いわき市鹿島町御代(みよ)の佐原邸と八代邸の正門には、平城で使われていたという門が据えられている。
見るからに重厚で、歴史を思わせる貫禄のある門です。
佐原邸の門構え(写真)は旧、鹿島街道の通りに面しているので誰もが簡単に見ることが可能ですが、八代邸は私道を入って行くようになるので、顔見知りでない人が許可なく進入することは不快に思われるかも知れません。
佐原家は土地の名主で、明治初期頃までは養蚕業と質屋を併業しており、明治九年からは酒造業を営むようになりました。
昭和30年代まで続いて、銘酒名「御代の鶴」や「みちのく」で販売されていたので記憶にある方も多い筈です。
又、この家からは鹿島村(当時)の初代村長を務めた佐原久治郎や、明治32年9月に若干32歳で福島県議会議員に当選した佐原久道(※久治郎の長男)が出ています。
平城は慶応4年(西暦1868)の戊辰戦争において、その殆んどが焼滅し、明治4年に廃藩置県の際に城跡の全てが民間に払い下げられたということなので、門はその頃に運び出されたものと思われます。
淋しい限りですが、肝心の城址には石垣の一部だけが残っているというのが現状です。
本日の催し 3/2 午後1;00~
かしまスポーツ 吹矢 於・鹿島公民館
見るからに重厚で、歴史を思わせる貫禄のある門です。
佐原邸の門構え(写真)は旧、鹿島街道の通りに面しているので誰もが簡単に見ることが可能ですが、八代邸は私道を入って行くようになるので、顔見知りでない人が許可なく進入することは不快に思われるかも知れません。
佐原家は土地の名主で、明治初期頃までは養蚕業と質屋を併業しており、明治九年からは酒造業を営むようになりました。
昭和30年代まで続いて、銘酒名「御代の鶴」や「みちのく」で販売されていたので記憶にある方も多い筈です。
又、この家からは鹿島村(当時)の初代村長を務めた佐原久治郎や、明治32年9月に若干32歳で福島県議会議員に当選した佐原久道(※久治郎の長男)が出ています。
平城は慶応4年(西暦1868)の戊辰戦争において、その殆んどが焼滅し、明治4年に廃藩置県の際に城跡の全てが民間に払い下げられたということなので、門はその頃に運び出されたものと思われます。
淋しい限りですが、肝心の城址には石垣の一部だけが残っているというのが現状です。
本日の催し 3/2 午後1;00~
かしまスポーツ 吹矢 於・鹿島公民館