いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

小名浜へ歩いて本買いに

2009-04-13 07:15:22 | Weblog
                  《旧鹿島街道の岡小名あたり》

 鹿島街道の正式名は「主要地方道いわき・古道線」といい、一般には平の国道6号線(十五丁目交差点)から、いわき市役所小名浜支所までを含んでの表現のようですが、鹿島を通過するために「鹿島街道」の呼称になったものです。
 写真は昔の面影が全くない岡小名の旧道。

 私は、団塊世代と云われる人達よりやや先輩にあたり、防空頭巾を被ったり学童疎開を経験した人達よりは後輩になるという、イソップ物語のコーモリ的な存在の中で生きてきました。
 ですから私が話したり書いたりすることには、どちら側の人達も何らかの共通感を抱いて戴けるという特典があります。
 
 昭和27、8年頃のことを記します。
 常磐炭砿の全盛時代で内郷、湯本などの町は活気が漲っていました。小名浜港では遠洋漁業の水揚げが好調で夜ともなれば、ねじり鉢巻きで長靴を履いたヤンシュウ(船乗り)が飲み屋街では大モテ。
 この頃、背広姿で街へ飲みに行っても相手にされなかったという伝説があるくらいです。
 
 そこで鹿島は?というと専ら農業が主体で、生産性の上がらない労働を強いられていました。
 どこの農家も葉たばこの生産をしていましたから、家族で夜なべをして乾燥させた、たばこの葉を伸す作業に追われた時代です。
 そういう中で、楽しみは僅かの時間を見い出しては娯楽雑誌を読むことでした。

 大人は「平凡」「明星」そして「家の光」。
 子供は「少年」「少年倶楽部」「太陽少年」などが通り相場と決まっていましたが、学校へ持っていくと取りっコをしての回し読みが始まります。

 私の兄妹は五人で、男は私一人。父親はサラリーマンでしたから私の希望は大概のことを叶えてくれました。
 友達は欲しいものがあると私に買わせようと言い寄ってきます。
 ある時、M君が「今度、面白ブックという本が出たから買ってみないか」と言って、買いに行くなら一緒に付いていくというのです。
 私が何気なく「その本、面白いのかな」と聞いたら「面白いから、面白ブックと云うんだっぺ」と答えたのには、なるほどそうだよなと感心してしまったのです。

 M君の言うことに一理ありと、私の愚問を反省しつつ二人で放課後に、小名浜まで往復12キロ(3里)を歩いて「面白ブック」を買いに行くことになりました。 《続く》
 

                   
コメント
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