《新道に建てられた六地蔵の石塔》
六地蔵の石塔は、常磐松久須根町大夫内にあります。
地理的には鹿島街道の常磐上矢田町(鹿島神社前の信号)から五安の溜池へ向かう途中で、常磐バイパス高架下付近の道端にあります。
石塔の周りに5,6個の硬質岩石が置かれていますが、これは昭和46年に道路の拡張工事が行われて六地蔵の磨崖仏が取り壊されてしまった名残りのものです。
六地蔵は像高約60センチで、松久須根駒込め地内の山がせり出した場所の硬質岩に彫られていたのですが惜しくも造形を失いました。
しかし、村内の人々の拠出金によって同年6月吉日に現在の地に、六地蔵の石塔を建てました。
残念ながら地蔵そのものは一体も見ることはできませんが、石塔の台石に使用した丸型の巨石は、工事中に同地から出たものを活かしています。
また往時、八幡太郎義家公が東征の折、駒込め地内を通った際に石面に付いたと云われる愛馬の爪痕が三個あり、そういう伝説から「駒込め」の地名になって今に伝えられています。
これも残念なことに、昭和46年の道路工事の時に壊されてしまったのですが爪痕の見られる部分は、破片状にはなりましたが残存しています。
六地蔵の石塔は、常磐松久須根町大夫内にあります。
地理的には鹿島街道の常磐上矢田町(鹿島神社前の信号)から五安の溜池へ向かう途中で、常磐バイパス高架下付近の道端にあります。
石塔の周りに5,6個の硬質岩石が置かれていますが、これは昭和46年に道路の拡張工事が行われて六地蔵の磨崖仏が取り壊されてしまった名残りのものです。
六地蔵は像高約60センチで、松久須根駒込め地内の山がせり出した場所の硬質岩に彫られていたのですが惜しくも造形を失いました。
しかし、村内の人々の拠出金によって同年6月吉日に現在の地に、六地蔵の石塔を建てました。
残念ながら地蔵そのものは一体も見ることはできませんが、石塔の台石に使用した丸型の巨石は、工事中に同地から出たものを活かしています。
また往時、八幡太郎義家公が東征の折、駒込め地内を通った際に石面に付いたと云われる愛馬の爪痕が三個あり、そういう伝説から「駒込め」の地名になって今に伝えられています。
これも残念なことに、昭和46年の道路工事の時に壊されてしまったのですが爪痕の見られる部分は、破片状にはなりましたが残存しています。