鹿島町下蔵持地区に、昭和の初め頃まで湯場があったことは、今では又聞きによって伝わっているにすぎません。
バイク、自転車の販売・修理をしている、レクセン商会(小名浜字中坪)の先祖(岱助さん)は、下蔵持小部屋作の鈴木家から出た人で、日露戦争に従軍し、帰還後の明治45年、常磐炭鉱の前身である「磐城炭鉱」が下蔵持字満屋2-1番地(※現在、国井氏の所有地)に、ボーリングを下ろして採炭調査を行っていたところ、お湯が湧出したことに目をつけ、その権利を買い受けて温泉宿を開きました。
温度としては、やや低かったので沸かし湯でしたが、東京の湯質検査所まで、一升徳利に地下湯を入れて持って行き、検査をして貰ったところ胃腸病や婦人病に効果があるとの結果が出ました。
宿の名前を「つるや」と名付けて、営業を始めました。
総2階造りで、6畳間15室ほどの客室には地下から排出されるメタンガスを引いて、ガス灯として使用しました。
宿は、たいそう流行って背負い行商人が日用品や肉などを持ち込んできて、湯場で商いをしたというエピソードが残っています。
10年近く営業が続いたようですが、湯治場といい、ガス灯といい、当時にしては時代の先端を行く蔵持の「つるや」温泉だったようです。
バイク、自転車の販売・修理をしている、レクセン商会(小名浜字中坪)の先祖(岱助さん)は、下蔵持小部屋作の鈴木家から出た人で、日露戦争に従軍し、帰還後の明治45年、常磐炭鉱の前身である「磐城炭鉱」が下蔵持字満屋2-1番地(※現在、国井氏の所有地)に、ボーリングを下ろして採炭調査を行っていたところ、お湯が湧出したことに目をつけ、その権利を買い受けて温泉宿を開きました。
温度としては、やや低かったので沸かし湯でしたが、東京の湯質検査所まで、一升徳利に地下湯を入れて持って行き、検査をして貰ったところ胃腸病や婦人病に効果があるとの結果が出ました。
宿の名前を「つるや」と名付けて、営業を始めました。
総2階造りで、6畳間15室ほどの客室には地下から排出されるメタンガスを引いて、ガス灯として使用しました。
宿は、たいそう流行って背負い行商人が日用品や肉などを持ち込んできて、湯場で商いをしたというエピソードが残っています。
10年近く営業が続いたようですが、湯治場といい、ガス灯といい、当時にしては時代の先端を行く蔵持の「つるや」温泉だったようです。