刈りまでを人手を頼らずに済ませてしまうが、かつては農繁期ともなれば「ネコの手も借りたい」の例えがあるように農家は人手が欲しくて大変な苦労をした。
 
 小、中学校では冬休みや夏休みの他に、春と秋も各10日位の農繁休暇があったと記憶している。(昭和20年代後半頃まで)
 正に、家族全員が駆り出されて農作業に従事したことになる。勿論、隣や遠くは高久や平窪あたりからの応援もあった。
 田植え時期を、地区ごとに巧く調整して労働力の貸し借りをしたのである。

 この方法は非常に効率の良い作業の進め方で、飯田は早くから採り入れていた。
 現代風にいうと、鹿島のパイオニア的存在だったのでしょう。
 結田(ゆいた)を、辞書で調べると「田植えなど、一時に多くの労働者を要する仕事をする際に、互いに人手を貸し合うこと」とあるから、「結田」が「飯田」になったにせよ地名になったことは、農作業から出た名誉である。

 この飯田から林城へ抜ける境に、十六坂があります。
 昔は、もっと急な伐り通しで、更にその前は林城とはまるで遮断されたような細い道だったそうですが、未だその時代は矢田川の下流地帯が海浜であり、飯田地帯は相当の荒海だったようです。
 たまたま暴風雨の襲来によって、逆巻く怒涛と化した日、この地内に出漁していた漁船が難破して、漁師たちの死体が打ち上げられたのが飯田の辺りで、死者が16人であったことから、それ以来この坂を十六坂と呼ぶようになったといいます。


   本日の催し ~4/12まで  10:30~18:30
    -刺繍・織り・染め-鈴木智美の世界・・・《入場無料》
           場所・ギャラリー創芸工房(鹿島町走熊)0246-29-3826


 
 
 

 

  

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