いわき鹿島の極楽蜻蛉庵

いわき市鹿島町の歴史と情報。
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時折、プライベートも少々。

カケス婆っぱ ⑨

2009-01-26 07:11:56 | Weblog
 もう十一年前のことになるが、和義が加代子と知り合ったのは磯原駅前界隈にあった飲み屋街のバーだった。
 和義が二十一歳で既に稼ぎを得ていたから、よく坑内仲間と飲み歩いていた時期がある。加代子はホステスとして働いていて二人は客と従業員の間柄から交際が始まり、やがて結婚をした。
 加代子が十八歳になって間もないことで、その翌年に和起は生まれている。
 加代子は和義が亡くなった後、逼迫した生活状況を考えると毎日キクと家の中にいる訳にもいかず、先ずは収入を得るためにとキクを説得して働きに出るようになった。
 かつて経験したことのある仕事の方が手っ取り早くて収入も良いということから店こそ変ったが、再び夜の磯原でホステスとして働くようになった。
 加代子が健気に働く姿に客の評判もよく、人気者になって店の売り上げも増進させたものだから店のママも喜んでいた。
 商売柄、帰宅時間は不規則でタクシーで戻ったり客の車で送って貰ったりして帰宅すると、即座に和起の寝顔を見てその日の疲れが癒されたように笑みを浮かべていた加代子である。
 ところがある日突然キクと和起にとって思いもよらぬ、最悪の結末を招く出来事が起こってしまう。
 加代子が店に出るようになってから四ケ月後に失踪してしまったのだ。
 世間では今の生活に嫌気がさしたからだとか、好きな男ができたからだとか無責任な憶測が流れたが、キクはただ必死になって店の者や複数の客から何か思い当たる節はないかと聞いて歩いたが徒労に終わった。
 警察署に失踪届けを出して捜索を依頼したが朗報は届くことはなかった。
 キクはもう運命に怒るどころか愕然として、涙は涸れ果て泣くことさえ忘れていた。
 加代子にも精神的、金銭的な苦痛はあったにせよ可愛い子供を置き去りにしていくという感覚がキクには到底理解できなかったのだ。
 炭砿会社も最初のうちは、キクたちが社宅に継続して居住していても黙認しているようだったが従業員の居ない家族を、いつまでも置いておく筈がなく成るべく早いうちに明け渡すように迫ってきた。
 全く先が見えないで苦悶していたキクの前に現れたのが富田久吉だった。
 キクは地獄に仏とはこういう事を云うのだなと痛感して、その時は久吉から正に後光が差しているような錯覚を起こしたくらいだ。
 このような深い事情もあって、キクが何はともあれ真っ先に久吉の家へ挨拶に伺うことは至極当然のことであった。
 久吉は鹿島村の消防団長と農業委員会の役職を兼務していて、村民にも人望が厚かった。
 広い庭から玄関先へ向かう途中で、久吉が野良着のままで物置から出てきたところに出会った。キクと挨拶を交わしたが久吉は中(家)に入るよう勧めた。
 土間の脇が居間で座敷に大きな囲炉裏が据えられている。
 囲炉裏に焼べられた薪が黄橙色の炎と紫煙を吐き出しながら、自在鈎に吊るされた鉄瓶の底を這っていく。
 囲炉裏に手を翳して座っている白髪の老婆は久吉の母親で、背を丸くして煙を避けながらキクと和起を覗き込むようにして見た。 《続く》 
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