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いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
それに周辺の話題。
時折、プライベートも少々。

カケス婆っぱ ⑧

2009-01-25 07:21:22 | Weblog
 鹿島村役場は十二のを掌管している割には然程大きな建物とは思えない木造二階建ての庁舎で、余裕のない土地いっぱいに建っている。
 二階が会議室と書類保管室になっているので、一階全体が村長から一般職までが間仕切りのない床板に机を狭苦しそうに並べて、それぞれの職域を確保している。
 キクと和起が中に入ると職員と村人の間を遮るカウンターがあって、小柄なキクには顎を上げるくらいの高さがあった。
 正面に朴訥な雰囲気をもった年配の男が手持ち無沙汰そうにしていたが、二人を見ると眼鏡の中から人懐っこい目をして笑顔を作った。
 鷹揚に構えて用件を聞くと
「それならね、奥から二番目のところへ行ってください」と言って指差しながらキクの後姿を目で追った。
「あら、中村さん。昨日は如何でしたか、大変だったでしょうに。それで今日はもう早速、届けにきてくれたのけ」
 標準語と方言の入り混じった話し方に違和感を覚えたが相手は昨日、寺で皆と歓迎してくれた同じの野沢民子という後家で、年齢は三十七、八歳ぐらいになるだろうか。
 キクは野沢から、昨日は如何だったかという曖昧な問い掛けに村に対する第一印象なのか、疲れたかの問いなのか、はたまた寝心地のことだったのかを考えたら一瞬、頭の中が錯乱した。
「はあ、お陰さまでなんとか・・・これからもどうぞ宜しくお願いします」
 キクにも矢張りいい加減な言葉しか出てこなかった。
「こちらこそ宜しく」
 味気のない事務的な応えが返ってきた。キクが提出した書類に目を通している動きの端々に心の冷たい、底意地の悪そうな表情が見え隠れした。
 いま冷静さを装っているが転入届に記載された情報を独占したことによって、腹の中では鼓踊りして喜んでいるのではないかとキクは察知した。
 こういう寒村の役場では、いくら役所とはいっても個人に対しての守秘義務など有って無いようなものだろうから、おそらく昼食時には私らの家族関係の詳細を、この野沢は弁当仲間に得意になって話し、盛り上がるのだろうなとキクは推察しながら役場を出た。
 すでに、見慣れない来訪者に職員たちが立ち去る二人を興味ありげに見ていることがキクの背中に熱く感じていた。
 役場の下の道を挟んだ低地に富田久吉の家はある。
 久吉の家は、その道から降りると簡単に行けたが挨拶に行くには気が引けたので郵便局や床屋のある通りへ一旦出て、正面玄関のある広い庭先へ回った。
 久吉は、キクを寺の墓守としてこのの人達に説得し世話をしてくれた命の恩人であった。それがなかったら今頃は路頭に迷い死を選ぶ窮地に陥っていたかも知れないのである。
 久吉は親戚が茨城の華川という所にいる関係で、何度か往来している内に重内炭砿に住んでいるキク達の話を聞いて哀れんだ。
 キクは夫の源造と、息子の和義親子の五人で長いこと炭砿長屋での暮らしを送ってきたが、採炭夫だった源造は退職したあと肺を患って入退院を繰り返し五年前に亡くなった。
 幸い、息子の和義も坑内に入って働いたから炭住を出ることもなく、贅沢さえしなければ生活の維持できたし家庭内では笑いが出る環境の中にあった。
 しかし、幸福というものは長くは続かない。
 息子は酒好きが祟って体調を壊し、気が付いた時には腹が鏡餅のように膨らんでいた。アルコールの過剰摂取が原因で肝硬変を起こして、今年の二月に父親を追うように妻と子を残して三十二歳の若さで他界してしまったのである。
 キクは、一体何という世の中なのだろうか、自分は何も悪いことはしていないというのに大切なものを次々と剥奪されていく現象にやりようのない怒りを覚えた。
 嫁の加代子も、これから先のことを考えると呆然として途方に暮れていた。 《続く》
 
 
コメント
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